浴室内に、あれやこれやと持ち込み、半身浴でリフレッシュすることにした。
ゆっくりとお湯に浸かったときの至福のひとときは、体中の筋肉をいとも簡単に緩めてしまう。
体中の筋肉がリラックスすると、頭の中や胸の内側で忙しなく動いていた思考や気持ちまでもが、
ふわりと解けるものだから、否応無しに心と体が繋がっていることを実感させられたりもする。
外国の知人、友人たちにお湯に浸かる文化や魅力を伝えると、受け入れられないと首を横に振る人もいる。
その一方で、物は試しだと言って日本のお風呂文化、温泉文化を経験した人の中には、
心身で感じられた深い解放感と癒しや、
温泉を介したコミュニケーションや湯治の魅力にすっかりはまってしまったという人も多い。
逆に、日本で生まれ育った日本人だけれども、
お風呂文化が苦手で、入浴はシャワーで十分だという知人もいる。
結局のところ、文化と、その好みは人それぞれなのだけれど、
日本人のお風呂好きは今に始まったものではない。
今の私たちにとって当たり前となっている、浴槽にお湯を張って浸かるスタイルが定着したのは、
水をたっぷりと使うことができるようになった江戸時代に入ってからのことだという。
この頃、湯屋(ゆや)と呼ばれる、今で言うところの銭湯ができ、
入浴のことは湯浴み(ゆあみ)と、浴室のことは湯殿(ゆどの)と言うようになったのだとか。
しかし、商売として営まれている湯屋(ゆや)は、どこの町にでもあると言うわけではなく、
住人が少ない町はずれには、大量のお湯を積み込んだ船が、湯屋(ゆや)として移動営業をしていたのだという。
今の時代目線で、この様子を想像すると、
「お風呂に浸かりながら川を眺める優雅なバスタイムね」、
「高貴な方々が移動営業させていたのかしら」などと安易なことを思ってしまいそうになるけれど、
決して贅沢なものではなく、低料金で誰でも利用できたという。
しかも、当初は小さな浴槽を船に積んだだけの簡単なものだったそうなのだけれども、
改良が重ねられ、屋根と広い浴槽が備え付けられたものにまで進化したという。
今の私たちが、日々、たっぷりのお湯に浸かる心地よさを楽しむことができるのは、
その心地よさの虜になった知った先人たちの探求心による賜物のように思う。
この辺りまでお話すると、勘の鋭い方は既にピンときているかもしれないのだれど、
これが「湯船」という言葉の語源である。
時代とともに、町はずれにある一般家庭でも自宅でお風呂に入ることができるようになり、
湯船と呼ばれる移動式銭湯は姿を消してしまったけれど、
この言葉だけは浴槽を表す言葉として現代まで使い続けられている。
お風呂、バスタブ、浴槽という言葉も馴染みある言葉だけれども、
お風呂に浸かりながら川を眺める様子を思わせる湯船と言う言葉からは、
疲れた身体を優しく、ゆったりと包み込むような雰囲気の奥を覗き込むと、
先人たちが注いだ情熱がチラリと見えるようにも思う。
湯船という言葉に触れる機会がありましたら、ほんの少し、思い出していただけましたら幸いです。
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