毎年この時季になると、七夕飾りの竹が設置されるショッピングモールがあるのだけれど、今年は竹の代わりに、感染症を防ぐため竹や短冊を設置しないことが書かれた貼り紙があった。
この短冊を利用したことは無かったけれど、竹に飾られる短冊が日に日に増えていく様子は、季節を感じられる光景だったものだから、中止のお知らせを残念に思った。
命に関わるような優先すべき大切なことは優先していかなくてはいけないけれど、自分の中に、気持ちが豊かになるような物事も新しい形で両立させていきたいと思う気持ちがあることを認識させられたようにも思う。
これまで通りに戻すのではなく、これまで通りを新しい形で作り上げる過程で、もっと素敵な何かがこれから多々生まれていくのだろう。
やはり大変なときというのは大きく変わるときであり、変わることが可能なときでもあり、ピンチはチャンスである。
大きな七夕飾りを目にする機会は減りそうだけれども、今年も卓上サイズの小ぶりな竹を購入し、自宅でささやかな七夕を楽しめたならと思う。
星に願いをかける七夕と言って浮かぶのは、年に1度しか会うことができない織姫と彦星だ。
幼き頃は、この日に雨が降ると、年に1度の2人の逢瀬を案じていたけれど、2人が会えるよう手助けしてくれる存在がいるので、織姫と彦星は、雨が降っても降らなくても会えるらしいと知ってからは、晴れの七夕も雨降りの七夕も穏やかな気持ちで楽しんでいるように思う。
そう言えば、この七夕に降る雨は、「催涙雨(さいるいう)」や「七夕雨(たなばたあめ)」と呼ばれている。
織姫と彦星の話には雨が降ると会えないという話と、織姫と彦星が会えるように手助けをしてくれる存在がいるため、彼らは雨が降っても降らなくても会えるという2種類の話がある。
だから、この日に降る「催涙雨(さいるいう)」や「七夕雨(たなばたあめ)」と呼ばれる雨には、2人が会うことが出来ずに流す涙だという見方と、無事に会えて再び別れなくてはいけないことに対して流す涙だという見方があるのだ。
私は、織姫と彦星は、2人を手助けしてくれる存在によって、雨が降っても降らなくても会えるという話を好んでいることもあり、この日に降る「催涙雨(さいるいう)」「七夕雨(たなばたあめ)」は、別れの涙だと見ている。
そして、織姫と彦星は雨が降っても会うことができることを前提にした場合、七夕の朝に降る「催涙雨(さいるいう)」「七夕雨(たなばたあめ)」は、会えなかった1年分の涙で、
昼間に降るそれは、1年振りに再開できた嬉しさからくる涙、そして夜明けに降るそれは別れ際の涙だともいわれているのだ。
今年の七夕トピックは、雨にフォーカスしてみました。
梅雨時季ということもあり、お住まいの地域によっては晴れていたり、曇り空であったり、雨降りであったりとお天気も様々ですけれど、
一口に催涙雨(さいるいう)、七夕雨(たなばたあめ)と言っても、見える景色は見る人の数だけあるようです。
今年は、2人を手助けしてくれる存在のことや、時間帯によって「催涙雨(さいるいう)」「七夕雨(たなばたあめ)」の意味が変わることなどを思い出しつつ、七夕をお楽しみいただけましたら幸いです。
※織姫と彦星の逢瀬を手助けしてくれる存在のお話にご興味ありましたら、関連記事も合わせてどうぞ。
関連記事:
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/