幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

お弁当はどこまで進化するのだろうか。

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偶然目にした外国の記事で、日本のあれやこれやが称賛されていた。

話題の入り口は、日本人のマスク着用の習慣だった。

確かに、日本ではマスクの着用に関して抵抗を感じる人は外国の方々と比べると少なく、問題となることがあるとすれば、蒸れて息苦しい、メイク崩れが気になる、肌荒れが起きてしまうといった部分であるように思う。

これに対して記事内では、「日本人は世の中がコロナ禍になる前から、花粉や風邪、ウイルス、喉の乾燥対策として自らすすんでマスクを着用していたようだけれど、自分で自分を守る予防対策と、自分以外の人にうつさないための配慮を同時に行う意識が、非常に素晴らしい。」と言われていた。

更に、靴を脱ぐ習慣も衛生面から見てとても素晴らしい文化だと続き、最後は日本のお弁当文化を絶賛して締め括られていた。

絶賛することはあっても、自国の文化でもあるライフスタイルを異国のそれに変えることは簡単なことではないだろうと思っていると、記事の中には、生活の中にマスクを取り入れ、玄関で靴を脱ぐ習慣を取り入れてみたところ、とても快適で周りにもすすめているとあった。

その記事を書いた方が、どのような方なのかは存じ上げないのだけれど、あたり前にあった習慣が身を守ってくれていることを改めて認識させてもらったように思う。

日本のお弁当文化に関しては、過去記事でも触れているのだけれど、日本のお弁当に感動する外国の方は非常に多い。

それもそのはずで、外国のお弁当は日本のそれとは大きく異なっているのだ。

今でこそ、「ベントー(Bento)」という言葉が外国でも使われるようになり世界共通語化しつつあるけれど、これは日本独自の文化だという。

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お弁当のきっかけとなったものに、「乾飯/干飯(ほしいい)」と呼ばれるものがある。

お米を蒸して乾燥させたもので、そのままでも食べられるけれど、水やお湯で戻して食べるもできる保存食の走りのようなものだという。

この「乾飯/干飯(ほしいい)」は農作業をはじめとする仕事の合間に食べるものとして携帯されていたそうで、日本書紀に登場するらしいので、随分と古くから日本には食べ物を携帯する習慣があったようだ。

この、食事を携帯するという発想をもとに生まれた食事は、時代を経る中で様々な進化を重ね、江戸時代にはお弁当のレシピ本が登場したり、幕の内弁当が生まれたりと、私たちの日常にある当たり前の土台が出来上がっている。

身近なものを、もっと美味しく、もっと便利に、もっと楽しいものにと磨き上げていくことに長けた日本人によって、携帯食(お弁当)は今も進化を続けている。

お弁当と一口に言っても様々なものがあるけれど、紐を引っ張ると発熱してお弁当をあたためてくれる駅弁を、外国にいる友人、知人たちに手渡したら間違いなく感動するに違いない。

他にも、コンビニへ連れて行きお弁当棚の前に連れていけば、その種類の多さ、温めてくれるサービス、温められるような容器に入っていることなど、様々なことを楽しんでくれそうだ。

当たり前のモノゴトの中にこそ、思わぬお宝が眠っていたりするけれど、お弁当の歴史を軽く遡るだけで、保存の知恵や食材や食事を防腐から守る知恵など様々なことに触れることができる上に、今あるものに対してのありがたさを感じられたりもして、文化は侮れないものだと思った。

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そのようなことを思っていたら、無性にご当地駅弁、ご当地空弁などを食べたくなった。

結局、「食」に行き着いてしまう相変わらずさだけれども、平安貴族も戦国武将も江戸の人々も食べていたお弁当。

今の私たちに馴染みあるお弁当のもとになっているのは、あの織田信長が発案したものだともいう。

次にお弁当を食べる機会があった折には、「乾飯/干飯(ほしいい)」が進化したそれを、いろいろなストーリーが詰まったそれを、存分に味わおうと思う。

お弁当に触れる機会がりました折には、今回の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

そして、毎日、お弁当作りをしている皆さん、おつかれさまです。

既にお弁当作りを卒業されている皆さんも、おつかれさまでした。

本日も良き日となりますように☆彡

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