空が高い。
浮かぶ雲も手が届かないくらい空高くに浮かんでいる。
上空を流れる風の道筋を表しているかのような、すじ雲は清々しい程にぴーんと伸びていた。
あまりにも気持ちよさそうな空に誘われ、リビングから外へ出た。
すーっと空気を吸い込むと、今年初めての甘いて深い、金木犀の香りがした。
香りがする方へ視線を向けてみるも、金木犀の姿は、どこにも見当たらない。
これも、毎年のことだから姿が見えなくても驚きはしないし、探してやるぞと意気込むこともないのだけれど、やはり今年も肩透かしか、と思った。
いつだっただろうか、中国の書物をつまみ食いするかのように、所々、読んでいたのだけれど、
作中に九里香(きゅうりこう)という植物が登場した。
それは、とても魅力的な描かれ方をしていたのだけれど、実物を知らず、分からず、見たこともなかった私は、
私が持ち得る全ての想像力をフル稼働させてそれを感じた。
しかし、しばらくして、それが金木犀の異名だと知り、とても拍子抜けしたことを覚えている。
金木犀に魅力が無いと言う訳では全くないのだけれど、
未だ見たことがないそれに、大きな期待を抱きながら、極限まで美化したのだろうと思う。
なーんだ、金木犀だったのか。
そのような自分の声と共に、九里香(きゅうりこう)という金木犀の異名は、私の記憶に留まっている。
どのような経緯で金木犀が九里香(きゅうりこう)という名を手にしたのか。
それは、あのどこまでも流れていく香りによって名付けられていた。
九里を身近な単位で表すと、約4.5キロほどの距離で、
金木犀の香りは、そのくらい遠く先まで流れ香るため、九里香(きゅうりこう)と言うのだそう。
現実問題として、4.5キロ先まで香らせることは難しいように思うけれど、
それくらい先まで香らせることができそうだ、と思ってしまうくらいの香りであることには違いないような気がしている。
九里香(きゅうりこう)という名が、私の中に定着した頃、
私は中国には七里香(しちりこう)という名を持つ植物があることを知った。
さすがに、2度目ということもあり、過度な期待も美化もせず、この植物をのぞいたところ、
こちらは春先に咲き、香る、沈丁花の異名だと分かった。
金木犀ほど遠くまでは香らないけれど、それでも七里(約3.5キロ)先くらいまでは、香る花ということなのだろう。
そのようなことを思い出しながら、今年初めての金木犀の香りを、もう一度吸い込んだ。
今年は、砂糖菓子のような可愛らしい花から香る、秋を知らせる甘い香りを
九里香(きゅうりこう)の名と共に楽しんでみてはいかがでしょうか。
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