ひな祭りのお飾りとして準備した生け花を片付けた。
暖冬の影響か、私が部屋を暖めすぎていたからなのか、今年の春告げ花たちは駆け足で咲き散っていった。
あっという間だったけれど、春色や各々の甘い香りなど十分に楽しませてもらったように思う。
うさぎの雛人形は、普段であれば旧暦のひな祭りまで飾っているのだけれど、その日はお天気が良かったものだから軽く虫干しのようなことをして片付けた。
うさぎの雛人形が私の手元にやってきてからしばらくの間は、彼らが届けられたときに入っていた専用箱に入れていたのだけれど、友人の子どもが何気なく発した「暗い箱の中に一人で居るのは可哀そうだね」という言葉が妙に気になって、少し大きめの箱に向かい合わせで収納するようになった。
完全に自己満足ではあるけれど、きっと、箱の中にいるときも楽しく過ごしているのではないかと思っている。
そのような出来事を別の友人に話すと、その友人は、「365日に近い長い月日の間、ずっと顔を見合わせて過ごすなんて、私だったら窮屈だ」と笑った。
こちらは、こちらで酸いも甘いも嚙み分けた発言で、私もつられて笑ってしまった。
さて、どうするか。
結局、向かい合わせに箱に入れ、その隙間を埋めるようにして薄い不織布(ふしょくふ)を入れ、相手のことが全く見えないわけではないけれど目隠しにもなり、彼らにも程よいプライベートができたのではないだろうかとう自己満足に落ち着いている。
たかが雛人形、されど雛人形。
同じものを見ていても反応や感じることは十人十色で、そこには個々の経験や感じたことが詰まっているようで面白い。
私の雛人形事情はさておき、最近では、雛人形は代々受け継ぐことはせずに、一代限りを正式とする流れがあるのだとか。
そのようなことを耳にすると、無粋にも少子化の流れと経済を関連付けてしまうけれど、雛人形は本来、子どもに降りかかる災いごとを引き受けてもらうもの。
そう思えば、その流れもあながち間違いとは言い難いけれど、代々子どもたちを守ってくれたお雛様たちだから、代々受け継ぐという見方もできるから、私の個人的な印象としては、各ご家庭が何を選択するのか、選択肢の幅が広がったように思う。
仮に、一代限りというスタイルを選んだ場合は、お役目を終えた雛人形をどうしたらいいのかという問題が出てくる。
人形供養を行っているお寺などもあるけれど、なかなかハードルが高いように感じている方も多いのか、『福よせ雛プロジェクト』というものがあるそうだ。
これは、「一般社団法人・日本社会文化教育機構」というところが行っている活動で、お役目を終えた雛人形たちにアレンジを加えてジオラマのような展示品に生まれ変わらせるそうだ。
お行儀よく座っていた雛人形たちがひな壇を飛び出して、道路交通整備をしていたり、マイク片手に歌っていたり、お内裏様が小さな赤ちゃんを抱きかかえて子育てをしていたりと、ユーモア溢れる姿に、自然と口角が緩んでしまう。
人だけでなく、人形もまた自由に生きたい。
そう思っているのかもしれない。
そのようなことを思いながら終えた2020年のひな祭りである。
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