資料に目を通していたら「灯台下暗し」という言葉が出てきた。
私は、このことわざを見聞きしたり、使ったりするときに、遠い日の自分の間違いを未だに思い出す。
このことわざは、ご存知の通り、
自分の身の回りで起きているモノゴトは、意外と分かりにくく、気が付かない。であるとか、
探しているものは、気付いていないだけで意外と身近にある。といったことの例えで使われている。
幸い、意味や使い方、使いどころに関しては、間違うことなく過ごしていたのだけれど、
ある時、私が思い描いていたイメージと、ことわざが指しているものが違うと気付かされたのだ。
幼き学生の頃、友人との会話の中で、このことわざが登場した。
私は、お喋りをしながら落書きをしていたのだけれど、「灯台下暗し」と聞き、
ノートの端に岬の先端に凛と立つ灯台を、その外観にこだわって描いたのだ。
自分で言うのも何だが、ノートの端に描いたことを少しもったいなかったと感じるような出来栄えだったと記憶している。
しばらく会話を続けた後、友人が「柊希、その絵は灯台下暗しのこと?」というようなことを私に言った。
自分のイメージが間違っているなどと全く疑いもしていなかった私は、「そうだよ」と返したと思う。
すると友人は、「よく描けていると思うけれど、灯台、それじゃないよ」と言った。
私は、静かに驚いたのだろう。
そう言われて、「え?じゃぁ、どれ?」と心の中で思った感覚を今でも薄っすらと覚えている。
出来た友人だった。
私も勘違いしていたことがあるから知っているのだと前置きをし、
岬の先端にある灯台ではなくて、もとは、昔の人たちが電気代わりに部屋の中を照らすため、
油を注いだお皿に芯を入れて火を灯したものを置く、灯明台(とうみょうだい)と呼ばれる台のことなのだと教えてくれた。
その台が、少し高さがあるものだったため、台の下には灯りが届かず暗かったことから、
灯台下暗しということわざができたのだとか。
このイメージを思い浮かべることができれば、灯台の「元」ではなく「下」だということも、すんなりと記憶できるため、
「灯台下暗し」だったかしら?「灯台元暗し」だったかしら?と、迷うこともないということである。
脳内イメージは、岬の先端に凛と立つ灯台から、室内の一角で揺れる小さな炎を支える灯明台へと変わり、
若干、スケールダウンしてしまったようにも感じるのだけれど、
今は所在も分からない当時の友人とのやり取りをいくつか思い出しつつ、
言葉は、いつも人のすぐ傍から生まれるものなのだろうなと思うこの頃だ。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/