この時季の、ささやかな楽しみのひとつは金柑だ。
存在感を放ち合うフルーツが山積みにされている一角の、更に端の辺りで透明カップに入れられた状態で置かれていることが多いように思う。
駄菓子屋さんに売っていそうな、粒々とした砂糖がまぶしてある大玉キャンディーくらいの大きさの金柑が、カップの中でゴロゴロとしている様子にテンションがあがるのは、子どものころから好きなフルーツのひとつ、だからだろう。
今思えば、子どもが好むものとしては珍しいもののように思うけれど、薄れかけの記憶を辿ると、私が口にしていた金柑のほとんどは、甘露煮ではなくフレッシュな金柑だった。
それを、ひと口蜜柑のようなイメージで口にしていたから好んで口にしていたのではないだろうかと推測してみたりする。
金柑はそのままが美味しいという理由からなのか、単純に甘露煮にするのが面倒だったからなのか。
我が家の場合は、99%の確率で後者だったように思うのだけれど、きれいに洗った金柑が深めのフルーツボウルに入れられてテーブルにドンッと置いてあった。
これを、リビングを通る度に一個、また一個と口の中に放り込むのである。
立ったまま口の中に放りこむときの、お行儀が悪いことをしているかもという何とも言えぬ感覚と、口の中でパチンッと弾ける金柑の食感の楽しさ、そしてあの甘酸っぱさが混ざり合い、子ども心に響いていたのだろうと思う。
時折、皮が苦いものに出くわす瞬間もあったけれど、しっかりとした甘みを含んだ皮をした金柑があるということを、母か祖母に教えられていたこともあり、苦いものを口にしても金柑を嫌いになることはなく、次こそは甘い金柑を!と宝探しをするように味わっていた。
あの頃の記憶が曖昧になるほどに時は過ぎたけれど、私は今も金柑が好きである。
あの頃と少し変わったことがあるとするならば、金柑特有のほのかな苦みも大人の味として背伸びすることなく楽しめるようになったこと。
できるだけ甘酸っぱい金柑を求め宝探しをしていたはずなのだけれど、いつの間にか全てが宝になっていたのだ。
しかし、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、金柑の甘露煮も美味しいのだけれど、やはり、フレッシュな金柑をおやつ代わりに口の中に放り込むスタイルが私のスタイルのようだ。
この金柑、柑橘類ということもあり、ビタミンCが豊富だということは何となく想像できるかと思うのだけれど、甘露煮にした金柑は咳止めに良いと言われている。
咳止めとして口にする際には、そのまま食べても良いのだけれど、金柑の甘露煮にお湯を注いだものを飲みながら金柑を食べると体も芯から温まり、効き目も増すように思う。
あ、そうそう。金柑の甘露煮や金柑ジャムを作るときには、金属製の調理器具を使わない方が良いという料理家の方が多いのだけれど、これは金柑の酸と金属が反応し、味に影響が出るからなのだとか。
そう知りつつも金属製の小鍋で煮た経験しかない私は、今年は土鍋で煮てみるか?と気まぐれで思ったけれど、きっと、我が家にやってくる金柑は寒露煮になる前にお腹の中へ入ってしまうに違いない。
金柑の甘露煮は好き嫌いが分かれる一品ではありますけれど、この時季に必要な栄養も入っております。
召し上がる機会がありました折にはビタミンCの補給や風邪予防に、大人のほろ苦さと一緒に金柑の甘酸っぱさをご堪能あれ。
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