幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

回さなかったターンテーブル。

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バランスボールと戯れながら、どこでも好きなお店で自由に食事をしていいと言われたら、今の私は何処へ行くだろうかと思った。

行きたいところは多々あるけれど、店内環境を選別理由に加えている自分に少し驚いた。

体勢を変えて想像を仕切り直すと、今度は飲茶のお店が浮かび上がった。

みんなで円卓を囲み、熱々の飲茶をいただきながらワイワイお喋りを楽しむあの感じである。

時折、向かい側に座っている人とターンテーブルを回すタイミングが妙に合ってしまったりして、「どうぞ、どうぞ」「お先にどうぞ」なんてやり取りも、今思えば乙なやり取りだ。

いつの間にか、それらが随分と懐かしい食事スタイルになってしまったと感じる気持ちが「飲茶」を食べに行きたい気分を推したように思う。

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外国に暮らし始めて数カ月が経った頃、現地生活が長いという日本人にすすめられた中華料理店へ足を運んだことがある。

前評判通りの本格的な美味しい中華料理を堪能できたことが嬉しくて、後日改めて現地の友人を連れていった。

ターンテーブルを囲むスタイルは異国情緒や異国文化を感じることができるだろうし、シェアして食べる中華料理は食の好みに対しても融通が利くのでもってこいだと思ったのだ。

しかし、この日、私はターンテーブルを回すことなく食事を終えたのである。

アジア圏では料理を取り分けて食べるということを抵抗なく行うけれど、ヨーロッパでは自宅での食事を除き一人一皿というスタイルが暗黙のルール。

だから、各々が食べたいメニューを選び、その一品を一人で黙々と食べたのだ。

中華料理は大勢でシェアして楽しむものだと説明してみたけれど、上手く伝わらなかったのか、受け入れられなかったのか、ターンテーブル上には、未使用の取り皿が使われることなく積み上げられていた。

化粧室へ立った際に店員に、取り皿を使わぬまま積み上げていることを詫びると、ここでは珍しくないから気にするなと返ってきた。

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日本でも見かけることがある。

居酒屋のような場所で食事をしている外国人観光客のテーブルへ目を向けると、同じメニューが3つも4つも乗っていたりする。

あれは、それを食べたいと思った人数分の皿である。

最近は、日本食や中華料理の文化も広く知られるようになり、異国料理の店へ足を踏み入れたなら、その文化に従うという柔軟な方も増えたようだけれど、シェアして食べることを苦手に感じる方はまだまだ多いようだ。

確かに、これを食べたいと思って注文したものを満足に食べられなかったら残念な気持ちになるけれど、慣れ親しんだ文化によって常識もお作法も感じることも様々だ。

日本人は、その辺りの柔軟性が高いのだろう。

シェアする食べ方、シェアしない食べ方の双方を使い分けられるように思う。

しかし、自分が食べたいものを各々に食べているときに、「一口ちょうだい」と言われるシチュエーションが苦手だと言う方がいることを思うと、彼らの行動も大差はあれど、それほど不自然ではないのかもしれない。

そうそう、中華料理の話である。

当時の自分が何を注文したのか肝心な部分は忘れてしまったけれど、中華料理を食べる円卓で一品だけに集中したのは、あの時が最初で最後で、しばらくこのメニューは要らない……と感じたことは今でも記憶に残っている。

外食をするタイミングを何となく見失っているのだけれど、近場でトライして、自分が思う安全策を体験をもとに考えてみようかと、バランスボールの上で思う午後である。

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