一年振り?いや、もっと?
そのような返しから始まった外国の知人とのやり取り。
また少し、自分のボキャブラリーが、ザルの目から抜け落ちているように感じ焦ったりもして。
残念ながら、私の場合、三つ子の魂百までといったレベルではないのだろう。
次の休みには洋画を一本、本気で観ようかしら、などと思いながら、近況を伝え合った。
お決まりのやり取りが落ち着くや否や、知人が、日本人流のビジネスカードのお作法を教えてくれないか、と切り出した。
ビジネスカードと言うのは、名刺のこと。
日本で名刺は、自分の顔、相手の顔というような言われ方をすることがある。
名刺は、ご縁の始まりであり、自己紹介をして関係を結ぶための1枚であり、
どのような場においても、大切に扱うものという共通認識がある。
しかし、この認識、国内外で大きく異なるのだ。
この名刺交換の習慣は、もとは古の中国にあったもので、当時の役人たちが名刺を使っていたと言う。
そして、名刺は、今のような紙製のものではなく、木などを削ったものに名を刻んだ、「刺」とよばれるものだった。
日本には中国から、この「刺(=名刺)」が伝わってきたようなのだけれども、
当時、日本の貴族社会はとても狭い世界で、顔をひと目見れば、どこの誰なのかが分かったと言い、「刺(=名刺)」が取り入れられることは無かったという。
その後も、日本は小さな国が集合して一つの国を作っている、といったスタイルの国だったため、
時代が変わっても、必要性が低い「刺(=名刺)」が人々の生活に定着することはなかったのだそう。
しかし、藩という括りで分けられていた小さな国々にも変化が起こるのだ。
異なる藩の人々と交わる機会が増え、社交界などでの交流が始まると、出会う人々の数も想像以上に増えたのだろう。
この頃から日本でも紙製の「刺(=名刺)」、今で言う名刺が使われ始めたという。
こうして日本に定着した名刺だけれども、日本人が名刺を大切に扱うようになった理由は、
日本人が持っている言葉には霊力が宿ると考えだ。
苗字は、先祖代々受け継いできた大切なもので、
名前は、親が子どもの成長や幸せを願って付けてくれた大切なもの。
これを記した名刺は大切に扱うべきものであると考えていたのだ。
そして、このように大切な名を記した名刺を相手に手渡すという行為は、
自分の大切なものを差し出せるくらい末永いお付き合いをしていきたい、
大切な人であると思っているということを、行為を通して相手に伝えているのだ。
日本で言う名刺は本来、このような思いで渡されるものであるため、
「大切に扱うもの」だと教えられてきているのだ。
一方、外国ではというと、名刺交換よりも握手を重要視しているため、
テーブルに着くや否や、交換したばかりの名刺の余白や裏を、メモ用紙として使われることも珍しくない。
日本人からすると、ギョッとする光景なのだけれど、
風習の違いによるもので相手には一切悪気はない。
ただ、最近では日本文化に興味を持つ方も多く、
先ほど触れた様な、日本で名刺交換が大切にされている意味合いを知り共感し、
自分も名刺を丁寧に扱おうと思う方も増えつつあるのだそう。
知人も、そのような流れで私に名刺交換のお作法を尋ねてきた一人だ。
名刺の在り方も、意味合いも、扱う際の認識や注意事項も多様化しつつある日本だけれども、
本来、そこにあるべき心遣いは持ち続けられたならと思う、この頃だ。
お仕事で名刺交換をする方だけでなく、
名刺交換をする機会は無いけれど、
サービスを受けるお客側として担当者から名刺を受け取ることがある方という風に、
名刺に触れる機会は、大勢の方々にあると思うのです。
受け取る際や、ご縁に区切りが付いた後の扱いなど、
ほんの少しの気遣いを添えてみてはいかがでしょうか。
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