遠目からでも美しさがハッキリと分かるそれは、白いツツジの花だった。
どことなく青色を含んだような澄んだ白は、触れることを躊躇うくらいの瑞々しさを放っていた。
この時季に咲く花は、苗代花(なわしろばな)と言って、山の神様に田んぼに来ていただくための依り代(よりしろ)となる。
依り代(よりしろ)を簡単に言うならば、山から来ていただいた神様が田んぼに居る間のお宿といったイメージだろうか。
暖かくなると農業が盛んになるけれど、日本には、農耕を司る「サ神様」が種まきの時期になると山から降りてきて、農作物の収穫時まで見守っているという言い伝えがある。
4月頃であれば、依り代(よりしろ)は桜となり、私たちがお花見を楽しむことは、同時に神様に美味しいお酒や食事を振る舞うことにも繋がると言われている。
桜が散ってしまった5月から6月辺りに行われる田植えのときには、この時季に咲く花と、籾(もみ)付きのまま煎った後に籾殻を取り除いた焼き米やお餅などを、水口(みなくち)と呼ばれる田んぼに水を入れたり抜いたりする水の出入り口お供えして、神様をお迎えするのだとか。
このような行事が行われていることを知らなかった頃、田んぼの隅に供えられている花を不思議に思ったことがあった。
何のために供えられているのかまでは分からなかったけれど、水が張られた田んぼにポツリと供えられた花の色は、とても艶やかで印象的だったのだ。
しばらくして、あの花は神様をお迎えした印だったのだと知ったとき、日頃から口にしている白米がより有難く美味しく感じられたように思う。
農家ごとにお供えものなどは異なるようなのだけれど、依り代(よりしろ)のお花と一緒に供えられた焼き米は、田んぼ周辺にいる鳥たちに振る舞うのだそう。
もちろん、意味もなく振る舞っているのではなく、収穫時に収穫物を荒らさないようお願いする意味もあるのだとか。
先に貢物をして思い通りに事を運んでいるようにも見えるお供えだけれども、荒らされなかったおかげで無事に収穫できたから、そのお礼として、前年に収穫した米を焼き米やお餅にして振る舞い、今年もよろしくとお願いしているということのようだ。
日本には、木の実や果実は全てを収穫してしまわずに、少し残して野鳥にお福分けをしたり、お正月は屋根裏を走り回っているネズミにご馳走をお福分けしたり、山の山菜やキノコも根こそぎ採らずに残しておくなどの風習が多くある。
お互いが気持ちよく過ごすことができる距離感やお付き合いの仕方が、様々なカタチで受け継がれているように思う。
もちろん、そこには人間の、ちょっとした打算も含まれているのだけれど、まぁ、そのくらいは人間のご愛敬といったところだろうか。
全てのモノゴトと共存するヒントは、私たちが手放しかけているものの中にあるような……、そのようなことを思いつつ、純白のツツジの横を通り過ぎた日。
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