2020年の東京五輪に向けて、至る所で様々な準備が行われていることを感じる瞬間が増えてきた。
電車内の路線図や公共施設内にある案内板などもその一部で、誰が見ても分かりやすいように、説明しやすいようにという視点で改良されたことが窺えるようなものが増えている。
郷に入っては郷に従えという過ごし方も旅の醍醐味のひとつだと思うけれど、世界規模のイベントが行われるホスト国の立場となれば、迎え入れる側も足を運ぶ側も普段通りにとはいかないのだろと、呑気なことを思いながらエスカレーターに乗った。
エスカレーターと言えば、日本は一部地域を除いて左側通行である。
車も左側通行だけれども、これは世界から見ると少数派に分類される。
「日本は左側通行、ただそれだけのこと」
当時の私はそう思っていたのだけれど、あるとき、この左側通行は刀文化の名残だという一説を目にした。
日本が左側通行になったきっかけの一説は、刀を携帯している侍たちがいた時代にまで遡るという。
彼らは、刀を左側の腰にさげて歩くため、刀の鞘を人に当ててしまわぬよう、道の左側を歩いていたようなのだ。
全ての侍たちが道の左側を歩けば、人だけでなく鞘と鞘をぶつけてしまうこともないため、刀を持つもののお作法のようなものだったのかもしれない。
だけれども私自身は、全ての侍が左側を選んで歩いていたのだと感じられるほどの記述や絵を目にする機会がなかったため、
そのような配慮をして歩いていた侍もいたのだろう、という解釈に留まっている。
また別の機会には、このような説を目にした。
外国では、馬車を扱う際に右手で鞭を使うことが多かったことから、右側通行が定着したのだと。
しかし、イギリスは日本同様に世界でも数少ない左側通行の国である。
ここでも多くの説が挙げられており、どれが真実なのか、私には判断できないのだけれど、イギリス以外の国々は、国境問題や主導権争い、階級などによって通行できる側が決められる中で、右側通行と左側通行のルールを行き来した後、多くの国が右側通行のスタイルに定着したという。
日本は、イギリスの鉄道スタイルを取り入れたこともあり、人や車などの左側通行が正式な日本スタイル、法律として定着したとも言われているようだ。
様々な説があることから勝手に想像するに、様々な理由が合わさって選ばれた左側通行なのだろうけれど、2020年の東京五輪で初めて日本と言う国に足を踏み入れる人々に、この左側通行がどのように映るのだろうかと思ったりもする。
観光客の高揚感を後押しする、小さな非日常のひとつになったりもするのだろうか。
実際のところ、右側通行か左側通行かの違いは、大した問題ではないけれど、自分にとっての常識が常識ではなくなる経験は、広い視野で感じてみると貴重な経験のひとつであるようにも思う。
五輪に秘められた可能性は、思いのほか広くて深いものなのかもしれない。
そのようなことをポツリポツリと思いつつ、真新しい案内板を見上げた日。
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