ワンピースの裾からひょろりと糸くずが垂れていた。
逃がすまいと意気込んで糸の端を指先で摘まんで引き上げると、マジシャンが世界中の国旗を取り出すときのように、するするするっと裾上げを縫い留めていた糸が、胸元近くまで抜けてしまった。
縫い留めている糸かもしれないと薄っすら脳裏を過ったにも関わらず、糸くずであろうと思い込んで出だし部分を少々強引に引き抜いたからだと反省した。
出かける前でラッキーだったと思い直しながら急いで着替え、呼吸を整えて家を出た。
糸を引き抜く手をもう少し早く止めていたならば、針仕事の分量も減ったのだろうかと思ったけれど、
面白いほどにするするするっと抜けた感覚を思い返し、きっと針仕事の量が変わることは無かっただろうという結論に達した。
糸と言えば、糸偏の文字は多数ある。
絆、縁、続く、結ぶ、終わり、織る、紡ぐなど、探せばもっと出てくるけれど、糸を使う文字には人と人の結びつきを意味する文字が多いことでも知られている。
いつだったか、当時、お仕事をご一緒していたご年配の方とこのような話をしていたのだけれど、思いついた文字を口に出しながら確認していた私が、
「終わり」という字は結びつきや、結びつきを続けていくような意味ではないから「終」は例外の部類に入る文字ですねと同意を求めたところ、
「終」も次に繋がる文字に分類されるのではないだろうかと思っていると返ってきた。
「終」という文字は、「糸」と「冬」という文字から出来ているけれど、これは糸を全て巻き終えた区切り良い状態と、1年を締めくくる最後の季節という意味があるのだそう。
ここから想像できることは、巻き終えた糸のかたまりは1個止まりではないだろうし、季節も冬の後には再び春がやってくるのだから、確かに終わりはするけれど「終」は次へ繋がるための「終わり」ではないだろうかとおっしゃるのだ。
話終えた後、勝手にそう感じているだけだと謙遜されていたけれど、素敵な視点だと感じた私は、その場で大きく頷いたように思う。
先人たちが糸に様々なものを重ね、込めて、託し繋いできたという類の話は、色々と残っているけれど、こうして、文字そのものにもさり気なく刻まれているようだ。
いつぞやかに交わした会話を思い出しながら、とても穏やかな気持ちに包まれていたのだけれど、次の瞬間、帰宅したら針仕事が待っていることも思い出した夕暮れどきである。
糸偏の文字を目にする機会がありました際には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。
もちろん、私の失態ではなく文字に刻み込まれている、人と人の結びつき等々を。
本日も、良き日となりますように☆彡
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