贈り物でいただいていたキャンドルに火を灯した。
深海のような深い青緑色をした筒状のキャンドルに、白いロウで作られた繊細な花があしらわれているものだ。
その素敵さから、なかなか火を灯せずにいたのだけれど、不意に「物は使ってもらいたがっている」という誰かの言葉を思い出し、キャビネットから取り出したのである。
梅雨入りして数日が経過したその日、外はシトシトと雨が降っていた。
電気を点けるほどではなかったものの、少し薄暗く感じる室内に、キャンドルの程よい明るさが広がった。
加えて、火を灯す前のキャンドルからは、フレグランスのようなものは感じられなかったはずなのに、火を灯してしばらく経った頃から、ほんのりとお風呂上りのような香りが膨らみはじめ、心地良い休息を堪能することができた。
火を消すのは名残惜しいけれど、続きはまたのお楽しみということでと、気持ちを切り替えて、キャンドルの火を手で消した。
いつだったか、友人が、子どもと実家帰省した折に、子どもが仏壇のロウソクの火をバースデーキャンドル気分で吹き消そうとして困ると話していたことを思い出した。
子どもにとっては、どちらもロウソクの火であることに変わりはなく、我先にと吹き消したくなる気持ちは分からなくもないと思った。
私も物心ついた頃には、仏壇の火は手の平で風を起こして消すか、専用の道具を使って消すものと分かってはいたけれど、吹き消したい衝動に駆られたことがある。
もう少し成長して、そうしてはいけない理由を知ってからは、そのような懐かしい衝動にかられることもなく、TPOに応じて振る舞うことができるようになっているけれど、フーッと吹き消す時のあの感覚は、一種の解放感のようにも思う。
そもそも、どうしてロウソクの火を吹き消してはいけないのか。
今回は、そのようなお作法のお話を少し。と思っております。
ご興味ありましたら、お好きなお飲み物片手にお付き合いくださいませ。
もともとロウソクは電気が無い時代に、暗闇を照らすために使われるようになった道具ですが、儀式に使われることも多かったことから、暗闇を照らすロウソクの炎は、邪気や災厄を祓う力があると言われるように。
また、先祖供養などの折に灯すロウソクの火には、あの世とこちらの世を繋ぐ架け橋の意味や、様々な道標としての役割があるとも。
こうして、ロウソクの火は、古から神聖なものとして扱われていたといいます。
そのロウソクの火やお線香に灯した火に息を吹きかけるわけですから、「不浄なものを飲み食いし、良くないことや言葉を口にすることもある口から出た不浄な息を吹きかけるとは何事だ!」ということで、ロウソクの火は吹き消してはいけないというお作法が生まれたのだとか。
吹き消す代わりの方法は、手の平を素早く動かして生まれる風で消すという方法や、火消し専用の道具を使って消す方法が主流ですが、指で消す方もいらっしゃいます。
私は、手の平か、火消し道具を使って消しているのですが、慣れている方が使う、親指と人差し指でロウソク芯の根元を挟んで、すーっと上へスライドさせて消すという方法を、スマートに行ってみたいと思ってもおります。
ロウソク芯の根元辺りは熱くないため、下から上へと指先をスライドさせると、安全に消すことができるのですが、ここぞという場で粗相のないようにと思うと、つい安心、安全な策を取ってしまいます。
昨今では、厳しく指摘される機会も少なくなってきているようにも感じますけれど、「たしなみ」として知っておくと、知らぬ間に誰かを不快にさせることもなく、過ごせるように思います。
それに、大人になりますと、教えてくれる人も減っていくものですから、折に触れて、このようなお話もシェアさせていただければと。
よろしければ、お作法をセルフチェックする機会、お作法の奥の世界を覗く機会、小さなお子様に伝える機会などにしていただけましたら幸いです。
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