我が家は毎年、大晦日も通常通りに動いているため、その年最後の晩餐にありつける時間帯も少々遅め。
そのこと自体に特別、何を思うでもないのだけれど、
テレビから聞こえてくるカウントダウンの声に、背中をグイグイ押されるようにして一年を締めくくり、
グイグイと押し出されるようにして新たな一年への一歩を踏み出すような年越しである。
口にしたご馳走の消化が、始まった気配も感じられぬまま眠ることも出来ないため、
カロリー消費も兼ねて年が明ける少し前に初詣へと出発している。
ピンと張り詰めた冷たい空気に覆われた街中に、チカチカと点滅する信号機。
多くの人たちが帰省しているからなのか、街の中に感じられる人の気配は少ない。
何処からか聞こえてくる除夜の鐘を拾い聞きしながら駅構内へ入ると、
普段の照明は、いつにも増して明るいように感じられ、普段とは異なる、年明け早々の景色が広がっていた。
神社に到着すると、既にお詣りの列ができており、今年もその最後尾に並んだ。
街中に位置している神社では、夜空に浮かぶ星を確認することはできないけれど、何となく空が澄んでいるように感じられるのは、
年が明けたことで、気持ちが無意識に晴れているからなのかもしれない。
非日常にテンションが上がっている子どもたちを微笑ましく思うのと同時に、
少しばかりの羨ましさを胸に抱きつつお詣りの順番待ちをしていると、背後から何気ない会話が聞こえてきた。
「最近の子どもたちは、皆まつ毛が長くて羨ましい。まつエクとは無縁の人生を歩むんだろうな。」と。※まつエク=まつ毛エクステンションの略
そう言われてみると、確かにまつ毛が長い子が多いように思う。
そのようなことを思いながら、辺りではしゃいでいる子どもたちのまつ毛に目を向けていると、
背後から聞こえてきたのは、
「最近の子どもたちのまつ毛が長いのは、空気が汚れているから目を守るために男の子、女の子関係なくまつ毛が伸びてるんだよ。」という、お連れの方の声だった。
え!?そうなんですか!?と心の中で声を上げていると、
最近の子どもたちは、皆まつ毛が長くて羨ましいと言っていた方が、私の心の中の声と同じ声を上げた。
ごもっともな見解であり、まつ毛事情の原因のひとつではあるのだろうと理解もできるのだけれども、
ヒトの進化を、はっきりと目の前に差し出されたような驚きを感じたのと同時に、
“新型の子どもたちと旧型のワタシ”という構図が脳内に浮かび、何とも表現し難い複雑な気分になった。
当たり前のことなのだろうけれど、環境に合わせて進化しているのはヒトも同じなのだ。
“新型の子どもたちと旧型のワタシ”を意識させられるところから始まった2019年、ワタシだってまだまだ進化するぞと意気込んでいる鏡開きの日である。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/