幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

ランドセルが繋ぐもの。

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まただ、そう思った。

先月もランドセルを抱えた子どもが、親に連れられて携帯ショップ(直営店)へ入っていくところを幾度か見かけた。

はじめは、学校帰りに立ち寄ったのだろうと思っていたのだけれど、あるとき、小学生と呼ぶには少し大人びた雰囲気の子どもを目にし、何となく気になった。

しかし、いつものことなのだけれど、気になったこと自体をあっという間に忘れ数週間ほど経っていただろうか。

この日は、日曜日で学校が休みということもあってなのか、そのような親子を3組目にした。

何かある、そう思い携帯ショップ(以下、ソフトバンク)のHPをのぞいてみると、ランドセルの寄付を受け付けていた。

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“YouMe Nepal”というNPO法人があるそうだ。

この法人はネパールで、学校運営をはじめとする様々な活動を通して、ネパールの子ども達の未来を切り開くべく、教育支援を行っている法人とのこと。

ネパールの山岳地帯で暮らす子どもたちは、勉強をするために必要な教科書や文具などの道具を持っていなくても、険しい山道を何時間もかけて通学しなくてはいけない状況下に置かれていても、学校に通い、学びたいと思っているのだそう。

通学時に日本の軽くて丈夫なランドセルがあれば、大切な教科書や文具を無くすことも、雨風で傷めてしまうこともない。

更に、ランドセルの中に入れて背負ってしまえば両手が塞がれることがないため、険しい山道を今よりも安全に通うことができ、そのランドセルは自宅では机の代わりにもなるという。

“YouMe Nepal”は、ひとつのランドセルをきっかけにして、ネパールの山岳地帯で暮らす子どもたちにも、自分の未来を切り開く力を身につけてもらえたらという思いのもと、

寄付によって集まったランドセルをネパールの子どもたちに届け、教育課題の改善や学校の仕組みをより良くするための活動に利用しているのだそうだ。

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この活動を応援している企業のひとつがソフトバンクであり、私は、この応援に賛同した親子を見かけていたようだと分かった。

ランドセルは、ネパールの子どもたちが安全に長く使えることが条件なので、ランドセルであれば何でも良いということではなく、

経年劣化を考慮し卒業から5年以内のもの、落書きがないもの、破損個所が無いものなど、いくつかの条件をクリアしたもののみ受け付けてもらえるようなのだけれど、日本のランドセルは日本で役目を終えた後も誰かの役に立つことができるようである。

卒業直後は、たくさんの想い出が詰まった、相棒のようなランドセルを手放したくないと言う子どもたちも、卒業して1年、2年と経つ中で視野が広がり、感じることにも変化が出て、寄付することを決める子もいるという。

このような活動に参加するのが良い、正しいということではなくて、持ち主が、そうしたいという気持ちになったときに、このようなプロジェクトがあれば、温かい気持ちがシンプルに繋がり、広がっていくように思う。

そのようなことを思いつつ、世の中をちらりのぞき見した日。

【注意】ソフトバンクでランドセルを回収してもらうためにには、事前申し込みが必要で、期間は、2019年4月1日(月)から2019年5月31日(金)までとのこと。詳しくはソフトバンクHP内にて再度ご確認下さい。

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夏の匂いとともに味わう、旬を迎えた野菜のスプラウト、オクラ編。

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オクラの美味しさが増す季節だ。

先日購入したオクラは、これまでのものよりも一回りほど大きく、色味も濃く深いものに変わっており、その堂々たる姿で旬がきたことを知らせてくれた。

どのようなメニューに仕上げても美味しいけれど、まずは輪切りにしたオクラを軽く湯通ししたものに卵黄と鰹節を乗せ、牡蠣醤油を回しかけたものを混ぜていただくのが、私の定番である。

旬を知らせてくれたオクラに敬意を表し、オクラの味をシンプルに堪能……と記しかけたけれど、それほどシンプルでもないこの組み合わせが、今のところ、私のシンプルである。

そして数日前、私は初めてオクラのスプラウトを食べた。

スプラウトと言うと、その高い栄養価に反し、ひょろりと弱弱しいビジュアルが特徴的だけれど、オクラのスプラウトは豆苗のような力強さがあった。

そして、オクラはオクラということだろうか。

スプラウトの茎にもオクラ同様に薄っすらと産毛が生えていた。

説明書きには、この産毛による青臭さを無くすため、軽く湯通しをしてお浸しなどにという説明があったので、軽く湯通ししたものをサラダに混ぜ込んでいただいてみることにした。

かいわれ大根を太くしたような豆苗のようなオクラのスプラウトの味は、オクラではあるのだけれど青臭さはなく食べやすい印象で、

普段はオクラが苦手だという方も、食べやすいのではないだろうかと思わせる味で、あのネバネバも健在であった。

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オクラは、市場に流通するようになってから日が浅い野菜だけれど、その栄養価に対する注目度は高いようである。

特に、あのネバネバ成分の中には、血糖値やコレステロールを下げたり、胃の粘膜を保護しつつ、食べたものの消化を助ける効果があるという。

他にも、大人になればなるほど気になる動脈硬化や心筋梗塞と言った生活習慣病の予防に働いてくれる成分や、体が錆びないように働く抗酸化作用に働く成分。

更には、女性にとって大切な骨粗鬆症の予防や新陳代謝の活性化、浮腫みの緩和といった美容に繋がるような栄養素もしっかりと含まれているのが特徴。

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オクラはハウス栽培されたものも出回っているため、いつでも買うことができる印象があるけれど、暑い地域で栽培される野菜なので、本来の栄養をしっかり受け取ることができるのは、これからの時季です。

そして、スプラウトはご存知のとおり、オクラに限らず栄養価が増した状態のもの。

お嫌いでなければ、お好きなタイプのオクラを、お好きな調理方法で味わいながら、オクラの旬と夏の匂いを感じてみてはいかがでしょうか。

今日も健やかな食卓でありますように☆彡

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気付かぬふりをした、あの日のハッピーライラック。

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久しぶりに花屋をのぞいた。

お目当ては、そろそろ出回り始めているだろうライラックである。

好きなお花は色々あるけれど、ライラックは私の中で割と上位ということもあり、この時季はライラック目当てで花屋をハシゴする。

いつの日か、両手に抱えきれないほどのライラックを、持っているものの中で一番大きな花器に生けようと心に決めているのだけれど、

その夢を未だ叶えていないのは、もう少しだけ、その時のことを想像して楽しみたいからである。

自分で自分のことを何だか面倒くさいと感じてはいるのだけれど、どういう訳か、この夢だけは淡い夢のまま抱いていたいような気がしている。

私がライラックの虜になったのはイギリスに住んでいたときである。

ライラックは涼しい気候を好むため、日本では北海島や札幌といった限られた土地や、ライラックに適した環境下でしか見ることができないけれど、

ヨーロッパでは割と至る所に植えられており、目にする機会も多かったように思う。

金木犀と同じモクセイ科ということもあり、花の姿形が似ているだけでなく、香水の原料にされるくらい甘くて華やかな香りを放つことでも知られている。

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そして、ライラックはちょっとしたおまじないにも使われているのだ。

これは、当時お世話になっていたお宅のお嬢さんに教えてもらったのだけれど、通常ライラックの花びらは4枚なのだけれど稀に5枚のものがあるのだそう。

この貴重な5枚バージョンの花はハッピーライラックなので、誰にも見つからないように、気付かれないように摘んで飲み込むと恋が成就するという言い伝えがあるというのだ。

その話を聞いてしばらく経ってから、そのお嬢さんと2人で出かける機会があったのだけれど、街路樹として植えられていたライラックの中に、貴重なハッピーライラックがあったようなのだ。

彼女は、私に気付かれないようにこっそりとハッピーライラックを摘み、パクッと飲み込んだことを私は知っている……。

しかし、誰にも見つかってはいけないし、気付かれてもいけないのだと聞かされていた私は、「ハッピーライラック見つけたの?」なんて野暮なことを言いながら近づくわけにもいかず、この瞬間まで他言せずにいたけれど、あの時の彼女の恋が成就したのか、今更ながら少しだけ気になっている。

今年のライラックはどのような色合いを見せてくれるのだろうかと心躍らせながら花屋をのぞいたけれど、今回は残念ながら収穫なしの空振りに終わった。

ライラックの時季は4月から6月頃まで、また日を改めてリベンジを!そう思いながら帰宅した。

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存在感を解き放つライラックですが、切り花のライラックは意外と花持ちが悪いと感じる方も多いかと。

ライラックは繊細な花木なので、花器に生ける際には、多すぎると感じるくらい多めのお水に生けると花持ちがよくなります。

あと、これは邪道かもしれないのですが、水に浸かる部分の枝の皮を剥いて生けると、枝木が水を吸い上げる面が大きくなるので、花と香りの持ちが伸びます。

ライラックの切り花を生ける機会がありましたら、可愛らしさと艶やかさを兼ね備えた花や甘く優しい香りを楽しみつつ、ハッピーライラックを探してみてはいかがでしょうか。

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実験気分で、浴室内のキレイを出来るだけ長く保たせるコツ探し。

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そろそろ肌離れが良いタオルケットも引っ張り出しておこうかしら。

そう思いながら手帳へ視線を落とすと、いつの間にか立夏が過ぎていることに気が付いた。

どうりで日差しは日に日に熱を増し、気温も高いはずである。

先日久しぶりに通った川沿いは、一気に芽吹いた感漂う雑草が茂り放題で、懐かしい季節の匂いがした。

今年の立夏は5月6日だったようなので、暦の上では既に夏が始まっているということになる。

こうして来るべきタイミングでやってくる自然の変化を、ありがたいと感じられるようになったのは、最近のことかもしれない。

ここ最近のことも思い返しながらお茶を……と言いたいところだけれど、この日はそのようなことを思い返しながらお風呂掃除をしていた。

湿度と言えば梅雨のイメージがあるのだけれど、意外にもこの時季の湿度は高い。

気温は急激に上がり、恵みの雨も増え始めるため、この時季の浴室内は、菌が繁殖しやすい室温と程よい温度に保たれた水分、洗い流しそびれた皮脂などがいい塩梅で混在し、

どんなに丁寧なお掃除をしていても、ぬめりや黒カビ、赤カビといったものが増えやすいのだ。

これは、普段から浴室掃除をしている人にしか伝わらないことのように思うのだけれど、

黒カビや赤カビが出来ているからと言って、お掃除をサボってしまったのではないということ、これを、声を大にして言いたくなるのもこの時季である。

どんなにお掃除をしていようが、現れるときは現れる、それがカビである。

私の言い分けのような流れになってしまっているけれど、少しでもカビに有利な状況が整ってしまうと、普段の浴室掃除だけでは追い付かなくなるため、

ズボラな私は、浴室内のお掃除が簡単になるよう、梅雨が来る前に本格的なお掃除とカビ対策を施しておくのである。

今回は、そのようなお話少し。

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先日、浴室内の鏡に付着してしまったウロコ汚れの見分け方に触れたのですが、あの見分け方をここでも使います。

浴室内のお掃除をしたにも関わらず、翌日に黒カビや赤カビが薄っすらと出来くるようであれば、

浴室内の床や浴槽、壁などに落としそびれた汚れ、シャンプーや石鹸などの成分に皮脂が混ざってできた湯垢汚れが原因になっていることがあります。

ですから、このようなときには、汚れに適したもので仕上げ洗いをすると良いのですが、

使われている石鹸の成分によって酸性の洗剤(市販のものやクエン酸)が効く場合と、アルカリ性の洗剤(市販のものや重曹)が効く場合と別れます。

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細かい成分を確認して判断してもいいのですが、成分名などを調べたり覚えるは大変と感じる方もいらっしゃるかと思いますので、

学生の頃の理科の実験気分で、とりあえず2パターンあるらしいけれど、我が家はどちらの仕上げ洗いが合っているのだろう?

という観察のもと、キレイな状態が長持ちする方法を見つけてみてはいかがでしょうか。

もし、見つかった方法でお掃除をしていて、効果が落ちてきたと感じるときは、

使っているシャンプーやボディーソープ、その他浴室内で使用しているものを変えたことによって、浴室内に残る汚れの質が変わったサインである場合も。

そのようなときには、改めてもう片方の洗剤を使ってみることで再び、お掃除にかかる時間を短くしたり、キレイな状態を長持ちさせることができます。

カビが繁殖しやすい時季は、浴室内に残っている落としそびれた汚れを一掃し、換気時間をこれまでよりも少し長く設定するだけで、随分とラクになりますので、

何かしらのヒントや閃きのきっかけに思い出していただければと思います。

そして、できた時間はご自分の為に、美味しいお飲み物を淹れて差し上げて下さいませ。

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ピンチはチャンスのアメリケーヌソース。

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あれから幾度も行っている引っ越し時の断捨離、このノートは、その度にどこに身を潜めていたのだろう。

そう思いながらパラパラと捲ったノートは、フランス語で綴られた古い日記帳、いや、日記帳というよりは恩師との交換日記のようなものである。

恩師とは、こちらでも幾度か登場した、豪快さがキュートなフランス人女性なのだけれど、そのノートの最後のページには、彼女が教えてくれたアメリケーヌソースのレシピが書いてあった。

彼女には公私ともにお世話になり、フランス語以外にも多くのことを教えてもらったのだけれど、フランスの家庭料理もそのひとつだ。

久しぶりに彼女のレシピでアメリケーヌソースを作ってみようかしらと、レシピを覗き込んでみたけれど、お世辞にも上手な字だとは言い難い彼女の文字が、紙の上で自由奔放に踊っており、解読不能であった。

しかし、それを不満に思う気持ちは一切湧かず、手より先に口が動いてしまう彼女らしさがとても懐かしかった。

書き残してくれていたレシピは解読不能だったけれど、彼女宅で一緒に作った簡易版アメリケーヌソースを思い出しながら作ることにした。

彼女は、本来は3日かけて丁寧に作るソースなのだけれど、そんなにも時間をかけていたら腹ペコでおかしくなってしまうでしょなどと言って、手際よく調理してくれたように思う。

キッチンに充満するのはアメリケーヌソースの魅惑的な香りだ。

熱を加えたバターの甘美な香りに、エビやニンニクの香ばしさと野菜の香りが合わさっただけでもノックアウト寸前だというのに、

ここにトマトの酸味と、こっくりとした生クリームの香りまでもが混ざり合っていくのだから、私のお腹は鳴りっぱなしである。

そして、言われるのだ。柊希はいつもお腹を空かせている、と。

レディに向かって何てことをと、これに対しては毎回物申していたのだけれど、小さいことは気にしない彼女に聞き入れてもらった記憶は無い。

そのようなやり取りを交わしながらの調理も一段落した頃だったと思う。

煮込んでいる間、チョコレートだったかクッキーだったか覚えていないけれど甘いもので小腹を満たしながら、アメリケーヌソースはアメリカ風ソースという名ではあるけれど、正真正銘フランス生まれのソースだという話が始まった。

この手の話をするときの彼女の表情は、教師の顔に切り替わる。

初めの頃は、この表情の変化に緊張することもあったけれど、次第に彼女の魅力のひとつだと感じるようになった。

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話をアメリケーヌソースに戻すついでに、時もナポレオン時代にまで巻き戻る。

当時のパリには美食家たちが集う人気のレストランがあったのだそう。

そのレストランに、アメリカからの観光客御一行様がやってきたのだけれど、生憎、オマール海老以外の食材の品揃えが乏しかったため、シェフは、オマール海老とお店のあり合わせ食材で一品、完成させたのだそう。

シェフはアメリカのレストランで働いていたことがあったようで、その時に学んだこととフランス料理に反映させたこの一品、

これが、シェフが想像する以上にお客様にうけ、オマール海老のアメリカ風という名で、レストランの定番メニューになったのだとか。

ここから、この料理に使われていたソースが、様々な食材や料理に使われるようになる過程でアメリケーヌソースと呼ばれるようになったそうだ。

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恩師である彼女には、他にもいくつかの説を教えてもらったはずなのだけれど、今の私の記憶に残っているのは、これだけである。

あり合わせの食材で作ったメニューが人々にうけて定番メニューになったという話は意外に多い。

人は窮地に立たされると、普段眠っている力がパッと花開くのだろうか、とも思う。

正に“ピンチはチャンス”である。

さて、できあがったアメリケーヌソースを今宵は何と合わせよう。

遠い場所へ行ってしまった彼女のことを思い出しながら、出来立てのソースを口に運んだ日。

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反省の仕方にもコツがある?

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途切れ途切れに聞こえてきた会話は、何かを失敗してしまい「反省している」という内容のものだった。

内容は分からなかったけれど、深く反省していることが伝わってくるような声の表情をしていた。

何を思うでも感じるでもなく、すぐに手元のスマートフォン画面に意識と視線を移したのだけれど、

その方が発している「反省している」という話と言えばいいのか、反省の勢いと言えばいいのか、しばらく経ってもその話が止むことはなかった。

次第に、聴こうとせずとも聞こえてくる反省っぷりに、こちらまで胃の奥がキリキリと痛み出しそうで、思わず席を移動した。

同時に席を立った方と目が合ったけれど、多分、同じ目的で席を立ったのだろうと思った。

失敗したり、誤ってしまったりしたときのことを、どうしてそうなったのだろうかと考えることや、考えて次に生かすことは大切なことではあるけれど、

それも度を過ぎてしまうと、なかなか厄介なことなのだと見せられたような気がした。

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そう言えば多くの偉人たちが、反省はしない方が良いという類の言葉を残している。

もちろんこれは、反省することや反省する人を否定したり悪く言っているのではなく、反省にもコツがあるのでは?と考えさせられる言葉である。

例えば、何か失敗をし、そのことを一日の終わりに一人静かに反省したとしよう。

この時に、何か前向きな思いや考えに達して眠りにつくのであれば、失敗も意味のあるものになるけれど、

自分自身のダメな部分に全意識が向かっていってしまうと、自分と誰かを比較して要らぬことを感じ考えてしまったり、自分を無駄に追い込んでしまったり、何もいいことはない。

しかも、本題である内容から随分とかけ離れたところに着地してしまい、翌日の活力を蓄えるどころか、心身が疲弊してしまう。

それならば、疲れているときや失敗して落ち込んでしまった日は、反省などせずに、まずはしっかりと眠り心身を回復させ、

反省が必要だと判断したのであれば、前向きな思いや考えを着地点に反省する方が、前向きに力強く生きていくことができるのではないか、という類の話である。

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失敗した本人にしてみれば、失敗を気にせずに、まずは眠りなさいと言われたところで、モヤモヤが増すようにも思うけれど、失敗と向き合うにも、自分と向き合うにも、エネルギーは必要である。

まずは眠ってから、まずは一服、まずは深呼吸。

失敗したときだったとしても、それくらいの余裕があってもいいのではないだろうかと思う。

私たちの日々の中で起こることは、エネルギー補給をしてからでも遅くないようなことがほとんどなのだから。

先日猛省していた方は、ご自身が思う自身の欠点を延々と述べていらっしゃったのだけれど、シチュエーションが変われば長所は短所に、短所は長所にもなるもの。

今回、それがどのようなシチュエーションでどう表れてしまったのかは存じ上げないけれど、

反省するにもコツがあるということなのだなと感じた出来事である。

慌てない、慌てない、まずは深呼吸。

大丈夫、大丈夫、まずは深呼吸。

そのような魔法の言葉を胸の片隅に忍ばせて、今日もまいりましょ。

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春キャベツの余韻に浸りながらミステリアスさを思う午後。

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春キャベツが美味しい季節だ。

今季何玉めの春キャベツになるのか分からないけれど、その日もザクザクと千切りに。

軽く塩コショウをしてスプラウトとノンオイルのシーチキンを混ぜ合わせたものを、厚切りパンにたっぷりと挟んだ春キャベサンドがたまらない。

一応、栄養のバランスを考えてスプラウトやシーチキンを混ぜ込みはしたけれど、もっとシンプルに春キャベツだけのものが今の気分にマッチしているようにも思う。

温かいハチミツレモンも用意して、風もなく心地よい天気だったその日は、ガーデンテーブルで味わうことにした。

食事を終えてハチミツレモンを飲んでいると、不注意で割ってしまったバケツが目に留まった。

そろそろ、おしゃかになってしまったバケツを処分しなくては。

そう思った自分に「“おしゃか”って言葉、久しぶり」と思った。

学生の頃、使い物にならない状態になったものが、立派なお釈迦様に変身するという想像ついでに、この言葉を調べたことがあった。

あのお釈迦様と同じ「お釈迦」と書き記すのだと知り、へぇーと思った。

それから何年も経った後、この言葉が職人から生まれたという説があるのだと知った。

今回は、そのようなお話を少しと思っております。

ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていって下さいませ。

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使いものにならない状態になってしまうことや、失敗などに対して使われる「お釈迦になる」という言葉があるけれど、これは鋳物職人の失敗から生まれた言葉だと言う説があるそうだ。

阿弥陀仏像を作って欲しいという注文を受けた鋳物職人が、うっかり注文内容を間違えてお釈迦様を作ってしまったことから、

職人たちの間で、使いものにならないものや、失敗してしまったことを「お釈迦になる」と言いはじめたことがきっかけだという説や、

阿弥陀仏像を作っていたのだけれど、お釈迦様のようなものに仕上がったことから、失敗や失敗作を「お釈迦になる、お釈迦になった」などと言うようになったといった説があるのだとか。

失敗や使いものにならない状態になったものとお釈迦様を結び付けている辺りから、もともとは職人たちの間のみで使われていた、隠語のようなものなのだろうけれど、

人が、昔も今も変わらず秘密めいたものに惹かれたり、使ってみたくなったりするのは、人の性のようだ。

今は「お釈迦になる」という表現そのものに秘密めいた雰囲気など無いことも、この表現が使われる機会が減った原因なのでは?と思うと、

人の心を魅了するには、ほんの少しのミステリアスさは不可欠なのかもしれない。

そのようなことを思いつつ、春キャベツの美味しい余韻に浸る午後である。

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新参者のあの子に便乗して。

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天気が良く気温もグングンと右肩上がりのその日、駅の近くを歩いていると、街頭で募金活動をしている方々の姿が目に留まった。

朝から休まずに活動していたのか、お昼を過ぎたその時間には声が掠れてしまっている方も数名いたように思う。

以前、募金活動をどう思うかという話題に触れる機会があったのだけれど、募金活動をしている人たちのことを偉いと感じる人、

気まぐれで1日だけ街頭に立つくらいなら、その日の自分の夕食代やお洋服1着分を寄付した方が、効率が良いと感じる人、塵も積もればだと感じる方、その他にも様々な感じ方があり、

募金活動ひとつ取ってみても、答えは人の数だけあるのだと感じたことがあった。

そのようなことを思い出しつつ待ち合わせの場所に立っていると、募金活動の場所から少し離れたそこで募金活動中の2人が話をしていた。

2人は、募金活動のベテラン指導者と新参者といった間柄のように感じた。

指導者らしき方が新入りであろう方に、カンパという言葉は誤解を招くことがあるから使わずに、「募金活動をしています、寄付をお願いします」という言葉を使うようにと指導しているところだった。

本来、お金を募る側が使う言葉が「募金」であり、この表現が適しているのかは分からないけれど、お金をお福分けする側が使う言葉が「寄付」である。

ただ、今はどちらも同じ様な意味で使われているため、「募金した」も「寄付した」も同じように使われている。

私は気になったのは、カンパという言葉は誤解を招くことがあるからといフレーズである。

カンパもお金、資金を集める際に使われる言葉だけれど誤解とは何ぞや?

あまりにも用途が多すぎて誤解を招くという意味だろうか?

あれやこれやと思い巡らせてみたけれど、あまりにも聞きなれている言葉すぎて、答えらしきものに辿り着く気配がない。

そこで、知人が来るまでの間の時間潰しにと、生まれて初めて「カンパ」という言葉の意味を検索してみることにした。

すると、カンパとはロシア語で、政治的な活動や闘争といった意味を持つ「カンパニア」がもとになっていることを知るのである。

先程、募金活動のベテラン指導者が話していた「誤解を招く」とは、政治活動資金や政治に関係する闘争資金を組織で集めている、ということを連想させるかもしれないという意味だったのだろうと思った。

日本では、そのような意味に留まらず、様々な支援金を集めるシチュエーションで「カンパ」という言葉が使われるようになったため、

私たちは様々なシチュエーションで「カンパ」という言葉を使い、耳にしており、違和感を覚えることなく過ごしているようだ。

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本場流もアレンジ流もあり、その国に合ったものや受け入れられたものが残り、使われているのだから、異なっていても色々な解釈があっても良いと思う。

ただ、機会があるならば、本場流を知っておく、触れておくことも、自分自身や過ごす日々を豊かにすることのひとつなのかもしれないと感じながら、スマートフォンを鞄の中へ押し込んだ。

しかし、「カンパ」がロシア語からきていたとは想定外である。

新参者のあの子に私も便乗させてもらった日。

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遊び心とギャップは大切である。

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エレベーターホールで体の割に大きなランドセルを背負った小学生の兄弟と一緒になった。

最近は何かと気にかけることが多いため、そのエレベーターを見送ることにし、郵便受けをのぞきに行った。

届いていた郵便物を手にエレベーターホールに戻ると、ドアを開けたまま待っていてくれた兄弟2人に、「お気遣いなく、ご一緒にどうぞ。」と言われた。

見た目からは想像し難い一言一句に、大変失礼ながら笑いそうになったけれど、緩む口元にぎゅっと力を入れ、お礼を言って急いで乗り込んだ。

しかしそうは言っても、小学校低学年の男の子たちである。

「“とう”が付く言葉はなーんだ」というお兄ちゃんの問いかけに、全身を使って戦隊ものシリーズの戦闘ポーズを取って「“とう”」と答える弟くん。

再び緩む口元に力を入れながら先に降りる彼らの背中を見送った。

今のは反則だ、そう思いながら私もバベルの塔、五重の塔、大アルカナの塔……ピサの斜塔にエッフェル塔。

あの子が求めていた“とう”の答えが“塔”だったのかは分からないけれど、私も自宅玄関に辿り着くまで、思い出せるだけの“とう”がつく言葉を挙げてみた。

どれも、すぐさま戦隊ものシリーズの戦闘ポーズが浮かぶインスピレーションを羨ましく思う弟くんの“とう”には敵わないような気もするのだけれど、私の中で“とう”という言葉は“塔”のイメージだということが分かった。

そして最後にと絞り出たのが“金字塔”である。

日本ではもう使われることが無くなったけれど、ピラミッドの当て字が金字塔。

どうしてピラミッドに金字塔という字を当てたのか、それはシンプルに、ピラミッドを眺めていると「金」という字のカタチをしたような塔でしょ?ということらしいのだ。

え?それだけ?と拍子抜けするくらいシンプルで適当な当て字である。

しかし、ちょいちょいとシンプルで適当なことを採用する、この感性がいいじゃないかと思ってしまう。

そしてやはり、遊び心とギャップは大切である。

可愛い兄弟にそう教えてもらった日。

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画面越しのキュートなあの子に首ったけ。

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友人が犬を飼い始めた。

普段はキリッとしているタイプの友人なのだけれど、子犬の、まだまだ体が小さく、縫いぐるみのようにコロンとしたフォルムと友人のそばを片時も離れない姿に、首ったけである。

私も犬を飼っていたことがあり、その気持ちは非常に共感できるところなのだけれど、あまりにも頻繁に画像や動画が送られてくるものだから思わず、送りすぎだと突っ込んだ。

そう言いつつも実際のところは、犬と猫の多頭飼いを夢見ている私も既に、画面を通して友人宅にやってきた新入りに癒されているのだけれど。

そんな私の胸の内を知ってか知らでか、友人の愛が溢れている視線によって撮られた画像や動画を知らせるランプは止む気配がない。

しかし、いつの間にかそのランプの点灯を待っている自分に気付き、友人同様に首ったけなのだと知るのである。

私のライフスタイルを思うと夢の域を出ないその夢を、画面越しに疑似体験させてもらっているようなこの頃だ。

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今では当たり前のように、何かものごとに夢中になっている様子や、誰かに恋心を抱き夢中になることに対して使う「首ったけ」という表現だけれども、

もとは、何かが足もとから首の高さまで積り重なる様子を表現するときに使われていたそうで、首丈(くびたけ)と記されていたという。

意味も現在とは異なっており、積もり積もった借金を表現するときなど、あまり好ましいシチュエーションではない状況に使われていたのだとか。

そんな首丈(くびたけ)という言葉が、装いも新たに?「首ったけ」という言葉で使われるようになったのは江戸時代。

足もとから首の高さまで積り重なる様子がもとになっていることには変わりないのだけれど、

これを、ある対象に対して抱く深い気持ちや、夢中になる様子と重ね合わせて、主に色恋ごとに使われるようになったのだ。

色恋に関する言葉を遡ると、江戸時代に本来の意味から変化を繰り返し、改めて広がり定着したような言葉というものがある。

そのような背景に触れるとき、その時代を生きていた人々の関心ごとが透けて見えてくるようで面白い。

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時代も人も、その時々の時代の空気を纏いながら行きつ戻りつを繰り返し進んでいるけれど、行きつく先は何処なのか。

そのようなことを頭の片隅で思いつつ、今日も友人から送られてくるであろう動画の中のキュートなあの子に首ったけである。

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