薄灰色をした空から雨が降って気温がグンと下がったその日は、エアコンのスイッチを押した。
室内には、アスファルト上の雨を車のタイヤが弾きながら往来する音と、エアコンから出てくる温風の音が混ざり合ったBGMが流れていた。
換気を終えた窓を閉めると、ベランダに名前は分からないけれど、両手の平の上に乗るほどの、少し大きめの鳥がやってきた。
ここ最近、度々遊びに来る鳥なのだけれど、塀の上を飛び跳ねながら右往左往したり、床に下りては体をタイルに擦りつけて砂浴びのような仕草をするのである。
時折、横になったままボーっとしているようにも見える状態で過ごしていることもあり、野鳥らしからぬ無防備さを心配しつつ、私は、その様子を室内の離れたところからそっと見守っている。
この日の野鳥は、塀の向こう側からベランダ内へ入ってきたり、ベランダ内から塀の向こう側へ出ていったりという遊びを繰り返していた。
もちろん、塀の向こう側は空中なので、鳥ならではの遊びなのだろうけれど、その光景は水面から顔を出すネッシーを想像させた。
ネッシーとは、スコットランド北部にあるネス湖と呼ばれる湖に棲んでいるとされていた謎の生物の愛称である。
恐竜のような生物を思わせる写真が公開されたこともあって、その存在の真意を巡って世界中で話題になった謎の生物だ。
しかし、後に、「これは作りもののフェイク写真であり、エイプリルフールのシャレのつもりだったのだけれど、あまりにも世界中で話題になってしまったことから、フェイクであることを言い出せなかったと」真実を知る者が死の間際に告白したことでネッシー騒ぎは幕を下ろしたのである。
始まりは、この真実を告白した方の養父らが、自分たちが発見した何らかの足跡を未確認生物のものなのではないだろうかと判定に出したところ、そのような存在の足跡ではないという結果が出たのだとか。
養父らは結果を悔しく思ったのか、判定に対しての仕返しとして、後にネッシーと呼ばれる恐竜のような謎の生物を湖に浮かべたフェイク写真を撮り、社会的地位を持った友人に偽証まで依頼したという念の入れようである。
ちょっとした悪戯から生まれたものが、人々の興味を惹き、世界中を駆け巡っている様子を当人ではない、真実を知る家族はどう感じていたのだろうかと今更ながら思ったりもした。
死ぬ間際に真実を口にしたということは、随分と長い間、様々な思いを胸の奥に忍ばせていたのだろうか。
ネッシーの真実を知った大半の方の記憶からは、少しずつネッシーに関することは薄れていったように思うけれど、
「スコットランドのネッシーはフェイクだった」と知られている今でも、ネッシーの存在を信じている人は多く、研究を続けている方もいるという。
大人が本気を出したエイプリルフールネタは、時に本人の手元を離れ自由気ままに世の中を飛び回ることがあるけれど、人間の本気には世界を変える力があるように思う。
ネッシーのことを久しぶりに思い出しつつ、ベランダの野鳥へと目を向けると、飛び立つ準備をしているところだった。
その鳥は毎回、ひとしきり自由気ままに寛ぐと、キリッとした野鳥の雰囲気を纏い直して飛び立っていく。
飛び立つ前には必ず、両方の羽を広げて尻尾をリズミカル上下に揺らすのだけれど、その姿が妙に可愛くて、つい見入ってしまうこの頃である。
次はいつ遊びにくるのやら。
名も知らぬ野鳥を静かに見送った日。
関連記事:
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/