今日も陽射しが丸い。
姿形は分からないけれど、角がとれて丸みを帯びたような陽射しは柔らかく、夏のそれのように肌をジリジリと焦がすような強さがなくてホッとする。
しかし、油断するなかれ。
窓際でその陽射しを浴びながら空でも眺めていようものなら、容赦なく肌が焼けるのである。
その日は、うっかり日焼け止めを塗り忘れたまま外出してしまっていたのだけれど、そのような時は、今日は日光浴をして骨を強くする日だから多少の日焼けは想定内だと自分を納得させることにしている。
少し気にしつつも想定内、想定内と脳内で呪文のように繰り返していると、陽だまりで日光浴をする香箱座りの猫2匹を見つけた。
お行儀よく手足を折りたたんだ状態で並ぶ姿は、彼らの茶色い毛色も相まって、焼き上がったパンが2斤、並べられているように見えた。
「美味しそう」
私の心の声が聞こえたのか、片方の猫がそのままの体勢で薄目を開けてこちらへ視線を向けてきた。
それはまるで、「昼寝の邪魔をするなどといった無粋はご遠慮願いたい」と先手を打たれたようでもあり、撫でたい気持ちをグッと堪えて彼らの前を通り過ぎた。
英国では、一斤のパンを購入するおりに「“ひとかたまりのパン”をください」と言うのだけれど、その「ひとかたまりのパン」のことをキャットローフと呼ぶことがある。
ローフはミートローフという単語にも入っている、あのローフと同じで「かたまり」を表す単語だ。
茶色い毛色をした猫の香箱座りの様が、パンのかたまりに似ているところから猫に対してだけでなく一斤のパンに対しても使われるようになった表現なのだとか。
しかし、私は英国のパン屋で「キャットローフをください」とは一度も言えず、教科書通りに「“ひとかたまりのパン”をください」と言っていた。
私が「キャットローフ」という表現を使ったとしても、パン屋は私にパンを売ってくれたと思うのだけれど、お店の方との間に、それなりの人間関係を築かなければ使ってはいけないような、砕けた表現のような印象があり、尻込みしていたのである。
日本でもあるではないか。
外国人観光客の方が、覚えたての砕けた日本語で声をかけてくるのだけれど、それは相手を選んだ方がいいですよと心の中で感じてしまうようなこと。
それに、周りのお客さんたちもキャットローフと言っている様子が無かったものだから、調子に乗っている日本人と思われたくなかったというのも理由のひとつだったように思う。
知人たちから一斤のパンを表す言葉として教えてもらったキャットローフは、私にとって、そのようなにおいを放っている言葉である。
試す機会は無さそうだけれども、秋の陽射しを浴びながら香箱座りをしているの猫(キャットローフ)を目にして、確かに一斤のパンのようだと思った、ある晩秋の日。
一斤のパンや香箱座りしている猫を目にする機会がありました際には、今回の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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