卵を割ったら卵黄が2個入っていた。
卵にアタリもハズレもないけれど、当たりくじを引いたような気分になり、卵黄を溶きほぐす手が止まってしまった。
手が止まったと言っても、ほんの一時ではあるのだけれど「今日の良いことトップ10」入りは確実である。
そのようなことを思いつつ卵を溶きほぐしていたのだけれど、今年に入ってから卵にも旬があり、その旬が春であることを知ったことを思い出した。
私たちが口にしている卵のほとんどが、人工的に採卵されたものなので、卵に旬があると聞くと驚いてしまうけれど、ニワトリも野鳥などと同じで、本来は春から初夏辺りに卵を産んでいたのだとか。
産み落とされる瞬間まで、じっくりと時間をかけて仕上げられる春卵の栄養価は非常に高く、先人たちにとっての卵は、今の私たちが卵へ抱く印象とは全く異なるものだったようである。
七十二候(しちじゅうにこう)に「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」というものがある。
現在の暦に当てはめると、1月末頃から2月はじめ頃のことで、ニワトリが卵を産んで温め始める頃ですよという意味だ。
とりわけて注意深くのぞく機会がなかった、七十二候(しちじゅうにこう)の「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」だけれど、
卵の旬が春だと知った上で「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」をのぞくと、先人たちが卵をあたため始めたニワトリの姿を見て、春がやってくることを感じ、春や旬の味覚である卵を楽しみにしていたことが分かる。
今でも卵は完全食だと言われたりもして好まれているけれど、正直なところ、先人たちが感じていたような特別さを感じる人は多くないように思う。
更には、卵ひとつをとってみてもこのような状態なのだから、食生活全体を見渡してみると「現代人は食べすぎだ」と言われていることも、それによって起こっている良い状況も、そうでない状況も、色々と察しが付くなとも。
年明け早々に、こうした卵の旬についてのぞく機会があったのだけれど、この時知ったことの中にはニワトリの寿命というものがあった。
本来のニワトリは10年から15年ほどの寿命があるのだそう。
これを短いと言って良いのか、長いと言えば良いのか、私には分からないけれど、私たちが口にしている卵を産んでくれている採卵鶏の寿命は2年ほどだという。
いつでも手頃な価格で手に入る卵だけれど、先人たちの頃とは異なる意味で貴重な、ありがたい食べ物のようである。
卵は、この時季にだけにしか食べられないというわけでもないし、人工的に採卵している卵の品質は安定しているので、この時季のものが特に栄養価が高いというわけでもない。
更には、七十二候(しちじゅうにこう)にある「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」は既に過ぎてしまっているけれど、卵を召し上がる機会がありました折には、春は卵の旬でもあるということをチラリと思い出していただけましたら幸いです。
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