パラパラと、静かに降っていた雨が上がった。
薄れゆく雨雲の雲間から黄色い日差しが差し込み始めた。
黄色いそれと、しっとりとした冷たい空気が混ざり合う時間に魅せられて、
少々強引に用事を作り家を出た。
目的地へ向かう道すがらにある学校所有の花壇に植えてあった紫色と深紅のチューリップは、
雨風によって全てなぎ倒されていたけれど、
茎をしならせ、地面ギリギリの辺りにまで頭を垂れながらも、瑞々しい姿でその場に在った。
咲き始めたばかりのように見えたけれど、茎がこれほどまでにしなってしまったのでは、
あと2日、いや1日もつか否かといったところだろうか。
実際には花の1日が人の一生に匹敵するくらいの時間かもしれないというのに、
花の命は短いとか、1日を短いだとか、勝手に思い込んでいる自分。
私の世界は、随分と私の思い込みでいっぱいなのだろうなと思った。
雨上がりの澄んだ空気を吸い込みながら幾つかの所用を済ませ、スーパーに立ち寄った。
今では通年で口にすることができる枝豆だけれども、
野性味あふれる枝付きの「枝豆」の山を前に、初夏が降り立ったような気分になった。
枝豆は様々な栄養素がギュッと詰め込まれている栄養価が高い食材のひとつ。
その中には、糖質を消化する際に必要となるビタミンB1も豊富に含まれている。
しかしワタクシには、枝豆の栄養価よりも気になっていることがある。
それは、枝豆の食し方だ。
いつだっただろうか、居酒屋で食事を楽しんでいたとき、お通しとして枝豆が運ばれてきた。
深く考えずに自分の小皿に手を伸ばしていたのだけれど、
周りを見渡すと、その食し方は人それぞれであるように見えた。
枝豆を縦向きに口に運び、指で豆を押し出すようにして食す人、
ハーモニカを吹くようにして横向きにくわえ、一粒ずつ豆を押し出す人、
枝豆を縦向きに口の中に入れ、サヤ部分を引き出すことで豆を食す人、
全ての豆を小皿に出し、味付けを施してお箸で食す人、など様々だった。
たかが枝豆、されど枝豆で、興味深いと思った。
それから、何となく、自分以外と人がどのようにして枝豆を食すのか、地味に気にしている。
随分と長い間、機会がある度に観察することが癖になっているのだけれど、
「このような方法もあるのか」「この人はこのタイプなのか」「おおっ、私と同じだ」などと思うだけのことであるため、
観察しているということをカミングアウトするのはこれが初めてだ。
ちなみに私は枝豆を横向きにして一粒ずつプチッと押し出すハーモニカ戦法だ。
枝豆の食し方なんて大差ないものだと思い込んでいたのだけれど、
個性が潜んでいるのでございます。
枝豆シーズンに突入しましたら、まわりをこっそりと観察してはいかがでしょうか。
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