大人になるにつれて耳にする機会がぐんと減る言葉がある。
減ったことにすら気が付かず、あるとき不意に耳にして、久しぶりの響きに少し戸惑うのだ。
最近の私が不意に耳にしたのは「早生まれ」、「遅生まれ」という言葉だ。
我が子を新たな集団生活の場に送り出したのであろう親御さんたちの輪から漏れ聞こえてきた言葉だ。
確かに、約1年という月日の差が大きく感じられる時期もあるけれど、
ある時期を過ぎれば、その「差」だと感じていたことや見えていた景色、
それに伴って抱いた焦りなどの感情が、大したことではなかったと感じるときがくる。
更に大人になれば、そのような視点もすっかりと薄れ、この視点が、当事者である本人よりも、
周りから本人へと向けられていたものであることに大人になってから気が付くこともある。
きっとこの言葉が使われるとき、そこには深い愛情が伴っているのだろう。
早生まれであることを理由に周りに付いていけるかを心配する声を聞くこともあるけれど、
私の周りにいる「早生まれ」と言われる友人、知人を見回してみると、
皆、パワフルでアクティブな面をしっかりと持っており、
どこから、そんなにもエネルギーが溢れ出てくるのかしらと感じる機会も多い。
もちろん、大人になった私の視点を使って見るからこそ、冷静に見ることができるのだろうけれど、
彼らを見ていると、目には見えないパワフルさを
随分と幼い頃から培ってきたのではないだろうかと思うことがある。
どのようなことの中にも長所と短所、メリットやデメリットがセットで組み込まれているように見える。
そう言えば、私の友人に4月1日生まれと、2日生まれが居る。
学年の話題になることは滅多にないのだけれど、稀にそのような話題になったとき、
この「早生まれ」、「遅生まれ」という区切り方に非常にややこしさを感じるのは私だけだろうか。
日本の法律では、満6才に達した日の翌日以降、最初の学年のスタート時に就学することになっているため、
1月1日から4月1日までに生まれた人は、
満6歳になったばかりの年の4月1日から入学するので「早生まれ」。
4月2日以降に生まれた人は、これが翌年になるため「遅生まれ」になる。
ただ、どうして4月1日生まれが早生まれなのか。
もう、区切りよく4月1日から遅生まれで良いではないかと正直思うのだけれども、
年齢にも、生まれた日をスタートとして数え始めるという法律があるため、
誕生日の前日が、その年齢を満了した日となる。
ある意味、自然な数え方なのだけれども、この数え方で4月1日生まれの人を見ると、
毎年3月31日に、その年齢を満了し年を取ることになるため、
3月31日に満年齢でひとつ年を取り、4月1日生まれの人は早生まれになる。
そういうものとして把握してはいるものの、「早生まれ」、「遅生まれ」という言葉に、ややこしさを感じ戸惑う私は今年も健在だ。
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