食べ時を逃してしまったポンカンが4つ、ダイニングテーブルの上で瑞々しさを失いかけていた。
どうしたものかと眺めた末、使い切りのポンカンジャムを作ることにした。
作ると言っても、4つしかないポンカンで作るのだから作業時間は10分弱ほどである。
私は購入するジャムもそうなのだけれど、ジャムにお砂糖は使わない。
糖質制限をしているわけではないし、「お砂糖」イコール「敵」だなどとは思っていないけれど、本当に必要な時や欲している時にだけ加えたり、口にするくらいでちょうどいいと感じるからである。
塩分過多が続くときにも感じるのだけれど、お砂糖の保水力の影響なのか、お砂糖過多のものが続くと体が浮腫んでしまうのだ。
やはり、お砂糖やお塩といった調味料の威力は、良くも悪くも影響力が大きい。
それでも、お砂糖を含めた糖質を完全に絶たないのは、糖質は体内でブドウ糖に姿を変えて脳にとって大切なエネルギー源になることと、糖質を含む食品には、気持ちを穏やかに安定させることに働くセロトニンの分泌に一役買ってくれる他にも嬉しい効果があるからである。
どのようなものにも長所と短所がある。
どちらかが際立って見えるときというのは、そのような視点から見ているからというような気がしているので、できるだけいい塩梅を探すことができたらと思う。
この日は、ポンカンが焦げ付いてしまわないよう、じっくりと煮詰め、無農薬の皮も刻んで入れることにした。
十分に甘く仕上がったジャムは、翌日のティータイムのおともだ。
そのまま食べるには美味しさが半減してしまったであろう見た目と化したポンカンは、ジャムになって美味しさ復活である。
人助けならぬポンカン助けを終え自画自賛しながらキッチンの片づけを始めた。
そういえば、数日前に「和歌山むき」と呼ばれる蜜柑の剥き方があることを知った。
どのような剥き方なのかと言うと、蜜柑のヘタ(頭の部分)を下にして、蜜柑の下の部分の中央に親指を刺すようにして蜜柑を縦に割るのだ。
この時にヘタの部分は辛うじて残しておき、次に蜜柑に入った縦の切れ込みが横に向くように持ち替え、同じように再び縦に割る。
こうすると、縦横十字に切れ込みが入り蜜柑は4分割に。
あとは、皮から剥がすようにして身を取り出すという剥き方である。
私はパックリと2分割に分けた後、それぞれのヘタの部分から実の塊を一度に取り出すようなイメージで皮を剥ぐのだけれど、蜜柑の剥き方にも色々とあるのだなと改めて。
私の周りには、蜜柑の裏側からバナナの皮を剥くようにして少しずつ剥き進めていき、食べ終えた後にはヒトデのような姿になった蜜柑の皮が残る人や、蜜柑のヘタから白いスジと一緒に皮を剥く人、茹で卵の殻を剥くように皮を剥く人、先ほどの和歌山むきをする人など様々。
蜜柑の剥き方を習った記憶はないけれど、家族だからと言って全員が同じ剥き方をしているということでもないようだから、蜜柑の剥き方には個性が表れるようである。
皆さんで蜜柑を召し上がる機会がありました折には、その剥き方に注目してみるのも冬の楽しみのひとつなのかもしれません。
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