肌寒さを感じて長袖を着た。
今日はこのまま冷えるのか、それとも、夏の置き土産のような暑さが足掻いて見せるのか、
瞬時に判断することができず、外出時には長袖の羽織りものを手に持った。
久しぶりに感じる、季節が移り変わろうとしているときの、行きつ戻りつに、
体が追い付かないとか、何を着ればいいのだろうなどと思うこともあるけれど、
私たちも、行きつ戻りつを繰り返しながら、これからの気温に照準を合わせている最中なのだろう。
秋と言えば、紅葉もこれからの時季の醍醐味でございます。
先日は、花札の中にある、秋の絵柄のお話をさせていただきましたが、
今回は、もう一枚。
紅葉と、ある言葉の語源に関係している絵柄のお話を少し、と思っております。
花札と言いますと、賭博を連想してしまう方もいらっしゃるかと思いますが、
花札は、遊び方を知らなくても目で見て、感じて、季節の背景を楽しむことができるカードです。
ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていって下さいませ。
10月の花札に、「鹿と紅葉」というものがあります。
カラフル色付き始めた紅葉を振り返る鹿の姿が印象的な1枚です。
※右下の1枚です。
この絵柄は、様々な商品パッケージやデザインに使用されることがあるため、
花札を知らなくても、何となく目にしたことがあるような気がする方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そして、この鹿と紅葉の組み合わせには、奈良の鹿と、ある親子の悲しい言い伝えが元になっていると言われております。
時は江戸時代でございます。
鹿は神様の使いとも言われておりましたので、この時代、鹿を殺してしまった者には、重い刑罰が決められておりました。
その罰の名は石子詰め(いしこづめ)の刑と言い、罰の内容を簡単に説明するならば、生き埋めにして圧殺するものでした。
当時の奈良にあった、あるお寺近くにの寺子屋には、三作という名の子どもが通っていたと言います。
年の頃は13歳だと言いますから、まだまだ子どもです。
ある日、勉強をしていた三作君のもとに一頭の鹿が近づき、大切な紙を食べ始めたのだそう。
三作君は、鹿を追い払おうと近くにあったもの(筆や文鎮と言われています)を鹿に投げつけました。
もちろん、殺すつもりなどなく、ただただ、鹿を追い払って大切な紙を守りたかったのです。
しかし、運悪く、投げつけたそれは鹿の急所と言われている鼻に当たり、鹿は死んでしまいます。
子どもであっても、殺す気が無くても、神様の使いである鹿を殺してしまえば罰せられる時代。
三作君は、死んでしまった鹿と一緒に地中深くに埋められ、
石子詰め(いしこづめ)の刑によって命を落としました。
三作君と2人で暮らしていた母親は、それはそれは悲しみ、息子と鹿を供養する為に、紅葉の木を植えたと言います。
この話は、その後、三味線の伴奏に乗せて物語を語る浄瑠璃で世の中の人々の耳に届き、大きな反響を得たのだそう。
このような出来事が人々の印象に残っており、鹿と紅葉の組み合わせが生まれたと言われています。
そして、もうひとつ。
この1枚を語る際に登場する、お決まりの話がございます。
相手を無視することを「シカトする」と言いますが、この語源は、この「鹿と紅葉」札なのだそう。
花札には、1月から12月までの絵柄がありまして、10月は、この「鹿と紅葉」という札です。
「鹿と10月の札」ということで、鹿10、シカトと……丁寧に説明するのを躊躇うくらい、ありきたりではありますが、
このような流れでシカトという言葉が生まれます。
そして、絵柄の中にいる鹿がまるで、そっぽを向いているように見えることから、
相手を無視することを「シカトする」と言うようになったようでございます。
「シカト」と聞くと、若者言葉のようなものだというイメージを抱きそうなのですが、
このような背景があり、誰もが知る言葉として定着しています。
秋と言えば紅葉ですが、
紅葉は北半球の限られた地域のみで見ることができる珍しい植物だと言われております。
そして、気温の変化が紅葉に合っているということなのか、日本の紅葉は艶やかで、世界一、美しいのだそう。
今年の秋も目に留まる紅葉を存分にご堪能下さいませ。
そして、その合間にほんの少しだけ、今回のお話の中から何かしらを、チラリと思い出していただけましたら幸いです。
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