体の電池が切れかけたものだから、その場から一番近い、軽食を摂ることができる喫茶店へ入った。
お昼時でもおやつ時でもない妙な時間帯だったけれど、飲み物とホットサンドを注文し、やっとひと息つける安堵感とともに、しばらくぼーっとすることにした。
スマートフォンも手帳も本も鞄から出さず、しかし、間の抜け過ぎた表情になってしまわぬよう、もう少しだけ背筋を伸ばして脱力するのだ。
透明の氷がゴロゴロと入ったグラスの水を喉奥へと流し込むと、体の中心から四方八方へと冷たい水が染み渡っていく感覚が心地よく、ふと夏の気配を感じたような気がした。
しばらくすると、背後から「お飲み物と一緒に、こちらの自家製チーズケーキはよろしかったですか」と聞こえてきた。
自家製チーズケーキがあるのかと、テーブル端に立てかけてあったメニューをチラリと見ていると、「よろしいです」と聞こえた。
この手の言葉は、扱いが難しい言葉である。
この手のというのは、「よろしい」や「結構」といった肯定とも否定とも取ることができる言葉。
相手との意思の疎通が出来ていなければ、会話が通じないという事態に陥ることがある。
果たして、店員と背後の席に座っているお客さんとの意思の疎通度は如何程か。
そのようなことを思いつつ、運ばれてきた作りたてのホットサンドに手を伸ばした。
ホットサンドの美味しさに気を取られて背後のやり取りのことを忘れかけていたときだった。
「チーズケーキは注文していないんですけど」というお客さんの声がした。
見えはしなかったけれど、背後から感じる店員の困惑気味の空気に、今回は通じ合えなかったのかと思った。
店員は自分がおすすめした自家製チーズケーキに対して、よろしいですと言われたため、「良いですね、それも下さい」という意味で「よろしいです」を捉え、
お客さんは「不要です」という意味で「よろしいです」と返していたのだ。
「よろしい」も「結構」も両方の意味で使うことができるけれど、何となく「よろしい」は「良い」という印象が強く、「結構」にはお断りの印象が強いように思う。
ただ、そう決められているわけではなく両方の意味が含まれている以上、
相手との意思の疎通具合を感じ取ったり、想像力を働かせるなどして会話をしないと、日本語なのに、日本人相手なのに通じないという妙なことが起こるのだ。
私は、これだから言葉は面白いと思ってしまうのだけれど、同時に大切に扱わなくてはとも思う。
そして、接客用語というものに対しては各々の立場もあり、賛否両論あるけれど、
考えて言葉を発するという機会を奪いすぎてしまうと、知らぬ間に想像力や思いやりが削ぎ落されていくのではないだろうかと思ったりもする。
店員が手にしているトレーに乗った自家製チーズケーキはテーブルに置かれることなく、キッチンへと戻って行った。
皆さんも、「よろしい」と「結構」の罠にご注意あれ。
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