通りがけにのぞいたジュエリーショップで素敵なピアスを見つけた。
そこに並んでいた幾つかの商品を目で追い、その場を離れようとしたときだった。
卓上ミラーと、先ほどまで視線を向けていたピアスを取り出した店員に、雰囲気だけでもと声をかけられたのである。
購入の予定がないことを伝えたのだけれど、半ば強引なお誘いを受けたものだから、ピアスホールが開いていないことをアピールしてその場を離れることとなった。
そもそも私の耳はピアスホールを開けた経験がないのである。
それならば、どうしてピアスが並んでいるショーケースを覗き込んだりするのかと言われてしまいそうだけれど、
単純に、イヤリングよりもピアスの方が好みのデザインが多く、身に着けることはできないけれど、時折目にすると、何だか気持ちが豊かになるような気がするのである。
きっと、花を愛でるときのそれに共通するような何かがあるように思う。
ピアスを身につけたいと思ったことは数えきれないほどあるけれど、非常に過敏な肌を相棒としている私は、起こり得る厄介な状態がババババッと幾つも頭に浮かぶものだから、
危うきに近寄らずという気持ちと、何か起きたときのケアを思うと、ときめきよりも面倒な気持ちが勝り、開けぬまま今に至っている。
素敵なピアスを見つけたときなど、時折、一度くらいはピアスを経験してみても良かったのではないかしらと思うこともあるけれど、その度にピアスホールの都市伝説があったことを思い出すのだ。
どれほどの方が知っている話なのか定かではないけれど、「どこぞやの誰かがピアスホールを開けると、その穴から白い糸が出てきたので、その白い糸を引っ張り出したところ、目の前が暗くなり、失明した。」そのような話だったように思う。
随分と大人になってから話の出どころを辿ってみたのだけれど、耳には様々なツボがあり、ピアスホールの定番位置辺りに「目」に関するツボがあるから、このような伝説が生まれたのではないかという説や
一部の大人たちが、子どもたちが無茶な方法や誤った方法でピアスホールを開けてしまぬようにと作った、作り話なのではないかという説を多く目にしたけれど、ここが出所だと言えるほど確かなものに出会うことはできなかった。
都市伝説に登場する白い糸は視神経だという話だったと思うのだけれど、
耳に開けたピアスホールから視神経が出てくることはないと知っている今でも、この話を見聞きすると、得体の知れぬ何かが背筋をぞわぞわっと駆け抜けていくような感覚を覚えることがある。
「嘘にほんの少しの真実を混ぜ込むことで嘘にリアルさが出る」と聞くことがあるけれど、この都市伝説も耳には様々なツボが集まっているという真実と、ピアスホールを開ける定番箇所が「目」のツボであるという真実が、妙なリアルさを纏わせているようにも思う。
噂話の真実は、少し触れたくらいではわからない。
素敵なピアスを思い出しながら、そのようなことを思った日。
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