開け放っていた窓から心地良い風が部屋の中へ入ってきた。
キーボードを叩く指先を止め、キッチンへと向かう。
久しぶりに入手できた、オーガニックレモンのスライスで作っておいたレモンウォーターを、
大きめのグラスに並々と注ぎ、皮付きのレモンスライスを浮かべたものを手にベランダへ出た。
少し前まで雨が降っていたからだろう。
風が普段よりも冷たく感じられたけれど、夏を苦手とする私にとっては、これくらいが丁度良い。
少々お行儀がよろしくないのだけれど、浮かべたばかりのスライスレモンを指先で摘まみ上げて口に運んだ。
果肉は酸っぱく、皮はほろ苦いけれど、舌が痺れるような酸味や苦味ではないのは、無農薬だからだろうと思う。
酸っぱさと、大人好みのほろ苦さが体中に行き渡るよう、しっかりとレモンを噛み締めながら
一緒に持ちだしていたスケッチブックを広げ、脳内に散らばっている欠片を書き出した。
二枚目のレモンに手を伸ばしかけたときだった。
ペンケースに蝶が降り立った。
こんな所まで飛んでこられるものなのだなと、蝶の秘めたる力に感心していたのだけれど、
一向に飛び立つ気配は無かった。
小さくて、控えめで、どちらかと言うと可愛らしい輪郭をした蝶で、
着物や風呂敷のワンポイント柄に良さそうな姿をしており、羽をゆっくりと上げ下げしていた。
この時季の蝶は「梅雨の蝶」と呼ばれている。
初めて知った時には、そのままではないかと心の中で突っ込んだけれど、
梅雨の晴れ間を飛ぶ姿を指しており、夏の季語だ。
近頃は、大人の事情で歳時を随分と前倒しする風潮があるけれど、
季節をほんの少しだけ先取りする日本人の粋な感性、絶妙な間の取り方に惚れ込んでいる私は、根っからの日本贔屓なのだと思う。
私の日本贔屓はさておき、蝶は吉兆モチーフである。
蝶は、様々なことを知らせてくれるとされており、含まれているメッセージも多々あるのだけれど、
割と知名度が高いのは、明るい色の蝶を見かけたなら、良きご縁が近づいていること知らせてくれているといったものや、
落ち着いた黒めの色をした蝶であれば、仕事に関する良い知らせや、チャンスが近づいていることを知らせてくれるというものだろうか。
他にも、新しい道を開いてチャンスを運んできてくれるといったものや、
ご先祖様や故人が気にかけてくれていることを知らせてくれているとも。
今は、このように解釈することが多いのだけれど、
その昔、蝶は、人の魂を運ぶものとして扱われていたという。
いつ頃から吉兆モチーフとして親しまれるようになったのか、
私は、現時点では、はっきりとした知識を得てはいないのだけれども、
万葉集などに蝶が一度も登場していないところを見ると、吉兆モチーフではあるけれど、その扱いには注意が払われていたようにも思う。
興味深いのは、ヨーロッパにも日本に似た認識があることだ。
ヨーロッパでは蝶や蛾を総称してプシュケーと呼ぶことがある。
このプシュケーという言葉は、魂を意味しているのだけれど、
蝶や蛾は、サナギという一見、死んでしまったような状態から蝶として飛び出すため、
人間の体から抜け出る(と考えられている)魂と重ねられて、そう呼ばれているのだ。
この、蝶や蛾の一連の変化に神秘性を感じる人々がいた古の日本には、
この神秘性をもとに生まれたのではないかと考えられている虫神信仰が存在した時期があったとも言われている。
その虫神様に心酔してしまう人が大勢出たそうで、当時の国を治める側としては、その集団を脅威を感じたのだろう。
今で言うところの“取締り”の対象になってしまったのだとか。
蝶はいつの時代も人の心を刺激する存在なのかもしれない。
私は十数年ほど前だっただろうか。
ある神社で蝶の群れに遭遇したことがある。
あれほどの数の蝶に取り囲まれた経験は、後にも先にも、あれ一度きりだと思う。
深い青色をした蝶が、自分を取り囲むようにして舞う景色は、今思い返してみても、
鳥肌が立つほど美しくて幻想的で、異世界に足を踏み入れたかのような気分にさせるのだ。
その経験からしばらく経ってからだった。
蝶に秘密の願い事を囁くと、神様に伝えてくれると聞いたのは。
あれだけの蝶の群れに囁いたなら、どんな秘密の願いも叶っただろうにと考えることもあるけれど、
願いや欲を軽々と飲み込んで、圧倒させるほどの美しさを見ることができただけで、十分だと思う。
いや、その言い伝えを知っていたとしても言えなかったような気もしている。
蝶を見かけたら、あなたの秘密の願いを、そっと打ち明けてみてはいかがでしょうか。
私も次こそは!
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