時間を見つけては持ち物を見直しているのだけれど、時折、この作業はいつまで続くのだろうかと思う。
半年前には必要だと思っていたものが半年後には役目を終えていることもあり、持ち物を通して自分の変化を感じたりもしている。
年々身軽になっており、物を迎え入れる際には以前よりも考えるようになっているけれど、それでも作業が必要なのだから、自分が思うシンプルさに辿り着くのは、もう少し先になりそうだ。
この日も、場所を決めて持ち物を見直した。
見直す度に中身が厳選されていく感覚は思う以上に心地良く、私は本当に気に入っているものだけに囲まれていたいのだと感じ直している。
しかし、中には手放したい気持ちと、そうできない気持ちの狭間で揺れる「もの」もある。
ここが、断捨離の難関だ。
この日、そう感じた「もの」は、コロポックルである。
縁あって我が家にやってきたそれを、久しぶりに取り出して手の平に乗せた。
頻繁に引越しを繰り返していたものだから、つい、ダンボールにしまい込んだまま各地を転々としてしまっていたけれど、この機会に、我が家の観葉植物の鉢の中で寛いでいただくことにした。
コロポックルとは、アイヌの伝説に登場する妖精のような存在である。
コロポックルとは蕗の葉の下の者という意味があるそうで、この名前が表している通り、コロポックルは蕗の葉よりも背丈が低い、小人だという。
土でできた家に住む神様だとも言われており、家づくりに使うのか土を盗みに船でやってくるという話もある。
彼らはアイヌの人々と友好関係にあり、食材や幸せを届けてくれたりするようなのだけれど、とても恥ずかしがり屋な性格をしており、人前に姿を晒すことを嫌がるそうだ。
それを知ってか知らでか、ある時、アイヌの民がコロポックルを無理やり引きずり出して正体をひと目に晒したという。
アイヌの民に悪気はなかったと思いたいのだけれど、されて嬉しいこと、嫌なことは人それぞれ。
この件に関して腹を立てたコロポックルの長は、怒りの言葉を残し、一族を連れてアイヌの地を去ったそうだ。
ちなみに、じゃがポックルというお菓子があるけれど、この名はカルビーがジャガイモとコロポックルを合わせて作った造語だという。
コロポックルの伝説を思い出しながら、観葉植物の鉢の中に置いた我が家のコロポックルは、
蕗の葉を傘に見立てて握っている。
ひと目に晒されることを嫌がるコロポックルだというけれど、こんな場所に引っ張り出して良かったのだろうか。
ふと、そのようなことも頭の中を過ったけれど、嫌になったら我が家から出て行くだろう。
後は彼らが好きなようにしたらいい。
愛らしい姿をしたコロポックルを眺め思った7月の某日である。
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