ここにも、そこにも、あそこにも。
その日は、行く先々で、日本各地の飲食店の店先に立っているあれを目にした。
編み笠を被り、首を少しだけかしげ、手には徳利と大福帳を持った姿が愛らしい、信楽焼のタヌキの置物だ。
あのタヌキは、滋賀県甲賀市信楽を中心に作られている信楽焼だ。
この、信楽焼のタヌキは、縁起物として喜ばれており、
店の入口付近でお客様を迎えるような形で配置されている。
これは、「タヌキ」が「他を抜く」という洒落から「商売繁盛」を祈願して置かれているものだ。
タヌキが被っている笠は、災難や悪事を避けると言われ、
手にしている徳利は、徳が身につき、食べることにも困らないように、
大福帳と呼ばれる帳簿は、信用第一からくる商売繁盛を表しているという。
このタヌキを最初に作ったのは、陶芸家の藤原鋳造さんという方なのだけれど、
藤原さんは、夜道でタヌキが輪になり、お腹を叩いている光景を目撃したことがあるそうで、
この時の出来事が、信楽焼でタヌキの置物を作るきっかけになったと仰っていたのだとか。
想像してみると分かるけれど、夜道でタヌキが輪になって腹を叩いている光景は非常に奇妙だが面白い。
そもそもタヌキは自分で自分の腹を叩くのだろうか。
少なくとも私はまだ一度も、そのような光景に遭遇したことがないため、
藤原さんに、「それは真でしょうか!?」と問うてみたい気もするけれど、
そのような奇妙な光景に出会ったからこそ生まれたタヌキだと言われれば、
妙に納得してしまいそうな気になるのだから不思議だ。
モノが生まれる瞬間というのは、奇妙で面白い一面も含んでいるのだろう。
こうして生まれた信楽焼のタヌキだけれど、どうして日本全国で愛されているのか。
そのようなことを不思議に思い、少し調べてみた。
信楽焼のタヌキの歴史は、思っていたほど古くはなかった。
昭和30年代頃に全国的に広がったようなのだけれども、その火付け役が、昭和天皇だという。
当時、信楽では、昭和天皇がいらっしゃるということで、
日の丸を持たせた信楽焼のタヌキたちを、沿道にズラリと並べたのだそう。
そして、この光景に感動した昭和天皇は、この時の様子を歌に詠み、
それがニュースとなって全国に伝えられたことで、タヌキの知名度と人気が一気に上がったのだとか。
一番最初に作られた信楽焼のタヌキは、
現在のタヌキよりもリアル感が強かったという話も目にしたことがある。
しかし、信楽焼のタヌキといい、招き猫といい、
ゆるキャラブームは最近のことではなく、国民性だと改めて思う午後であった。
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