昼間の暖かさが残っていたのか、その日の夜風は心地良いものに感じられた。
しっかりと防寒して見上げる冬の夜空も良いけれど、着の身着のままガーデンチェアに座って空を見上げることができるこれからの季節は、冬とは異なる開放感がいい。
ただ、自宅付近は不夜城とまでは言わないけれど一晩中明るいこともあり、星の輝きが、その明るさに負けてしまうのが少し残念である。
そのような環境下で見つけられる星の数は多くはないけれど、それでも、ぽつり、ぽつりと光を放つ星を見つけると癒されるから、ついつい空を仰いでしまう。
私たちが見ることができる星の輝きは、星がその瞬間に放っている光ではない。
そう知って眺めていても、何だかピンッとはこないというのが正直な感覚なのだけれど、その光を放った星は、私たちが空を見上げたその瞬間には、もう何処にも存在しない星ということもあるのである。
光は、この世で一番早い速度で、光が発せられた場所から何処か離れた他の場所に到着するという。
漫画や映画の中で「○○光年」という言葉を見聞きすることがあるけれど、これは、光が、1年かけて進むことができる距離を表している。
これを他の表現に言い換えると、とある星が地球から100億光年離れた場所にあるとする。
この星から放たれた光は、100億年という時間をかけて漸く地球に届くという風にも言い換えられる。
これは、私たちが夜空を見上げた時に、同じような輝きを放っているように見える星が2つ並んでいたとして、
片方の星の輝きは、地球から遠く離れた星から数十年前に放たれた光で、もう片方の星の輝きは、更に遠く離れた別の星から数億年前に放たれた光で、私たちはそれらを見ているということもある。のである。
何だか、ややこしくもあるけれど、差出人と受取人がいる郵便物のようなものだろうか。
だから、私たちが空を見上げて星の輝きという贈り物を受け取ったときには、その贈り物を送りだした星が存在していないということも不思議なことではないのである。
そのようなことを思いながら夜空を見上げると、星の輝きが普段よりも数割増し素敵なものに見えるのではないだろうか。
このようなタイムラグがあるものは、星の輝きだけでなく太陽や月の光も然り。
太陽は地球の傍にあるため、数億年前の光ということはないけれど、私たちが日々感じている太陽の光や暖かさは時間にして8分から9分前に太陽から放たれたもので、太陽よりも地球の近くにあるお月さまの光は、1.3秒ほど前に月から放たれたものだと言われている。
全てリアルタイム、オンタイムで見ているような気がしているけれど、タイムラグがあり、過去を眺めていたりするのである。
人と人とのやり取りの中で、思うように気持ちが伝わらなくてヤキモキしたという経験は、誰もが経験したことがあるだろうけれど、リアルタイム、オンタイムでバシッと伝わることは思うよりもミラクルであるようにも思う。
何かと思うように物事が進まないようなときや、やり取りできない相手と出会った折には、この案件(人)は、地球と太陽くらいのタイムラグがあるな、地球と星くらいのタイムラグがあるな、などと思いながらヤキモキをクールダウンさせてみてはいかがだろうか。
そろそろ冬の星座も見納めの頃かと。
私たちが生まれるよりも遥か昔に放たれた輝きを楽しんでみるのも一興かと思います。
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