宅配ボックスに届けられている宅配物を受け取るためにエレベーターで1階まで下りた。
扉が開くと、ランドセルを背負った小学生がいたため、「こんにちは」と声をかけた。
私の声が小さかったのか返事は聞けぬまま、小学生はエレベーターに乗り込んだ。
また別の日の出来事である。
外出から戻るとエレベーターホールで、小学生らしき子どもがエレベーターを待っていた。
お使いだろうか。
郵便物や新聞を胸に抱きかかえていた。
私はひと言、「こんばんは」と言った。
今度は、相手にも聞こえるくらいの音量で発した。
しかし、私の声はシンとしたエレベーターホールに、響いただけで返事は聞けなかった。
もしかして、この辺りの小学校でも「知らない人に挨拶をしてはいけない」という教育が常識化しているのだろうか。
そのような事が脳裏を過ったため、何となくではあったけれど、
その子どもが乗ろうとしているエレベーターに同乗することに躊躇いを感じ、
「お先にどうぞ」と言って、子どもを先にエレベーターに乗せた。
数年前に取り挙げられたニュースにこのようなものある。
「知らない人に挨拶をされたら逃げるように教えているため、
マンション内での挨拶が禁止して欲しい」という申し出が子を持つ親からあり、
マンション内での挨拶が禁止になったというニュースだ。
その後、「知らない人には挨拶をしてはいけない」と子どもに教える学校や親も増えていると聞く。
もちろん、このような申し出があった背景には、悲しい事件や、
安全だとは言い切ることができない社会状況があるため、常識だ、非常識だなどと一言では片付けられないのだけれど、
子どもも大人も生き難い世の中だなと思う。
返事が返ってこないという経験が数回続いた私は、
この辺りの小学校でも「知らない人に挨拶をしてはいけない」というルールがあるのだろうという推測のもと、
子どもを無駄に怯えさせたくはないし、私自身も不審者として扱われたくないという気持ちもあり、
マンション内で子どもに出くわしても、声をかけないように心掛ける。という妙な生活を送っている。
このようなルールが生まれたことも意図も十分に理解できるのだけれど、
このような心掛けは、非常に生き難い。
同じエネルギーを使うなら、心が温かくなるような心掛けや心配りに使いたい。
そう思いながら、それぞれの立場や状況を思うと、これも仕方無いことなのだろう、とも。
郵便受けに届いた郵便物を取りに行くだけなのに、
小学生が居ませんように……。そう思うようになっている自分を複雑な思いで眺める午後である。
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