ツイている、そう思うようなことが2、3続いた。
友人に、昨夜、肌触りが良いお気に入りのパジャマで眠ったから元気を充電できたからだろうか?と言うと、楽観的すぎると言って笑われてしまったけれど、多分、今の私は私が思う以上に心身が軽やかなのだろうと思うことにした。
確か、このような良き事が重なったり続いたりと、自分や時の流れに勢いがあるときのことを「男時(おどき)」と言う。
男時(おどき)とくれば「女時(めどき)」もあるのだけれど、女時(めどき)は男時(おどき)とは真逆で、
何をどうしてみても上手くいかず、自分に対しても自信がなくなり、不安で勢いも無いようなときのことを指す言葉だ。
一見すると男尊女卑を思わせる言葉で、今の時代にはナンセンスだと言われ兼ねないのだけれど、
これは決して性差別的な表現ではなく、古より男性を陽とし、女性を陰とする陰陽五行説の考え方をもとにした表現で、
能楽の世界をまとめ上げたと言われている世阿弥という役者が、芸事に絡めて語った言葉だという。
男性にも「女時(めどき)」があり、女性にも「男時(おどき)」があるし、
個人だけでなく、各々が身を置いている様々なチームの中、
例えば会社や家族、市町村や都道府県、国もある意味チームと見て取れるけれど、そのようなチームの中にも、「男時(おどき)」「女時(めどき)」の時や流れがあるということである。
そして、ものごとというものは、時の流れが関係するもので、誰にでもツイているときと、そうでないときがあるものなのだから、
無理に逆らおうとせずに受け入れて、「男時(おどき)」のときには調子に乗り過ぎないように注意し、「女時(おどき)」のときには必要以上に落ち込まず、広い視野でものごとを見て、感じて、自分自身を整えるための言葉として使われていたようである。
当時は大失敗だと思っていたことが数年後、貴重な経験だったと感じることがあるし、
失敗したことによって方向転換しなくてはいけない状況になったけれど、今思えば、あの方向転換は自分にとっての正解だったということもよくある話だ。
何が失敗で何か正解か、単純に分かることは、実際のところそう多くはないのかもしれない。
そう思うと、必要以上に不安になることも調子に乗りすぎてしまうことも減り、肩に入っていた力がストンと抜けるような気がしたりもして。
とりあえず、いくつか続いたラッキーをムフフ♪としっかり喜んで、
今宵も肌触りが良いお気に入りのパジャマで眠りにつこうと思った日。
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