ルイボスティーにレモンをギュッとひと搾りしたものを手に、ガーデンチェアに腰掛けた。
グラスの中をストローで掻き混ぜるとゴツゴツとした氷が鈍い音を立てる。
グラスの周りに噴き出したような水滴が滴る様子は、夏を知らせてくれているようでもあり、
夏の日差しが似合う女性に憧れる、などと思いながら、ストローでルイボスティーを吸い上げた。
夏も夏の日差しも嫌いではないのだけれど、ヒトには得手不得手というものがある。
私は、この暑い夏がとにかく苦手だ。
毎年、来年こそは克服か!?と思ったりもするのだけれど、
今年の自分を見る限りでは、今年もまだ、その年ではないようだ。
涼しい場所と日陰を渡り歩き、少し先に広がる太陽がジリジリと照り付ける場所や、
そこでキラキラと輝きを放つ人たちを傍観し、夜行性に磨きがかかる夏が来た。
例年よりも早く梅雨が明け始め、
季節の変わり目という名のインターバルを置かぬまま、夏に突入したような今シーズンをどう乗り切るか。
これが私の目下の急務である。
日が落ちて、アスファルトの熱が少しだけ落ち着いた頃、ふらりと外へ出た。
すれ違う散歩中の犬たちの足取りが軽やかに見える理由を、
アスファルトの熱を感じてのことだろうかと想像してしまうのは、私の苦手意識の仕業だろう。
細い路地へ入ると、前から大型犬を連れた親子が歩いてきた。
きっと、すれ違う人が愛犬を怖がらないようにという飼い主の心配りだと思う。
その大型犬と飼い主親子は、ぴたりと立ち止まり、「こんにちは、お先にどうぞ」と声をかけて下さった。
私も「こんにちは、ありがとうございます」と返すと、
その大型犬が、一瞬だけ飼い主の方をチラリと見上げた後に、尻尾を振って私に近づいてきたのだ。
その時の大型犬の様子が、自分の飼い主と関わり合いがある人ならば、
自分もこの人に挨拶をしなくてはと、気を利かせて私を気遣ってくれたように見えた。
人は、「このような心配りをすると良い」と分かっているようなことでも、
このくらいしなくてもいいかな、今はスルーしてしまおう、という風に軽んじてしまうこともあるし、
目の前のこと以外に意識が向いていて、ちょっとした心配りを忘れてしまうこともある。
その日出会った大型犬の振る舞いの真意は、人である私には分からないのだけれど、
大切なことをさらりと気づかせてもらったような気がしている。
うだるような暑さの中でも、一服の清涼剤のような心配りを大切にしたいものである。
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