ここ最近、春のお弁当をいただく機会が続いていたのだけれど、どれも丁寧な仕事ぶりが伝わってくる日本料理で全く飽きることなく堪能することができた。
小さな重箱を開けた時の、目に飛び込んでくる春の色合いは、期待感をしっかりと後押ししてくれるものだった。
同じメニューであっても、お出汁の取り方や使い方、そこに加える味付けで、これほどにも個性が出るのかと感動を覚えた繊細な職人技の数々に、私が最後に行き着くところは日本食なのだろうと感じたりもした。
幸いなことに日本には、各国の美味しい料理や多種多様な美味しさが多々あるものだから、あれもこれもと楽しんでいるけれど、繊細なお出汁を物足りないではなく、美味しいと感じられる味覚は手放したくないと思う。
日本には古より、季節や旬を先取りすることを「粋」とする風習があるけれど、日本料理の楽しみ方の中には、ひとつの食材を三度楽しむという楽しみ方があると言われている。
例えば、春の山菜。
一度目は、まだ冬の寒さが残る頃に味わって春を先取りするという楽しみ方で、日本料理ではこの時季の食材を「走り」と呼んでいる。
二度目は、山菜が店頭に安定して並んでいる時季にしっかりと味わう楽しみ方で、この頃になると食材は「旬」と呼ばれる。
そして、三度目は来年のこの時季まで食べることができなくなる山菜を味わい納めるという楽しみ方で、旬を過ぎた食材は「名残(なごり)」と呼ばれるようになる。
移りゆく季節を食材と共に惜しんでいるように聞こえる「走り、旬、名残(なごり)」という呼び名だけれど、ここには、日本人が食材の変化を楽しんできたことも含まれている。
野菜は、走りの頃は葉や肉質が柔らかくみずみずしく、旬を過ぎた頃から名残に近づくにつれ繊維がしっかりとしてくるという特徴があり、
魚であれば、個々の産卵時期によって「走り、旬、名残(なごり)」という期間の中で、脂の乗り方に変化が出てくる。
先人たちは、このような変化も季節と共に楽しんできたようである。
先人たちが、季節と食材をこのようにして楽しんでいたことや、それを表す言葉があることを初めて知ったとき、味わい納めや、食べ納めという表現ではなく「名残(なごり)」と呼ぶ辺りに、日本人の感性だと強く感じたように思う。
そして、多くの食材が、一年を通して簡単に手に入れることができるけれど、旬となればその栄養価が増すと言われているように、
この時季ならではの食材には、この時季の私たちの体に必要な栄養がギュッと詰まっているため、何かひとつの食材だけを過剰に摂りすぎるようなことはせずに、三度ほど味わうという味わい方には、自然や人の体に対する優しさのようなものも感じられたりもして。
初物を手に取る機会がありました折には、旬と名残(なごり)も気にかけて、三度ほど味わってみてはいかがでしょうか。
暮らしを楽しむことと丁寧に暮らすことは、とても近いところに在るように思います。
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