我が家には砂時計が2つある。
ひとつは、英国暮らしを始めた頃に美味しい紅茶を淹れるために購入した手のひらサイズの小さなものだ。
どこどこの砂時計というようなスペシャルなものではなく、もうあまり記憶に残っていないけれど、観光地としても名が知れているコヴェントガーデンという地区に在る、雑貨店で購入したように思う。
目的が目的だっただけに、それほどの拘りはなく、オーソドックスなデザインと手頃な大きさ、そしてお手頃価格という3拍子が揃い持ち帰ったものだ。
きっと、ワンコインでおつりがきて、そのおつりでビールくらいは買えたのではないだろうか。
そのくらい、気軽な買い物だったのだ。
中の砂は鮮やかな濃い目のピンク色をしており、流線形のガラスを囲む外枠は渋いブラウンカラーに塗られた木製で。
何だか、ポップとシックを、古と未来を行き来するような、ちょっと不思議な組み合わせの砂時計だ。
すぐに壊れてもいいやと軽い気持ちで購入したけれど、この砂時計は紛失ぜず壊れることもなく、未だに私の手元ある。
親元を離れてから、両手では足りないほどの引っ越しを繰り返しているにも関わらず、である。
ただやはり、買ったときのままの姿という訳ではなく、ブラウンカラーの外枠は、重ねた年月の分だけ味が出てきており、デザインの好み云々とは別次元のちょっとした相棒のような空気を纏う様になった気がしている。
あの時の私は、どうしてあんなにもポップなピンク色の砂を選んだのだろうかと思うことが今でもあるのだけれど、眠り足りない朝も、朝焼けを確認してから眠りにつく日も、心身ともにスッキリと元気に満ちた朝も、ほっと一息つくためのカップを選ぶときも、元気を発してくれていることに気が付いた今では、私に必要な色だったと思っている。
その日も、砂時計を使って紅茶を淹れていたのだけれど、砂時計は、ちょっと目を離した隙に、あっという間に砂が落ちきってしまい、正確な時間を計り損ねることも往々にして。
だから、つい計り直しなんてことをすることもあるのだけれど、ふと、英国で耳にした、砂時計は自分の一生を表しているようなものだという話を思い出した。
時間は目には見えないけれど、上の空間にある砂は未来の時間で、下の空間にある砂は過ぎ去った過去の時間。
待った無し、やり直しも無し、よそ見をしている暇などないことを、やんわりと伝えてくれているように感じられるのだという話である。
この話を聴いて、何となく過ごすこともできる日々だけれど、私は私なりの丁寧さをもって過ごす日々を重ねたいと思った。
成功や失敗なんかはひょいっと飛び越えて、心残りのない日々を。
だから、ズボラをするのも、ぼーっとするのも、道草だって、ある意味、真剣なのである。
ん!?今回のお話はこんな着地で大丈夫だろうか。
まぁ、柊希らしいということで着地してしまおう。
ふたつめの大きな砂時計のお話もと思っていたのだけれど、今回はこの辺でお開きに。
本日も思い思いの素敵時間をお過ごしくださいませ。
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