冬らしい陽射しの柔らかさと、ピンッと張られたような冷たい空気のアンバランスさが心地よい日、
紅茶が好きでたまらないと言う友人への贈り物を探すため、自宅近くに在る紅茶専門店を目指した。
信号待ちをする度に辺りに舞い上がっては、ひらひらと落ちてくる赤や黄色の紅葉は、冬の陽射しに照らされて、
落ち葉だと言うには勿体ないように思えるくらい、キレイな色をしていた。
その宝石のような落ち葉を、せっせと掃き集めている方がいらした。
その方は目が合った私に、「キレイだけど、放置していると、あっという間に色褪せて、店の前が汚れてしまうから」と言った。
信号待ちついでに落ち葉を眺めている人たちの気持ちも分かるけれど、こちらにもこちらの事情があってという、声なき声が伝わってきた。
店主の言葉に短めに同意し、私は横断歩道を渡った。
以前、ミニマリズムの在り方の話題の中で、良寛(りょうかん)さんという人物に触れたことがある。
簡単におさらいすると、良寛(りょうかん)さんとは、お坊さんであり、書家であり、歌人でもあった人物なのだけれど、
何か特別なことをしたということはなく、
山奥に在る、今にも倒れてしまいそうな小さな家でシンプルな暮らしを送っていた人だ。
生きていくために托鉢で生計を立てていたけれど、
多くの時間は子どもたちと、かくれんぼや鬼ごっこなどをして遊んでいたという。
彼には時代を越えて人を惹き付ける魅力があり、彼のエピソードは様々な場所で見聞きすることがあるのだけれど
この時季は、彼が詠んだという『裏を見せ 表を見せて 散る紅葉』という句に触れる方が多いように思う。
先日も、この句が好きだと仰った方が居らして、良寛(りょうかん)さんは、癒し系だと感じたばかりだ。
この『裏を見せ 表を見せて 散る紅葉』という句は、亡くなる前の良寛(りょうかん)さんが、
晩年に交流が深かったという貞心尼(ていしんに)さんという尼僧さんに贈ったもので、
「自分の良いところも、悪いところも、包み隠さずに見せたので心残りはないです」という意味が込められている。
器用な人ではなかったように見えるのだけれど、本来の自分で生き抜く勇気を持った方であり、
自分に対しても他人に対しても大らかな気持ちで接することを、とてもナチュラルにやって退けた方であるように思う。
きっと、モノゴトの表も裏も同じくらい丁寧に触れてきたからこその句なのだろう。
見納めに近づいた紅葉を見て、そのようなことを思った日。
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