甘いものを欲し、冷蔵庫を開けると使いかけの白玉粉と上新粉があった。
確か、非常時用の缶詰の中に小豆缶もあったはずだと専用ボックスをのぞくと、賞味期限まで随分と余裕がある小豆缶があった。
非常時ではないけれどイイの、イイのと、ひと缶取り出し、この日のティータイムは、冷たい緑茶と白玉に決定した。
白玉団子は、白玉粉だけでも十分なのだけれど、より滑らかな食感に仕上げたい私は白玉粉と上新粉のダブル使いである。
食べきることができる分量のお団子を捏ね、丸めたものから順に沸騰したお湯の中に落としていく。
お団子を丸めながら、幼き頃に祖母宅で一緒に作った白玉団子を思い出した。
今では、お鍋の底から白玉が浮き上がってきたら出来上がりだと知っているけれど、それを初めて教えてくれたのは祖母だったように思う。
お盆の時季、ご馳走をお腹がはち切れる寸前まで食べた後に出される祖母の白玉団子には、甘さ強めの餡子がたっぷり添えられていた。
そのボリュームと甘さのパンチ力を罰ゲームのようだと感じたこともあったけれど、「後で食べるね」と言うのも悪いような気がして、「美味しいけれど、出し時は今じゃない!」と心の中で叫びながら、胃袋の限界チャレンジに挑んでいた。
今となっては、あの限界チャレンジもボリュームある一皿も甘さのパンチ力までもが良い思い出で、食べられるときに食べておいて良かったと思っている。
そのようなことを思い出していると、沈んでいたお団子がぷかぷかと浮き上がってきた。
水と氷で冷やし、冷たいそれを器に盛りつけた。
そこに添えるのは、非常食用にストックしていた小豆缶の餡子だ。
みたらしのタレにも心惹かれたけれど、この日は欲張らずに餡子で味わうことにした。
白玉粉作りは、非常に手間がかかると聞いたことがある。
今は、専用の機械があってちゃちゃっと大量生産されているのだろうけれど、本来は、もち米に水を加えながら挽いたものを10日間ほど水にさらし、その中から沈殿しているものだけを取り出して水気を切り、乾燥させるのだとか。
しかも、この水仕事は冬の寒い時期に行われていたため、白玉粉は「寒晒し/寒晒し粉(かんざらし/かんざらしこ)」と呼ばれることもあるようだ。
私は、どちらの呼び名にも馴染みがなく、そう聞いてすぐに白玉粉を思い浮かべることは無いのだけれど、以前、お仕事でお世話になったご年配の方が寒晒し粉(かんざらしこ)と呼んでおり、その時に初めて知った呼び名である。
白玉団子はお手軽スイーツのようなイメージがあるのだけれど、本当はとても手間暇を要する和スイーツである。
そう思うと、器に残る最後の1個がとても愛おしいような気がしたりもして、じっくり大事に味わった。
白玉スイーツを味わう機会がありました折には、手間暇を要する白玉粉のことをチラリと思い出してお楽しみいただけましたら幸いです。
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