今年はお招きいただいていた結婚披露宴が、幾度かの予定変更の末、無期限延期となった。
直接お祝いしたい気持ちいっぱいで、とても楽しみにしていた場だったのだけれど、この状況では致し方ない。
一堂に会する場を設けることができれば良いのだけれど、それもどうなるか分からないため、様々なことが落ち付いて、今よりも安心して過ごすことができるようになったときにでもという話に落ち着いた。
残念ではあるけれど、2人が元気に仲良く暮らしているのであれば、それが一番である。
もちろん、皆の根底にある思いは同じだと思うのだけれど、世代や立場によって思うように物事を進めることができない現状に抱く気持ちは異なるようで、これからは風習や習慣も少しずつ変わっていくのだろうと感じたりもした。
結婚披露宴の中で行われる風習と言えば、新郎新婦が衣装を着替えるお色直しもそのひとつではないだろうか。
ブライダル業に携わっている知人の話によると、近年は挙式のときの衣装のまま、お色直しをせずに、披露宴までの時間を過ごす新郎新婦が増えているという。
お色直しをすることで場の空気を変えることができたり、出席者同士が歓談する時間や食事を楽しむ時間を作ることができたり、新郎新婦も出席者もお互いに一息つくことができるなどというメリットがあるのだけれど、この風習は日本独自のもので、歴史を遡ると奈良時代にはあったときく。
ただ、その理由は現代とは少し異なっている。
本来のお色直しは、新婦が純白の反物で仕立てられた白無垢(しろむく)から、艶やかな色彩の色打掛(いろうちかけ)に着替えることなのだけれど、今の様に挙式披露宴の中で着替えるものではなかったようだ。
新婦は結婚した日から3日間は白無垢(しろむく)を着て過ごし、4日目にして漸く色打掛(いろうちかけ)を着ることができたのだそう。
あのような姿で3日間も!?色打掛(いろうちかけ)までいれると4日間も!?と驚くけれど、白無垢(しろむく)から色打掛(いろうちかけ)に衣裳替えするのには、「お相手の家に染まる」「染まっても良いという許しを得た」などという意味が込められていたそうだ。
この意味を現代にそのままそっくり持ち込むと、賛否両論出てくる内容であるようにも思えるけれど、今回はそのような視点での話ではなく「お色直しの始まりは、そうだった」という視点の話、である。
また、室町時代、戦国の世の頃になると、また少し意味合いが変わっていたようだ。
時代背景によるものだけれど、当時の結婚というものの中には政略結婚も多かったため、新婦が新婦一族のスパイと化しないこと、実家との縁を切ったことなどを新郎家に表すために、死装束に見立てた純白の衣装(白無垢)を。そして、新郎家に染まることを意味する色打掛(いろうちかけ)を纏ったそうだ。
挙式披露宴の在り方も、これを機に変わっていくのではないだろうかと思う。
形式ばかりに囚われるようなものではなく、温かみや思いがもっと目に見えやすいもの、伝わりやすいものに。
残すべきもの、進化させるべきもの、風習も様々である。
2人のこれからの幸せを願いつつ、そのようなことを思った日。
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