初めて入ったそこは、全席が半個室のような作りになっており、店内が迷路のように入り組んでいた。
席へと案内されながら、これは、お化粧室から出たら自分の席がどこなのか分からなくなるパターンだ、と思った。
プライバシーが守られはするのだけれど天井は気持ち良い程に明け透け。
各座席から漏れ聞こえてくる楽し気な声は、店内の活気そのもののようだった。
しばらくすると、付近の個室から「駆け付け3杯ね」と聞こえてきた。
遅れてやってきた男性の「むり、ムリ、無理」という真剣な声と、
既に出来上がっている面々の「大丈夫、3杯くらい大丈夫」という声と、その3杯を注文する別の誰かの声が続く。
その温度差に、人が交わすやり取りは、時代がどれだけ変わろうとも、それ程変わらないものなのだと思った。
この、宴の場に遅れたときに飛び出す「駆けつけ3杯」という言葉と、
お酒を立て続けに3杯飲まされる習慣の始まりは、平安時代まで遡る。
平安時代の貴族たちは、宴の際、徳利を手に各々の盃に酒を注ぎまわっていた。
お酒を飲む機会が順に巡ってくるのだけれど、
全員に5回順番がきた状態で宴の席に到着できていない状態を「一遅」と、
7回順番が巡ってきても到着できていない状態を「二遅」と、
そして10回順番が巡ってきても、宴に到着できていなければ「三遅」と呼び、
仏の顔も三度までではないけれど、三遅した者はペナルティーとして、立て続けに3杯飲まされていたというのだ。
これが「駆け付け3杯」の始まりだと言う説がある。
そして、もうひとつ「駆け付け3杯」の始まりだと言われている風習が武家社会の中にもある。
それは、武家宴のお作法である「式三献」だ。
献というのはお膳のことで、一献、二献、三献という順で3回お膳が運ばれることを表している。
一献め、まずは、お膳に杯と銚子と酒の肴を乗せたものが、お客様に出されます。
お客様は、酒の肴を食べながら3杯のお酒をいただきます。
お酒を飲み終えたら、一献めのお膳はさげられ、2回めの膳である二献が運ばれてきます。
同じように、酒の肴を食べながら、3杯のお酒をいただきます。
これを3回繰り返すことを「式三献」と呼び、武家宴の正式なお作法だったそう。
驚くのは、これは本来の宴ではなく、メインの宴前に行うプレ宴と言うのか、儀式と言うのか、そのようなものだったというのだ。
しかし、この「式三献」は、それなりに時間を要するため、二献と三献は省略され、
一献の時に口にする3杯のお酒を立て続けに口にして速やかにメインの宴に入るようになったと言う。
このときの、3杯のお酒を立て続けに口にする様子が「駆け付け3杯」の始まりだという説がある。
きっと、いつの時代も、人がふざけて人に科するペナルティーは、似たり寄ったりなのだ。
少々気の毒な点と言えば、当時の3杯は盃3杯であるが、今は下手すればジョッキ3杯運ばれてきてしまうところだろうか。
そのようなことを思っていると、注文を受けた店員に店長らしき方が「一度に運んでいかずに、1杯と2杯に分けて運んで。」と口添えしていた。
時間を稼ぐことができるというほどの時間ではないにしても、
既に出来上がっている面々の気を「駆け付け3杯」から遠ざけるには十分な時間である。
ささやかだけれども、なんて素敵な心配りなのだろう。
「駆けつけ3杯」という言葉だけが時代を越えて独り歩きしている。
盃をジョッキにしてしまっては大変じゃないか。
注目すべきはそこでいいのか!?と自分に突っ込みつつ、グラスを口元に運んだある夜の出来事だ。
お酒の席でのペナルティーは、どうぞお手柔らかに。
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