友人が贈ってくれたお香が最後の1本になった。
気分や場所を選ばない素敵な香りが気に入っていたので、最後の1本をここで使ってしまうか否か迷ったけれど、大事にしすぎて本来の香りを楽しめなくなってしまったのでは本末転倒。
そう思って、最後の1本に火を点けた。
香立てとして使っているのはガラス製のトンボ玉で、ガラス玉の中には紫色の紫陽花が入っているお気に入りだ。
旅先で立ち寄った雑貨店で買ったものか、神社やお寺で買ったものだったか、記憶も合間になってしまうほど長い年月を共に過ごしているアイテムだ。
とても小さなものなのだけれど、無くなることも割れることもないところを見るに、それだけの時間を共にするご縁があったのだろうと思う。
この香立てと同じくらい気に入っている眼鏡があった。
裸眼視力は言うのが恥ずかしくなるくらい良い値を叩き出してしまうのだけれど、視力と眼精疲労は別物のようで、私の仕事道具の必需品である目薬同様にアイケアアイテムとして追加していた眼鏡だ。
せっかく購入するのだから、外出時などもファッションの一部としてアクセサリー感覚で使うことができるようなものをと奮発したのだけれど、3カ月ほどで姿を消してしまったのである。
しかも自宅内で、である。
無くなったと気づいた日に大捜索を行ったけれど見当たらず、神隠しにあったような気分になった。
だけれども、このようなときに慌てていては見えるものも見えないし、見つかるものも見つからないと思い、きっと何処かに置き忘れているだけだろう、直ぐに出てくるだろう、探し物は忘れた頃に見つかるものだと思い直してデンッと構えることにした。
しかし、数日経っても出てくる気配も見つかる気配もない。
少しドキドキしながらも、無いなら無いなりにと目薬のみのアイケアで誤魔化して、再会の時を待った。
すっかり目薬一筋のアイケアに逆戻りし、気付けば更に数か月が経過していた。
もう、このままでもいいのではないだろうかとも思ったけれど、最後にもう一度だけ家中の大捜索をした後、今の新しい相棒を私のアイセーバーとして迎え入れた。
あんなにも気に入っていたのにと、一つ前の眼鏡のデザインを思い出すこともあるのだけれど、縁の深さは、自分の思いの深さとは関係がないところで、深まったり、薄まったり、繋がったり、切れたりするようだ。
そして、まだ心のどこかで、あの眼鏡は家のどこかに潜んでいて、そのうちひょっこり顔を出すのではないだろうかと思っていたりもする。
そのようなことを思い出しながら、心地良いお香の香りを吸い込んだ。
何気なく目に入ったお気に入りの紫陽花の香立てが、より愛らしい香立てに見えた昼下がりである。
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