信号待ちの間、ぼーっと信号機を眺めていて思い出したことがある。
もう随分と月日が経ってしまったけれど、英国暮らしをしていた頃の知人が、日本へ遊びに行くので会わないかと連絡をくれた。
日本には、どれくらいの期間滞在するのかと問えば、今の予定では1か月だけれども、その時の気分で1か月半までなら滞在できると言った。
今でこそ“働き方改革”という流れが起きている日本ではあるのだけれど、外国でよく耳にするこの手の話を当時の私は夢のようだと思って聞いていた。
知人は、夏休みは子どもだけにあるものではなく、大人にもあるもの。誰にでも平等にあるものだと思うけれど、違うの?と真顔で言った。
「そう思う」という気持ちと「現実的な諸々」との板挟みになっている自分に気が付いた会話だったように思う。
大人の夏休みを使って来日した友人と、そのような話から記憶に残らないような、それでもキラキラとしたくだらない話を、飲食店をハシゴしながら楽しんだ。
次のお店へ向かっている最中の信号で、「信号が青に変わったから渡ろう」と言う私に知人は、「あれはグリーンでしょ?どうして青というの?」と指摘した。
当時は即答できなかったけれど、後にこれは、日本人が色とどのように関わってきたのかが透けて見えていたのだと知った。
今回は、そのような色のお話を少し、と思っております。
ご興味がありましたら、ちらりとのぞいていってくださいませ。
日本には、「青信号」や「青リンゴ」など、緑色を青と表現するような場面がありますよね。
よくよく見れば、青信号の青は緑色をしているし、青リンゴと呼んでいるリンゴも緑色です。
実はこれ、色そのものを表している表現なのではなく、明るい、暗い、濃い、薄い、という違いを表していた頃の名残りだといいます。
古事記や日本書紀といった古い書物にも色を表現するような場面がありますが、使われている色の表現は、赤、黒、白、青の4色のみなのです。
どの時代が境目になっていたのかは私の記憶に残っていないのですが、平安時代の書物の中では4色に留まらず、現在に近い色彩感覚での色の呼び名が登場しているため、
どこかのタイミングで、色の表現が豊かになったことが分かります。
ただ、その境目までは4色のみで世の中にある全てのモノゴトの色を表現していたことを思うと、
これはこれで、とても細やかな感性で色を見て感じて表現していたのだと思います。
古事記や日本書紀を読み返してみても良いのですが、時間もかかりますし古い書物は苦手だという方もいらっしゃるかと。
そのような場合でも、手っ取り早く色の表現が4色しかなかったことを感じられる方法があります。
それは、これだけカラフルな世の中になった現代でも、色名に「い」を付けることができるのは、赤い、黒い、白い、青いの4色のみで、他の色に「い」を付けることはできません。
そして先ほど、この4色は、明るい、暗い、濃い、薄い、という違いを表していた頃の名残りだと言いましたけれど、
これらは「明⇔暗」「濃⇔薄」というように違いをセットにすることができますが、赤白、白黒、赤青というように、言葉の世界や物語の世界、組み分けなどで、このような組み合わせができるのも、この4色です。
他の色名ではできないことが、この4色ではできることからも、
ある時代までは、この4色のみで世の中にある全てのモノゴトの色を表現していたことが分かるかと思います。
どうしてこの4色だったのかということですが、
赤は「明るい」から、黒は「暗い」から、白は「著し」と書いて「しろし」と読むことから、青は「淡い」から名付けられたようです。
熟していないリンゴを青リンゴと表現することがありますが、
青のもとになっている「淡い」という言葉から薄い、若い、フレッシュ、未熟といった状態を連想することができることから青リンゴと。
あと、若者のことを「まだまだ青いね」「青二才」などと言うことがありますけれど、これもこの「淡い」から繋がっている表現です。
これだけカラフルな世界を体験し、それを表す表現までも手にしてしまうと、
身の回りのものを、赤、黒、白、青の4色のみで表現することは難しいですし、
何より、共通認識として使いこなせる自信が私にはありません。
それでも、青信号、青リンゴ、青二才など、身の回りのモノゴトや言葉を見渡してみると、知らぬ間に感性ごと受け継いでいるものがあることに気が付きます。
この4色に触れる機会がありましたら、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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