自宅近くにある神社では、季節の果実酒がお神酒として販売されている。
その果実酒のファンである友人から、時間が出来たときでいいから手に入れておいてほしいと頼まれたのが、今年の節分過ぎである。
なかなか会えていないことを理由に、そのミッションを果たさぬまま、時は既に春。
そろそろ準備でもと思い出したこの機会を逃してはならぬ、そう感じたものだから、出かけついでに神社に立ち寄ることにした。
お詣りを済ませ、数匹の神社猫たちと挨拶を交わしたあと、無事に友人お目当てのお神酒をいただいた。
社務所そばに立つ立派な桜木は若葉に覆われ、小さな木陰を落としていた。
神社内を散策しながら参道へ向かって歩いていると、偶然、高校生の告白の場面に遭遇してしまった。
想定外の出来事に私の心臓が静かに強く脈を打ち始めた。
メールやSNSじゃないのだろうか?神社を選ぶなんて渋いな。最悪のタイミングで邪魔をしてしまって申し訳ない。
様々な思いをグルグルと巡らせながら足早に参道への道を急いでいると背後から女の子の「ごめんなさい」という声が聞こえた。
砕け散ったか……と少し先の空を仰いだ時、再び背後から聞こえてきたのは、妙にホッとする二人の笑い声だった。
多分、少年が思い願ったような形ではなかったかもしれないけれど、それとは違う素敵な形で繋がっていくような雰囲気をまとった笑い声だったようにも思う。
ひと昔前であれば、男性からの告白に対して女性は、言葉の代わりに着物の袖を使って返事をしていたという。
相手の思いに応える意志があれば袖を左右に振り、応えられないのであれば前後に振るといった具合である。
もとは、踊り子たちの振り付けの中に似たようなものがあり、それを当時の女性たちが真似たことがきっかけで生まれた意思表示なのだそう。
いつの間にか世の中の流行りがひとつのスタイルとして成立し、更には、この袖振りの仕草から「振った、振られた」という言葉が生まれ、
時代を経た今でも色恋ごとの場面で使われているというのだから、何が時代を越えて受け継がれていくのか分からないものである。
そのようなことを思いながら参道を歩いていると、明らかに少年の友人たちであろう数名が、何やらソワソワとしながらじゃれ合っていた。
「もうすぐ君たちの出番だよ」と心の中で呟きながら神社を後にした。
春の甘酸っぱいひとコマである。
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