私が暮らしているマンション内には、日本の方と結婚し日本暮らしをしている方もいらっしゃる。
お互いの名前も暮らしているフロアも知らず、交流と言えるような関りは無いのだけれど、
ここの住人だろうという共通認識のもと、エレベーターホールで顔を合わせれば会釈をする程度の間柄である。
その日は、エレベータ内でお子さんも一緒になった。
いつものように会釈をすると、お子さんが日本語で「こんにちは」と言った。
最近は、子どもに安易に声をかけてはいけないと、挨拶さえも躊躇する世の中なのだけれど、
子どもの方から、大きな声で挨拶をされるのは、こんなにも清々しい気持ちがするものだったかなと、不思議で少しばかり懐かしい感覚を覚えつつ、私も慌てて「こんにちは」と声を出した。
1階に到着して扉が開くと、びゅんっと音がしそうな勢いで子どもが飛び出したのだけれど、父親がそれを「マイク、走らないで」と言って呼び止めた。
親子の背中を見送りながら、あの子はマイクと呼ばれていたけれど、本当の名は何なのだろうかと。
外国人の方の愛称は、独特だといつも思う。
ある日、「マギーです、よろしくね」という自己紹介を頂戴し、数年交流をしていた女性がいたのだけれど本名がマーガレットだと知ったのは1年以上経ってからのことだった。
またある時は、エリザベスという名の知人がいたのだけれど、
彼女のことをリズと呼ぶ人、ベティーと呼ぶ人、リリベットと呼ぶ人がおり、全く会話が噛み合わなくなるという妙な事態に陥ったこともある。
このエリザベスという名の知人は、子どもの頃に日本で暮らしていた経験があり、とても流暢な日本語を話すことができる頼れる存在だったこともあり、
会話が噛み合わなくなり大変だったと漏らすと、エリザベスという名に対して使われる愛称は、ざっと数えただけでも20近くあると教えてくれた。
何か法則のようなものがあるのかと尋ねると、フィーリング?という曖昧な返事が返ってきた。
当時の私は、眉間にシワでも寄せてしまったのだろう。
エリザベスは、「テキトーよ、テキトー」というようなことを言っていたと記憶しているのだけれど、「そうだとしても……」と胸の中がモヤモヤとした。
そして、その日の私が耳にした名はマイクである。
本名がマイクという可能性も無くはないのだけれど、マイクは、マイケルやミシェルという名の愛称として使われることがある。
他にもマイケルやミシェルはミッキーと呼ばれることもあるから、次回会った時にはマイクではなくミッキーと呼ばれている可能性も。
あの時解消することができなかったモヤモヤが、思わぬ形で再来である。
マンションを出てパン屋へ向かう道すがら、外国の方の愛称と本名の違いは私にとって、永遠に理解不能なのだろう。
随分と長い年月を経てそのような答えに到達した2019年である。
洋画などをご覧になる機会がありましたら、この人の本名は?そのような視点で耳を澄ましてみてはいかがでしょうか。
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