最上階に止まっているエレベーターが下りてくるのを、表示パネルを眺めながら待っていると、
壁に細い枝木がくっついていることに気が付いた。
何をどうしたら、この素材の壁に枝木がくっつくのだろうかと不思議に思いながら眺めていると、それが枝木に擬態化した虫だということに気が付いた。
人間の視線を感じ取って枝木に擬態化したのだろうけれど、場所が悪かった。
そこは大自然の中ではなく、見渡す限り人工物しか存在していないエレベーターホール。
そして、虫がくっついている場所は黒光りしている御影石素材の壁である。
御影石の色を真似て体の色を黒く変化させたのだろうけれど、枯れ枝のようなその色は、少々浮いて見えた。
それでも、人間やその他の外敵に見つからないようにピクリとも動かぬ化けっぷりが妙に健気に見え、笑ってしまいそうになった。
1階に下りてきたエレベーターに乗り込んで目的階のボタンをギュッと押して思う。
あの虫の名は何だっただろうかと。
確かに見覚えある風貌をしていたのだけれど、いつの頃からか、すっかり苦手になってしまった「虫」。
虫たちの名も、随分とたくさん忘れてしまったように思う。
用事を済ませてエレベーターで1階へと下り、先ほどの枝木に化けていた虫を探すと、エントランスへと向かい移動中であった。
そして、その虫が「しゃくとりむし」と呼ばれていたことを思い出した。
焼き鳥の串をひと回り細くしたような、草木の細枝ほどの太さをしており、普段は若草色をしているのだけれど、体の色を必要に応じて枯れ枝のような色に変え、ピンと体を伸ばして危険を回避する虫だ。
人間が「しゃくとりむし」の存在に気が付いて指先で突いても、慌てず枯れ木に化けてやり過ごそうとするという。
しかし、一番の特徴と言うべきか、チャームポイントというべきか。
それは、あの細い枝のような体を支えている、先端と後端にある足を使った歩き方だ。
彼らは歩くときに、先端にある前足で体を支えながら、後端の後ろ足を少しずつ前方へと手繰り寄せられるようにして引き寄せ、前足と後ろ足がくっついたところで頭と前足を前に伸ばす。
最もイメージしやすいのは、親指と人差し指の先端をくっつけた状態でテーブルに乗せ、人差し指を進行方向へと伸ばし、人差し指の先端をテーブルに押し付けた状態で親指を人差し指の位置まで移動させる。
これを繰り返しながら、進行方向へと指を進めるといった動作だろうか。
効率が良いのか悪いのか判断し難い歩き方だけれど、この愛嬌ある歩き方のおかげで割と多くの人に知られている虫である。
そう言えば、この虫が職場に紛れ込んでいたことがあった。
その時に、この「しゃくとりむし」に全身の長さを測り終えられてしまったら命を落とすという言い伝えがあることを知った。
その由来も、真意も分からぬままなのだけれど、この話を初めて聞いたというメンバーの中の一人が、測り終えられたら……ではなく、既に命を落としてしまっているから「しゃくとりむし」に全身の長さを測られていることに気が付かないのでは?と指摘し、なかなか鋭い視点だと感心したことをこのタイミングで思い出した。
どのような背景で、そのような言い伝えが生まれたのか、興味が無いわけではないのだけれど、あの愛嬌ある歩き方を眺めていると、そのようなことなど、どうでもよく思えてくるから不思議である。
何の幼虫なのかさえも存じ上げないのだけれど、あの愛嬌ある歩き方は、様々な意味で生き延びるためのものなのかもしれないと思ったりもする。
少しずつ、枯れ枝が増えてくる頃でもあります。
枯れ枝に触れる際には、「しゃくとりむし」の擬態化にご用心下さいませ。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/