整理整頓を含めた小さな断捨離は時折行っているのだけれど、昨年末から大掛かりな断捨離を始めた。
数か月ほどの時間で物が大量に増えるようなことはないけれど、収納スペースに困っているわけではないということが良くも悪くも作用して、必要だと思い込んだまま使うことなく数年が経過しているようなものを、私は多く所有していた。
中には、ほとんど使用していないものも含まれていたりしたものだから、何となく保管し続けてきたのだけれど、そもそもそれが無くても私は快適に過ごすことができているのである。
改めてそう思ったら、それらを一度手放してしまおうという結論に至り、ゴミ出し日のタイミングと睨めっこしつつ断捨離をしてきた。
もし、このようなものが再び必要になったらどうする?と、よくある声が私の胸にもちらりと沸いたけれど、本当に必要であればその時の私に合うものを丁寧に探して新調すればよしと、こちらもまた、よく見聞きする回答を自分自身に返した。
と同時に、これからはもっと、全てを活かしきることができるような選び方をしたいとも思った。
自分にとって本当に必要な物だけを持つことで、自分によっての豊かさに気付くことができて、心豊かに生きられるという考え方のもと、持ち物を可能な限り減らして、必要最小限の物だけで暮らす人のことをミニマリストと呼ぶけれど、私はミニマリストではない。
考え方には一目置いているけれど、どちらかと言えば、所持品は多い方だ。
中には、後になって必要なかったと思えるようなものを大なり小なり入手していることもあるけれど、そこから感じられた様々が自分にとって必要なことだったり、何かに気が付くきっかけになることもあるため、結果としては無駄ではないと思っていたりもする。
結局のところ、人も物も技術も、環境や時代も、少しずつ変わっていくし、自分にとって本当に必要なものが、どのようなものなのか、数なのか、金額が関わるものなのか否かなどは、十人十色、各々の基準でいいじゃないか、という考えなのだろうと思う。
人は、新しいものを加えることで変わろうとすることがある。
もちろん、それもひとつの方法ではあるけれど、既に今の自分に不要になったものを片付けていくことで変わるという方法もある。
どちらがベストなのかは、その時々や個々によっても変わってはくるけれど、後者の方が、余計なものに惑わされずに済む見通しが良い状態の中で、整えたり、建て直したりしながら変わっていくことができるようにも思う。
まぁ、言うは易く行うは難し、ではあるのだけれど。
春よ来い、できたスペースに福よ来い。
思考の海を揺られながら、今の自分に必要がないと分かりつつも、どうしても潔く手放しきれないお洋服を眺めたりしながら、クローゼットの中を少しずつ春仕様に整え始めたこの頃である。
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