幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

お宝は非日常の中ではなく日常の中に。

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駅のホームに立っていると線路を挟んだ向かい側のホームに設置されたベンチに男性が一人座っていた。

何となく視界に入っていたその方は、脇に置いていた鞄の中から紐状の何かを取り出して、その先端を左右の耳へと運んだ。

ホーム間の距離が長かったこともあり、私はてっきりイヤホンで音楽か何かを聴き始めたのだろうと思ったのだけれど、次の瞬間、その方はキラリと光るものを自分の胸周辺へと当て始めたのである。

その光景を目にした私は、「知っている、この光景」と思った。

私の知人にもいるのだけれど医療従事者である知人の一人は、鞄の中に常に聴診器を忍ばせており、時折それを鞄の中から取り出しては自分の心臓の音を聞くということをしていた。

向かいホームにいる男性の動きも、私が知るソレ、そのものだったのだ。

全ての医療従事者の方が、所かまわずにそのようなことをしているわけではないけれど、体温計で熱を計るのと同じような感覚で、自分の健康状態を知る術のひとつなのだろうと私は勝手に解釈している。

持っている知識や知恵の使い方や使いどころは、人それぞれである。

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そう言えば、私たちが子どもの頃から見慣れている聴診器は、いつぞやかの時代に、若いフランス人医師が発明したものだと何かで読んだ記憶がある。

聴診器が無い時代の医師たちは、耳を直接患者の胸に押し当てて心臓の音を聞いており、当時はこれが当たり前だったそう。

しかし、聴診器を発明した若い医師は、医療行為とは言え、耳を同じく若い女性患者の胸に押し当てて心臓の音を聞くことが恥ずかしくてたまらなかったのだとか。

そこで、どうすればこの恥ずかしさから解放され、診察に集中できるだろうかと考えていたときに、木の棒を使って暗号を伝える遊びに興じていた子どもたちを目にし、

そこからヒントを得て、紙を筒状に丸めたものの端を患者の胸に当て、もう片方の端には自分の耳を当てて音を聞くことを思いついたのだそう。

患者の胸に直接耳を押し当てて聞くよりも紙筒を使った方がよく聞こえることが分かり、これが聴診器の原型となり、木製の聴診器が生まれたという。

耳を直接胸に押し当てて行う診察を想像すると、医師も患者も落ち着かなかったことだろう、と思うのと同時に、現在のような聴診器がある時代の住人でよかったと思った。

そして、木製の聴診器が生まれたからこそ、彼は自分で自分の心臓の音を聞くことができるのだなと、ホーム向かい側の男性を眺めながら思ったりもして。

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あれも、これも、全ては、日常の中にあるちょっとしたキッカケから生まれている。

お宝は非日常の中ではなく、極々普通の日常の中に在る、ということなのかもしれない。

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