幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

10歳までのスペシャルな機会。

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普段フラワーショップで手に取る花は、存在感があるものがほとんどだ。

きっと、無意識に「せっかくフラワーショップで買うのだから」という気持ちが働いていたのだろうと思う。

しかしその日は珍しく、草花のようなものばかりに目が留まっていた。

それならばと、色のバランスや日持ちなどの条件を度外視して、子どもが野原で気が向くままに花を摘むようなイメージで、目に留まったものから順にガーデンバケツから引き揚げ、店員に手渡した。

自宅に戻って水揚げをして草花をしばらく休ませた後、長さを整えて花瓶に生けた。

ごちゃごちゃしてしまいそうなカラーバリエーションと咲き姿の花々だったけれど、ひとつの花瓶の中で違和感を覚えることなく調和する光景を前に、自然のものたちはこんな風に、いとも簡単に共存し合うのだなと思った。

ザッと挿しただけでも十分素敵だったのだけれど少しだけと、手直ししているとリビングからスマートフォンの着信音が聞こえた。

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出れば、久しぶりに聞く耳慣れた友人の声だった。

親戚のお子さんに絵本のプレゼントをしたいのだけれど、何か良い絵本はないかとのこと。

使うものや食べ物、玩具などには、親の好みや考え方、育児方針、その他諸々があるため、絵本を贈りたいのだとか。

シンプルで奥深いメッセージが込められている絵本だからこそ、店頭でパラパラと中身を読んで決めるのが良いのではないかと返すと、「他人ごとだと思って、やる気ある?」と茶目っ気たっぷりに返される始末。

あれやこれやと候補を挙げたのだけれど、最終的に、こぐま社から出ている絵本を選んで贈ることに落ち着いた。

理由はひとつ、絵本のプレゼント以外にも、心温まるプレゼントが付いているからである。

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絵本を専門に出版している「こぐま社」の絵本を購入すると、中に愛読書カードというものが入っている。

このカードはアンケートはがきで、手にした本のタイトルや著者名、絵本購入店、保護者の方の氏名やお子さんの名前を書く欄と、ちょっとした質問が書かれている。

これを全て記入して、こぐま社に返送すると、お子さんが10歳になるまで毎年、絵本のキャラクターからバースデーカードが送られてくるのだ。

そして、9歳まではカードなのだけれど10歳のお誕生日には、カードではなくお手紙が届くという、こぐま社の素敵なサービスである。

私は、こぐま社の絵本を小さなオトモダチへプレゼントする際には、このアンケートはがきが付いている絵本を選び、

アンケートはがきにある本のタイトルと著者名、絵本購入店の欄のみ、私が予め代筆しておき、その後の欄は友人や知人に記入して送ってもらうようにしている。

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こぐま社の絵本を購入したことがある方や、贈り物としていただいたことがあるという方は多いのだけれど、

この愛読書カードの存在を見落としている方や、お誕生日カードのサービスをご存知ないままカードを破棄してしまう方が、多いのだ。

子どもたちからしてみれば、泣いたり笑ったりの日々を共に過ごしている絵本の中のキャラクターたちから、誕生日を祝ってもらえるなんて、心躍るできごとになるのではないかと思う。

小さなお子さんへのプレゼントに絵本を、と思われている方は、

こぐま社の絵本と10歳まで送り続けて下さるバースデーカードを候補に入れてみてはいかがでしょうか。

こぐま社の絵本を目にする度に、こぐま社の心遣いに感心しきりである。

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糸に刻まれている結びつき。

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ワンピースの裾からひょろりと糸くずが垂れていた。

逃がすまいと意気込んで糸の端を指先で摘まんで引き上げると、マジシャンが世界中の国旗を取り出すときのように、するするするっと裾上げを縫い留めていた糸が、胸元近くまで抜けてしまった。

縫い留めている糸かもしれないと薄っすら脳裏を過ったにも関わらず、糸くずであろうと思い込んで出だし部分を少々強引に引き抜いたからだと反省した。

出かける前でラッキーだったと思い直しながら急いで着替え、呼吸を整えて家を出た。

糸を引き抜く手をもう少し早く止めていたならば、針仕事の分量も減ったのだろうかと思ったけれど、

面白いほどにするするするっと抜けた感覚を思い返し、きっと針仕事の量が変わることは無かっただろうという結論に達した。

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糸と言えば、糸偏の文字は多数ある。

絆、縁、続く、結ぶ、終わり、織る、紡ぐなど、探せばもっと出てくるけれど、糸を使う文字には人と人の結びつきを意味する文字が多いことでも知られている。

いつだったか、当時、お仕事をご一緒していたご年配の方とこのような話をしていたのだけれど、思いついた文字を口に出しながら確認していた私が、

「終わり」という字は結びつきや、結びつきを続けていくような意味ではないから「終」は例外の部類に入る文字ですねと同意を求めたところ、

「終」も次に繋がる文字に分類されるのではないだろうかと思っていると返ってきた。

「終」という文字は、「糸」と「冬」という文字から出来ているけれど、これは糸を全て巻き終えた区切り良い状態と、1年を締めくくる最後の季節という意味があるのだそう。

ここから想像できることは、巻き終えた糸のかたまりは1個止まりではないだろうし、季節も冬の後には再び春がやってくるのだから、確かに終わりはするけれど「終」は次へ繋がるための「終わり」ではないだろうかとおっしゃるのだ。

話終えた後、勝手にそう感じているだけだと謙遜されていたけれど、素敵な視点だと感じた私は、その場で大きく頷いたように思う。

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先人たちが糸に様々なものを重ね、込めて、託し繋いできたという類の話は、色々と残っているけれど、こうして、文字そのものにもさり気なく刻まれているようだ。

いつぞやかに交わした会話を思い出しながら、とても穏やかな気持ちに包まれていたのだけれど、次の瞬間、帰宅したら針仕事が待っていることも思い出した夕暮れどきである。

糸偏の文字を目にする機会がありました際には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

もちろん、私の失態ではなく文字に刻み込まれている、人と人の結びつき等々を。

本日も、良き日となりますように☆彡

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ルバーブのジャム越しに見る洋菓子店の最後。

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町の洋菓子店が閉店する。

生まれ育った町に住んでいるわけではないため、子どもの頃から慣れ親しんだ洋菓子店ではないのだけれど、

時々利用させていただいていた洋菓子店だったこともあり、ほんの少しだけ淋しいという気持ちが湧いた。

どのようなことも続けるということは、簡単ではないなと改めて。

旅先で時代を越えて愛され続けているお店を目にすることがある。

お店側の様々な努力はもちろんのことなのだけれど、それを愛す側との二人三脚であるようにも思う。

どちらも、相手がいないことには成り立たせることができないのだ。

そのようなことを思いながら、きっと、最後になるであろう店内に足を踏み入れた。

私と似たような気持ちで足を踏み入れたお客が、どれくらいいたのかは分からないけれど、狭い店内は人が溢れかえっているような状態だった。

人と人の隙間からショーケースをのぞくと、洋菓子の多くは売り切れており、残念ながら、私が購入できそうな商品はなく、出入口へと向かうと、小さな陳列棚にルバーブのジャムが並んでいた。 

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ルバーブとは、フキに似たような見た目をした野菜で、長く伸びた茎の先に大きな葉が付いている。

葉には毒性があるそうで口にするのは茎の部分のみなのだけれど、この茎はグリーンのものだけでなく、渋くて美しいワインレッドのものや、グリーンからワインレッドまでのグラデーションになっているものなどがある。

中でもワインレッド色に染まったものは、その見た目の鮮やかさからジャムやスイーツに使われている。

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ルバーブは本来、酸味が強い野菜とのこと。

中には梅干しのように酸っぱいと言う方もいらっしゃるのだけれど、甘さが加えられた加工品しか食したことがない私は、まだその酸味の洗礼を受けたことがない。

というのも、ルバーブは寒冷地で栽培される野菜で国内では主に長野県や北海道で栽培されているため、フレッシュなものを手に入れる機会がないのだ。

しかし、ルバーブの収穫時期が初夏と初秋とのことで、運が良ければこの時季、渋いワインレッド色をしたルバーブのジャムやスイーツに出会えるのだ。

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近々消えてしまう洋菓子店の隅に並んでいたルバーブのジャムを見て、最後まで手を抜かず、旬のものを届けようとしてくれていたお店側の気持ちを垣間見たような気がした。

近々消えてしまう洋菓子店を前にして淋しくなるなと感じたのだけれど、その場所に新しい何かが建てば、私はいとも簡単にそちらに気持ちを持って行かれるのだろうと思う。

それを悪いことだとは思っていないけれど、このお店の味を、もう少し味わってみても良かったな。

そのようなことを思いつつ、洋菓子店を後にした日。

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夏特有のムシムシ感から見る頑張り。

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えっ、ムシムシッとする。

先日、寝ぼけまなこでベッドルームからリビングへ移動して真っ先に感じたことである。

来たな、来たな、来たな、夏―。

あまりの湿度の高さに声を出す気力を削がれ、全ての言葉はテロップという形で脳内に流れた。

窓を開け放ち、除湿冷房のスイッチもオン。

この動きがルーティン化する季節到来である。

そう言えば先日、「草いきれ(くさいきれ)」という言葉を知った。

草がどうしたって?と行間を読んでみようと試みたのだけれど、いまひとつピンと来なかった。

ネットで検索してしまえば早いことは重々承知しているのだけれど、時々指先が、あの薄いくせに丈夫な辞典特有の紙質感を求めるため、辞典をひくことにした。

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草いきれ(くさいきれ)、耳慣れないこの言葉は夏の言葉とのこと。

肝心な意味はというと、夏に太陽を浴びていた植物が湿気を放って、辺りをムシッとした空気で覆うけれど、あの湿気のことを草いきれ(くさいきれ)と言うのだそう。

植物も生きているため、葉の表面温度が上がれば自身の体温調節のために植物内の水分を蒸発させている。

私たちは、草木の匂いと共に、その水蒸気を湿気として感じ取って、ムシッと、あるいはモワッと、ムッと感じているのだそう。

あの植物から発せられる水蒸気は人でいうところの汗だという表現を方々で見かけた。

そう言われてみればそうなのだけれどと思いながら湿度を感じ直してみると、ムシムシ感が更に増すように思うのは私だけだろうか。

でもまぁ、植物も人と同じで、昨今の暑さ対策に命懸けということなのだろう。

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ちなみに、「いきれ」の語源は息切れで「熱れ」と書いて「いきれ」と読むのだそう。

息切れしてしまいそうなくらいに暑くて、湿気でムシムシッとするという意味で、この湿気を発しているのが「草木」だから「草いきれ」。

そして、スタジアムやお祭りなどの人混みの中で熱気によってムシムシッと感じることがあるけれど、こちらは熱気の発生源が人なので、「人いきれ」と表現するのだそうだ。

湿度が上がっている要因は様々なのだけれど「草いきれ」と「人いきれ」、やはり、起きていることに大差はないようだ。

そして、年々増していく夏特有のムシムシ感は、地球上にいる全ての生き物が、一生懸命に生きているということかと腑に落ちた。

湿度に嫌気がさしてしまいそうなときには、地球上の全ての生き物が頑張っているのだと思いつつ、「草いきれ」「人いきれ」という言葉をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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茹で上がってしまわぬように過ごしたい。

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今年に入り、幾度かお世話になったまま、お手入れを先延ばしにしていたレインブーツをせっせと洗った。

あとはパンプスタイプがあれば冬まで安泰だろうという算段である。

ついでにパンプスやサンダルにも軽くお手入れを施し、ズボラ柊希の必須アイテムである防水、防汚れ対応スプレーをシューッと吹きかけた。

後は、履いた後にブラシで軽くホコリを落とすか、シートでサッと拭うくらいのお手入れで十分なので、シューズケアの煩わしさからしばらくの間、解放されるのである。

毎回本気のお手入れができれば良いのだけれど、それはなかなか難しいし面倒。

それならば、自分に合ったシンプルなお手入れ方法を見つけて、一石二鳥以上にもなる最低限のお手入れで十分な効果を、というのが私の狙いどころである。

玄関のたたき端に並んでいるレインブーツを眺め、今年もやってきた梅雨の日を振り返っていると、数年前に知った「茹でガエル現象」という言葉を思い出した。

今回は、そのようなお話を少し。

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この言葉を初めて耳にしたとき、体の表面をゾワゾワと妙な空気が這っていくような感覚がした。

教訓を含んだ言葉であることは想像できたのだけれど、言葉そのままの情景をリアルに想像してしまった私は、少しだけ深く知ることを躊躇った。

結局、知りたい気持ちが勝り深くのぞいてみることにしたのだけれど、まず、カエルの性質を知ることになった。

アマガエルが鳴くと雨が降る、という話を見聞きしたことがある方も多いかと思うのだけれど、カエルは環境の変化を敏感に感じ取り、反応するという。

このように敏感なカエルなので、煮えたぎった熱湯の中にカエルを入れようとすると、その異常を察知したり驚くなどして、勢いよくその場を飛び出すそうだ。

しかし、常温の水がはられた鍋に入れられたまま火にかけられると、カエルの体は、徐々に上がる水温に慣れてしまい、水温の変化に気付くことができぬまま茹で上がり、命を落としてしまうのだとか。

このようなカエルの性質を、私たちが身を置いている社会環境や自然環境に重ね合わせ、じわりじわりと忍び寄る環境破壊によるダメージや、社会そのもののシステムや、人や企業の在り方、その他諸々に対する在り方を考えさせる例え話、教訓として「茹でカエルの法則」といった言葉が定着しているという。

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近年の自然災害や、留まることを知らない右肩上がりの夏の暑さをとってみても、感じることや思うことはあるものの、

最近の自然災害や夏の気温はそういうものだと感じている節も無くはないように思う。

自然との関わり合いだけでなく、世の中がどのような方向に向かっているのか、ということも含めて色々と考えさせられる言葉である。

不安に飲み込まれる必要はないけれど、知らぬ間に茹でガエル状態になってしまわぬよう、大切に、楽しく、心残りがないような日々を重ねられたらと思うこの頃である。

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サービスエリアとトイレの神様と。

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サービスエリアに立ち寄った。

改装したばかりなのか、サービスエリアそのものが新しくできたばかりなのかは分からなかったけれど、そこは昔ながらのそれと言うよりは、洒落た雰囲気をまとっていた。

その雰囲気に煽られた私は、置いてある商品への期待値を自らグングンと押し上げて見回ったのだけれど、そこはサービスエリアである。

ブレない趣旨を納得するのと同時に、期待値を自らグングンと押し上げて見回った自分を静かに反省した。

子どもの頃はもっとワクワクしたのだけれど……と一抹の淋しさを感じながら、化粧室を目指した。

中へ入ると、ご年配の女性たちが女子高生のような、いや、ここは女学生と言うべきだろうか。

とても可愛らしい笑顔と弾む声を響かせながら、化粧室内の写真を撮っていた。

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そこは素敵な雰囲気に仕上げられており、このサービスエリアの目玉がそこだったのだと知った。

しかし、その後私は、その場所に似つかわしくない1枚の貼り紙を発見した。

『トイレに唾を吐かないでくださいね』という貼り紙で、ご丁寧に4か国語で記されていた。

日本では時々目にすることがあるけれど、これは外国の方に通じるのだろうかと思った。

貼られているということは、清掃をしてくださる方からのお願いなのだと推測できるけれど、もとは、八百万の神々が宿る日本ならではの風習のひとつだったように推測している。

トイレと言えば、トイレの神様がメインで様々な物語が語り継がれているけれど、中には、トイレにはトイレの神様のほかに、火の神様や箒(ほうき)の神様もいるという話もある。

更に、この3人の神様は女性の出産に立ち会ってくださるそうで、女性はトイレをキレイに整えておくと良いとか、

男女を問わず、普段からトイレをキレイに整えておくと、自分が老いたときに3人の神様が力をかして下さるため、排泄に関する面倒を周りにかけずに過ごすことができる、といった話が続く。

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様々な思いや意味などが混ぜ込まれている話なので、視点を変えることで気付かされることも多々あるのだけれど、

シンプルに、誰かを思っての行動は小さなハッピーの始まりなのだろうなと思う。

その誰かとは、自分の大切な人であったり、見ず知らずの人であったり、自分自身であったり、人以外の誰かや何か、であったりもするのだろうけれど。

サービスエリア内のちょっと素敵な化粧室でそのようなことを思った日。

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この機会に、トリートメントとコンディショナーの得意分野を再確認してみませんか。

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魔法の手の力を借りようとヘアサロンへ行った。

私の手に負えなくなった部分と、ちょっとした希望を伝えるだけで思い通りのヘアスタイルを作り出してもらえることに改めて感動した。

そう気持ちが動いてしまったものだから、それをそのまま伝えると「何年のお付き合いだと思ってるんですか」と返され、体感以上の年数をお世話になっていることにハッとした。

毎日顔を合わせるわけではなく、全てを知り合っているわけでもないのだけれど、信頼できるやり取りを交わすことができる関係や場所があることは、ありがたいものである。

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この日も共通の話題や髪の毛の話題を話していたのだけれど、トリートメントとコンディショナーを使い分けているか否かという話になった。

私の髪の毛は、多少の無茶をも跳ね返してくれるほど強く、長引くようなトラブルとは無縁。

そのため、髪の毛そのものに対してはあれやこれやと考える必要はないのだけれど、肌が非常に弱い。

だから、ヘアケアアイテムを選ぶ基準は、肌に負担がかからないことが最優先となる。

このように、ヘアケア商品を選ぶ基準が少しズレているので、トリートメントとコンディショナーの違いは?と問われれば、

髪の毛に傷みを感じたときにはトリートメントを感じていなければコンディショナーを程度の知識しか持ち合わせていのだ。

この知識、間違ってはいなかったけれど用途の違いを詳しく教えていただいたことで、これからは効率よく、トリートメントとコンディショナーを使うことができるような気がしている。

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トリートメントとコンディショナーを私と似たような感覚で使っていた方は、この機会に、2つの違いをセルフチェックしてみませんか?

ご興味ありましたら、柊希の脳内整理にお付き合いいただければと思います。

まずは、価格設定が高めに設定してあるトリートメント。

価格からも推測できるとおり、トリートメントは髪の毛の内部に栄養を届け、傷んでいる部分を補修し、更に潤いまでもを保つことを任務としているものです。

一方のコンディショナーの主な任務は、髪の毛の表面をコーティングして様々なトラブルを防ぐこと。

中には、髪の毛をコーティングする機能を含んだトリートメントや、栄養成分を含んだコンディショナーもあるけれど、

基本は栄養補給やダメージの補修、潤いを保つなどの多機能を秘めたものがトリートメントで、髪の毛の表面をコーティングすることに特化したものがコンディショナーなのだそう。

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使うものによって機能に違いがあったりもするのだけれど、仮に、シャンプーとトリートメントとコンディショナーの3点を全て使いたい場合には、

まずはシャンプーで汚れを落とし、次にトリートメントで栄養をしっかりと浸透させて、ダメージを補修し、潤いもチャージした状態をコンディショナーでコーティングして状態をキープさせると良いのだとか。

注意が必要なのは、つい、いつだって完璧な髪の毛でいたいという気持ちが勝り、毎日トリートメントを使ってしまいたくなることもあるけれど、

昨今の栄養豊富で機能性が高いトリートメントによっては、毎日使い続けることで髪の毛本来の機能を弱めてしまうこともゼロではないため、

髪の毛のダメージの状態によって使用頻度や使用方法を判断することで、効率よく美髪に整えることができるようです。

イメージとしては、ステーキを食べると元気が湧いてくるからと言って365日ステーキを食べ続ければ、胃腸が本来の力を発揮できないくらい弱ってしまうというようなことが、髪の毛にも起こることがあるということでしょうね。

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これからの季節は、お肌だけでなく髪の毛も紫外線のダメージを受けやすくなりますし、夏の後には乾燥しやすい季節が控えてます。

トリートメントとコンディショナーの得意分野を再確認して、自分の髪の毛の声を聞きながら、

必要な効果や効能を必要なタイミングで髪の毛に届けてあげてみてはいかがでしょうか。

自分自身を喜ばせる、ちょっとした心地よさのための、何かしらのヒントにしていただけましたら幸いです。

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恩師との思い出と古くて新しい座り方。

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時折見返すもののひとつに、今は亡き書道の恩師からいただいた筆文字のお手本帖なるものがある。

学生の頃にいただいたものなので、色褪せも劣化も激しいのだけれど、自分で書く手書きの文字が崩れてきたように感じたときに、

そのお手本帖をパラパラと眺めていると、視覚を通して基本感覚に修正されるような気がしている。

自分で習いたいと言って始めた習いごとで、実際にやってみてやめたいと思ったことは一度も無かったため、私に合う習い事だったと思っているのだけれど、

それ以上に、あの恩師だったからこそ、一度もやめたいと思わずにいられたのだという思いが、年月を経るにつれて増している。

やめたいと思ったことは無いけれど、今日は書きたくないと思ったり、サボりたいと思うことはそれなりにあった。

しかし、恩師は、そのような状態の私に「書きたくなったらおいで」と言ってくれていた。

そう言われると不思議なもので、わりと直ぐに書きたくなり、その日の内に恩師宅の玄関チャイムを鳴らすこともあったし、次のレッスン時に普段以上の集中力が出ることもあった。

子どもを信頼するというのは時に難しいことでもあるけれど、あれは信頼してもらえていたのだと気付くことができたのは、恩師が旅立った後である。

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その恩師がいつだったか、正座に疲れて両足を放り出して休憩する私に、特大サイズの飴玉

を手渡し、大昔の日本人は正座なんてしなかったのだと教えてくれたことがあった。

正座といえば、日本人の十八番ともいえるような座り方だけれど、江戸時代に入る頃までの座り方と言えば胡坐が一般的だったという。

胡坐以外にも足を横に流すようなスタイルや膝を立てて座るスタイルがあるけれど、これらの正座以外の座り方を、その時々で選んで使っていたのだそう。

そしてこれは、男性に限ったことではなく、女性もなのだとか。

ただ、今でいうところの正座というスタイルは古くからあり、「正座」という名は無かったものの、神事の場や高貴な方の前に座るときなどにのみ使われていた座り方だったようだ。

恩師は、このような話をしながら、「だから、正座で足が痺れると集中力がないとか言う人もいるけれど、そもそも正座に慣れていないから痺れるのは当たり前。痺れが引くまで休憩していいよ。」と言ってくれていた。

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大人になり、このときの話を思い出して更に調べを進めたことがあったのだけれど、正座と呼ばれる座り方が広がった理由には、

正座をし易い生活環境が広く整ってきたことや、狭い茶室のような場所にある程度の人数の人が座るためには、コンパクトな正座スタイルが好都合だったことなど諸説あった。

これが理由だというものは未だ探し当てられてはいないけれど、私たちに馴染み深い「正座」は、古くて意外と新しい座り方のようである。

お手本帖をパラパラと見返しながら、そのようなことを思い出した、ある雨の日。

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ヘソクリから思う向き不向き。

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ひょんなことから知人とヘソクリの話になった。

ヘソクリとは、皆さんご存知の人に秘密にしてこっそりと貯めたお金のことである。

ヘソクリの隠し場所に関しては、自宅に秘密の場所を設けている人もいるけれど、銀行に秘密口座を設ける人もいたりして、ヘソクリというものは、ある意味個性が見え隠れするものなのかもしれないという話題だ。

今はまだ、お金というものは目で見ることができ、手で触れることもできるものだけれど、そう遠くはない未来、実際に手で触れることができないものと化したとき、このヘソクリの隠し方や貯め方にも変化が出るのだろうかと話は続いた。

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そう言えば、人に秘密にしてこっそりと貯めたお金をヘソクリと呼ぶけれど、この呼び名の語源には、ある時代のエピソードがもとになっている。

あるとき、家計を助けようと農夫の奥さんたちが仕事を始めたという。

当時の女性たちが出来る仕事は限られており、家を空けることなく空き時間を利用してできる仕事となればその選択肢は更に減った。

その数少ない選択肢の中から女性たちが選んだ仕事は、麻でできた糸を機織り機で使えるよう、きれいに巻き取るという仕事だったという。

まず、麻糸を「綜(へ)」と呼ばれる道具にかけ、次に「綜(へ)」にかけた麻糸を手繰り寄せながら巻き取るのだそう。

巻き取り終えて使える状態に整えられた麻糸は「綜麻(へそ)」と呼ばれ、この内職作業そのもののことは「綜麻繰(へそくり)」と呼ばれていたのだとか。

そして、女性たちはいつからか、この綜麻繰(へそくり)作業によって得た収入の一部を少しずつ抜きとり、家族に内緒で貯めこむようになり、

こうして貯められた秘密のお金をいつの頃からか綜麻繰(へそくり)金と呼ぶようになったという話が、ヘソクリの語源の有力なものとして語られている。

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私はこの語源を知る機会がくるまで、お臍(おへそ)絡みの語源だとばかり思っていたため、

綜麻繰(へそくり)と呼ばれる作業があること自体、初耳だったけれど、聞くところによると綜麻(へそ)という言葉は古事記にも登場しているというではないか。

古事記は、何度も目を通す機会があった書物のひとつなのだけれど、私の記憶からは、そのような言葉の欠片すら見つけることができず、そのうち目に留まるのだろうかと思った。

あまり自信はないけれど、綜麻(へそ)の言葉を見つけたときには、しかとこの目に焼き付けて置こうと思う。

ヘソクリ、皆さんは得意なのだろうか。

私は、始めるというワクワク感を抑えられず「ワタシ、ヘソクリを始めようと思って」と宣言し、「それはもう、ヘソクリとは言わないのでは?」と指摘されたことがある。

どのようなことにも向き不向きがあるのだなと思うこの頃である。

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凛々しさの裏にあった失敗を次に活かす力。

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7月17日辺りから、七十二候は「鷹乃学習 (たかすなわちわざをならう/たかすなわちがくしゅうす)」という期間に入る。

どのような時季なのかと言うと、この文字の並びから想像できるとおり、今年生まれたばかりの幼い鷹が、飛ぶことや獲物の狩り方など生きるために必要なことを学習する時季だという。

「鳥」と一口に言ってもその種は様々。

その頂点に君臨しているのが鷹なのだけれど、この鷹が人間が使う暦に登場するということは、先人たちが鷹を特別な対象として見てきた印でもある。

鷹は、巣立った後は群れずに生きる鳥だけれど、頼ることが出来るのは自分だけという厳しい環境下で生き抜かねばならないため、非常に忍耐強く学習能力が高い鳥としても知られている。

聞くところによると、狩りで失敗をするとその失敗から様々なことを学び、失敗した経験を次の狩りに活かすのだそうだ。

もちろん、鷹それぞれに性格というものが備わっているため、全ての鷹が己の失敗を次の狩りに活かしているというわけではないようだけれど、

このような忍耐強さや学習能力が低い鷹は生き抜くことが出来ないそうで、自然淘汰されるのだとか。

なかなか、厳しい環境である。

しかし、あの凛々しい顔つきや佇まいは、そのような世界を生きているからこそなのだろうと、鷹の性質を知って思った。

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鷹は人間にとって、銃がない時代から獲物を獲るための手段でもあったわけなのだけれども、

他の何ものとも組まない気難しい性質の鷹が、唯一パートナーを組んだのが人間である。

世界中の至る場所で、その土地の文化をもとに人間と狩りをしてきたのだけれど、日本人と鷹との関係は少し変わっているという。

外国では獲物を狩るとき、鷹が鷹のタイミングで飛び立ち獲物を狩るという。

しかし、日本では鷹を使って狩りをする鷹匠(たかじょう)と呼ばれる人と鷹が呼吸を合わせ、鷹が目指したいポイントへ向けて人が鷹を投げ放つそうだ。

こうすることで鷹が持っている力に人の力が加わり、素早く獲物を捕らえることができるのだとか。

ただ、そうなるまでには鷹と人間との間に確かな信頼関係が築かれていなければいけないそうで、繊細で気難しい鷹を育てる鷹匠(たかじょう)という職は、非常に難しいもののようだ。

そして、この鷹匠(たかじょう)という職業。

日本では、鷹と鷹匠(たかじょう)によって、儀式に使用するための獲物を狩るなどしていたため、鷹匠(たかじょう)は戦後辺りまで宮内庁に所属していたそうだ。

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私は海外で鷹狩りのパフォーマンスを観たことがあるのだけれど、現地の方々から、日本の鷹はお行儀が良いんでしょ?と尋ねられることがあった。

初めて尋ねられた時は答えに困ったけれど、調べてみると、厳かな雰囲気の儀式の場で獲物を捕らえたり、その時を待ったり、時にエサを食べるなどしなくてはいけない日本の鷹は、

そのような場に相応しい礼節も鷹匠によって教えられているのだと分かった。

鷹が本来持っている性質がそう簡単に変わるようには思えないため、人間をパートナーに選んだ鷹は、共に生きようと思えるような人間に出会えたということなのだろうか。

そう思うのと同時に、損得勘定抜きで曇りなき眼差しを向けてくる鷹を相手にする鷹匠(たかじょう)という職は、自分にも相手である鷹にも嘘を付けない、神聖な職業だとも思う。

この鷹が登場する七十二候「鷹乃学習 (たかすなわちわざをならう/たかすなわちがくしゅうす)」は、本日からでございます。

鷹を目にする機会は多くはありませんけれど、生まれて一カ月足らずで巣立つ準備を始めた幼き鷹にエールを!

失敗したっていいじゃない、次に活かすことができるなら。

そのようなポジティブシンキングで、本日も口角をキュッと上げてまいりましょうね☆彡

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