準備されている椅子に座って順番待ちをしていると、隣の椅子に、ご年配夫婦が腰を下ろした。
どれくらいの時間待っているのか尋ねられ、10分程だと返すと、「ちょっと席を外すけれど、これは私の身代わりね」と可愛らしい笑顔を向けられた。
ご婦人の身代わりとして椅子に置かれたそれは、鮮やかなバラの花の刺繍が印象的な、ハンカチだった。
その場を去るご婦人の背中を眺めていると、ご主人が「すみません、自由気ままで」と言って頭を下げた。
ご婦人の、のびのびとした可愛らしさは、ご主人によって大切にされてきたのだろうと、勝手な想像を広げていると、小さな紙袋を手にしたご婦人が戻ってきた。
私に向けられた「ただいまでした」という言葉に「おかえりなさい」と返すと、視界の奥でご主人が、もう一度、小さく頭を下げた。
きっと数分後には、お互いの顔も、やり取りさえも忘れてしまうのだろうけれど、心和らぐ時間のように思う。
その後、そのご夫婦と言葉を交わすことはなかったけれど、身代わりとして置かれていたハンカチを畳もうとしたときだったのだろうか。
ご婦人の手荷物がドスッという音をさせて床に落ちた。
「あら~、あら~、またやっちゃったわね、私」と可愛い声が耳に届いた。
思わず口元が緩んでしまいそうになるのをグッと堪えていると、
外国で暮らし始めて数年経った友人から聞いた話を思い出した。
友人もご婦人のように、「あら~、あら~」と繰り返し口に出すことがあるのだけれど、
日常で使う言葉日本語から英語に変わろうとも、その口癖が消えることはなく、
英語を使いつつも、ことある毎に「あら~、あら~」と発していたという。
ある日も、その口癖が出てしまったそうなのだけれども、
現地で出来た知り合いから、「前から聞きたかったんだけど、あなたは日本人だけどイスラム教徒なの」と聞かれ、驚いたのだそう。
彼らは、友人の口癖を聞き拾っており、神様を意味する「アッラー」という言葉を度々発する友人を眺めながら、「イスラム教徒なのだろう」と思っていたのだとか。
その後、イスラム教徒ではないことを伝えると、日本語の「あら~、あら~」には、
どのような意味があるのかと前のめりで尋ねられて、非常に困った、と言っていた。
幸い私には、その口癖が無かったため、友人のような経験は無いのだけれど、
「あなたは、誰を信じているの?」と近所に住んでいた子どもに尋ねられ、返事に困ったことを思い出した。
特別に誰かをというようなことは無いと返したら、
不幸が来た時に守ってもらえないから、誰かを信じた方が良いと、小さな子どもに本気で心配されてしまったのだ。
小さな子どもの本気を前に、誰をと言うほどではないけれど、強いて言うならば八百万の神みたいなところだろうかと、
あまり良くも考えずに発しそうになっていた私は、それらの言葉をのみ込んだ。
今であれば自分自身だとか、自分の勘、などと答えるような気がするのだけれど、
この手の話題は、私が思うよりも取り扱いが難しいのだと感じた出来事だったように思う。
それにしても、可愛らしいご婦人だったなと、改めて。
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