インテリア雑貨を扱う店内を見て回っていたときのこと。
不思議の国のアリスをモチーフにした素敵なオルゴールボックスを見つけた。
蓋を開けると、何という曲なのかは分からなかったけれど、優しいメロディーが繊細な音色で奏でられた。
子どもの頃、いくつかのオルゴールを持っていたのだけれど、現在、手元に残っているものは一つもない。
幼き頃の私が、何を小さな箱の中に見ていたのかまでは覚えていないけれど、
オルゴールを手にしたときのワクワクする感覚やあの小さな空間をとても大切にしていたことは、薄っすらと体に残っているように思う。
そのようなことを思いながら、素敵な装飾が施されたいくつかのオルゴールを眺めていたのだけれど、レジの方から大きな声が聞こえた。
私を含めた近くで商品を眺めていた人たちが、ゆっくりとレジの方へと視線を向けた。
大きな声をあげたのはお客さんの方だったのだけれど、漏れ聞こえてくる内容から対応に問題があるのは店員の方であることが伝わってきた。
店員とお客さんの会話が噛み合わず、折り合いも付かず、最終的にはお客さんの方がイライラしてしまったことを謝罪し、その場を去って行った。
詳細までは分からないため、この時のことに関して何かを思うことはないのだけれど、イライラすることは誰にでも起こることである。
イライラを感じたとき、私たちの頭の中や感情の中では、相手やその時の状況やその他諸々に思考を巡らせて、そのイライラを解き放つか否か、考えているようなこところもある。
そして何となくイライラすること=ダメなことだとだと感じていたりもして、怒りをぐぐっと押し込めることも少なくない。
私が社会人なりたての頃、今回の出来事に似た場面を目にしたことがあった。
それは、仕事をご一緒した先輩方との打ち上げと称した食事会の場だったように記憶している。
すると、横に座っていた先輩がこのようなことを言った。
時々、接客態度が悪い店員にあたってしまってイライラすることがあるけれど、それは、その店員とは違う接客が自分にはできるという印でもあると。
ダメ出しのような視点のみで見てしまうとイライラはイライラでしかないのだけれど、
イライラを通して今の自分ができることを見つけられたと思うと、イライラが自分の長所を知るサインに変わることがあるのだと。
その方は、大人の対応ができる方だったけれど、自他ともに認めるくらい短気な面も持ち合わせており、そこが不思議とチャームポイントでもあった。
そして普段は、そのようなことを考えながら怒りを収めているのだと笑っていた先輩の姿がずっと印象に残っている。
様々な立場や年齢、関係性の相手とのやり取りの中で、「こうすればいいのに」「こうしてくれたらいいのに」とイライラしてしまうことはあるけれど、
それを異なる視点から見てみると、自分の長所や得意なこと、自分ができることを知る機会であると同時に、相手にとっては少し苦手な局面であるということを知ることでもある。
私は、いつ何時でもそのような視点に切り替えられるとは言い切れないのだけれど、イライラしそうな予感を察知したときには、この視点を使って自分をクールダウンさせることがある。
イライラしそうな予感を察知したときには、イライラを収める手段にするもよし、自分ができることを知る機会にするもよし、イライラを収めてできた余裕で相手を思いやるもよし。
ここから先は自分流にアレンジしつつ、イライラの感情とも、程よい距離感でお付き合いしてみるのはいかがでしょうか。
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