平安の頃から食べられていた素麺、今年はまだ片手で足りるほどの回数しか口にしていない。
素麺は、天の川や織姫の織り糸に見立てて食べられていたという話や、無病息災を祈って食べていたという話などが残っており、古くから親しまれているもののひとつである。
一度、英国で日本の素麺をシンプルなジャパニーズスタイルで振る舞ったことがあるけれど、妙な静けさが広がった後に「美味しい」と返ってきたことを思い出した。
しかし、美味しいと言うわりに箸が進まぬ友人たちの様子をみて、素麺は色々な食べ方があると場を繋ぎ、確か、中華風の味付けを施した素麺焼きそばと、冷製パスタのカッペリーニソースを素麺に合わせたものを出し直したのだ。
すると、味が分かりやすかったのだろう。
「こうして食べた方が美味しい」というお言葉を頂戴した。
もう、和食なんだか中華なんだか、イタリアンなんだか訳が分からぬグローバルなメニューが並んだけれど、あれはあれで異国を楽しむ会だったように思う。
そのような懐かしい出来事を思い出しつつ、この日は素麺をいただくべく、キッチンに立った。
ぐつぐつと水面が暴れ始めた鍋を覗き込み、この暑さから逃れたくて食べる回数が減っているような気がした。
以前、手延べ素麺には新物、古物(ひねもの)と呼ばれるものがあるという話題に触れたことがある。
完成した後、梅雨の時季を無事に越えたものは「新物」、2年目以降のものは「古物(ひねもの)」と呼ばれ、月日を経た古い素麺ほど貴重かつ、高級品とされるのだ。
古物(ひねもの)と一口に言っても様々で、2年~3年目あたりのものは白色を保っているけれど、5年目辺りに差し掛かると、麺があめ色に変色していくという。
もちろん、適切な保存方法で寝かせたものに限るのだけれど、寝かせている間に素麺がゆっくりと熟成発酵し、コシや食感、喉越し、切れ味、麺が持つ甘味などが増すそうだ。
数日前だっただろうか。
この熟成発酵期間のことや熟成期間中に起きる麺の変化のことを「厄(やく)」と呼ぶのだと知った。
きっかけは、偶然見かけた素麺パッケージに「この素麺は厄を終えています」とあったことだ。
思わず、素麺にも人の様に厄年があるのか!?と思い、その短い一文が脳裏に焼き付いたのだけれど、シンプルなものほど奥が深いように思う。
ここ数年、素麺の茹で時間を記載時間よりも長くすることで、食感や美味しさが増すなどと言われているけれど、手軽に食べられる素麺のポテンシャルは、私たちが思う以上に高いのかもしれない。
さて、本日の素麺は和、洋、中、どのお味でいただこうかしら。
茹で時間は素麺のコシと艶が増す、記載時間の倍の4分スタイルである。
素麺も人と同じで、厄年を終えると何となくココロ晴れやかな気持ちになるのだろうか。
そのようなことに思いを馳せながらいただく夏の味である。
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