幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

イヤープレートと認め合った印。

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来年版のイヤープレートが目に入り、もうそのような時季かと思った。

イヤープレートとは、クリスマスプレートと呼ばれることもある陶磁器製の絵皿のことで、

毎年、その年限定の絵柄で生産されている。

どこのショップが毎年生産しているのか、その辺りはあまり詳しくないのだけれど、

イヤープレートと言って真っ先に思い浮かぶのは、デンマークのロイヤル・コペンハーゲンだ。

英国に住む知人たちの中には、毎年イヤープレートを買い足してコレクションしている人もいれば、

好みの絵柄に出会えた時だけ購入するという方、

結婚や子どもの誕生、その他の記念年にはイヤープレートを贈るという方、

また、誕生日の日には自分が子どもの頃に贈られたプレートでケーキをいただいている、という方などがいらっしゃった。

毎年、好みの絵柄のイヤープレートを手に入れることができるとは限らない為、宝探しにも似た気分が味わえるのだとか。

よくしていただいていたご年配夫婦のご自宅で、そのイヤープレートのコレクションを見せていただいていたときのこと。

絵皿を飾る習慣を辿ると日本の陶磁器に辿り着くのだけれど、日本でもイヤープレートを楽しむ習慣があるのか、と尋ねられたことがある。

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もともと、ヨーロッパで使われていた食器は、手に入る素材や技術の関係で、木製のものか、粘土製の陶器がメインで、

透明感がある白い陶磁器は宝石のような扱いだったそうだ。

この宝石のように美しい白い陶磁器は中国生まれだったため、中国からの輸入に頼っていたのだけれど、

国の状況が大きく変わる時代の流れの中で中国からの輸入が困難になった際、

中国の白いそれとは異なる美しさをもった、日本の青や赤が使われた陶磁器が注目され、

ヨーロッパの貴族たちは日本の陶磁器をインテリア品として愛し、飾るようになったのだとか。

外国の習慣が、日本に渡ってきたような印象を受けることもあるけれど、

様々なきっかけや、ご縁が、このような習慣を生んだようである。

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そして、このイヤープレートのことをクリスマスプレートと呼ぶことがあるのだけれど、

これは、クリスマスシーズンに入ると、ヨーロッパの貴族たちは、

使用人たちに1年間の感謝の気持ちを込めて、ご馳走やお菓子を振舞っていたのだけれど、

この時に、ご馳走だけでなく、お皿も一緒に贈っていたそうだ。

そして、ご馳走やお菓子と共に贈られたお皿に感激した使用人たちは、このお皿を大切に飾っていたと言い、

この辺りの出来事が、クリスマスプレートと呼ばれるきっかけであり、

お皿を飾るきっかけが一般的にも広がったきっかけだという説があるのだそうだ。

イヤープレート(クリスマスプレート)を目にすると、外国らしいもののように感じるけれど、

他国の技術や文化を素直に認めあった、やり取りの印であるような気もしている。

イヤープレートやクリスマスプレートを目にする機会がありましたら、

今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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アルファ米とフリーズドライ米、どちらを選びますか?

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小学生たちが、アルファ米のパックを手に帰宅していた。

どうして彼らが手にしているものがアルファ米のパックだと分かったのかというと、

偶然にも、我が家で災害時対策用の非常食として備蓄しているものと全く同じものだったからだ。

以前、食学生のお子さんがいらっしゃる方から、

学校で非常食として備蓄している食品の賞味期限が近づくと、子どもたちに配布されるため、

時々、非常食として販売されている食品を味見する機会があると聞いたことがる。

多分、彼らが手にしていたパックも賞味期限が近づいたものなのだろうと思った。

どのような味がするものなのか、どのような手順で作ればよいのか、作る際に何がどれくらい必要なのか、

この辺りは、やはり取り扱い説明書や作り方を読むよりも、

実際に経験しておく方が、いざという時に役立つように思う。

私は半ば実験気分で買い揃えたものを試し、本当に必要なものだけを最低限の量だけ備蓄しているのだけれど、

その過程では、どうしたって口に合わないだとか、緊急時にこのような手間暇はかけられない、といったものも正直多い。

だから、例え商品1つだけだったとしても、知る機会があれば、いつか、何かに役立つのではないかと思う。

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主食としてアルファ米パックやフリーズドライ米がありますが、

仮に、ご自宅に備蓄するとしたならば、皆さんは、どちらを選びますか?

今回は、それぞれの特徴にサクッと簡単に触れてみたいと思っております。

ご興味ありましたら、ちらりとのぞいって行って下さいませ。

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アルファ米やフリーズドライ米は、簡単に言いますと乾燥米です。

お湯や水を入れて掻き混ぜて、しばらくすると食べることができるので、

非常食としてだけでなく、登山やキャンプに持っていく食品としても利用されています。

また、このような製法で作られた時短食材も多々ありますので、

私たちが思っているよりも実は身近な食品のひとつかもしれません。

今回注目しているアルファ米やフリーズドライ米は、

炊飯器や土鍋で炊いたときのご飯のような味と食感ではないものの、

設備が整っていないような状況下でも、ある程度の満足度を簡単に得ることができることを思うと、

食品としての出来栄えは、悪くはないと感じられるものだと思います。

 

まずは、この手の商品の中から、ご飯ものを購入する際のポイントをいくつかの視点で順にみてみましょうか。

まず、一番気になるであろう味や食感ですが、

白米タイプだけでなく、おこわやピラフ、リゾットやお粥といった味付きのものも多種類出ていますので、選ぶ際に迷われるかと思います。

正直なところ、白米タイプですと、普段から食べ慣れている白米との差をより強く感じてしまうため、

まずは、味がついているものや、もち米が混ぜ込まれていて、もっちりとした食感を感じられるような“おこわ”を選びますと、

味や食感の満足度は高いのではないかと思います。

小さなお子さんがいらっしゃるご家庭では、お子さんが口にしやすい味や食感のものを選んでおくと安心かと思います。

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次に、戻す際の特徴ですが、アルファ米とフリーズドライ米は、両方ともお湯や水を使って戻します。

この時、アルファ米よりも多くの水分を飛ばして作られているフリーズドライは、多くのお湯や水が必要となります。

戻し時間はお湯と水では異なりますが、アルファ米が30分から1時間ほどかかるのに対し、

フリーズドライは5分から10分もあれば十分という特徴があります。

そして、アルファ米は、お湯や水が無ければ食品として食べることができないのですが、

フリーズドライは、最悪、お湯や水が無ければ、そのまま食べることも可能、という特徴があります。

もちろん、緊急事や、何をフリーズドライに加工しているのかにもよるのですが、

この辺りも選択する際のポイントにしても良いのではないかと。

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アルファ米もフリーズドライ米も乾燥させた食品であることには変わりないのですが、

こうして見てみますと、どちらも一長一短であることが分かるかと思います。

誰かにとって、良いと思うものや便利だと思うものが、自分にとって良いもの、便利なものであるとは限らないため、

まずは、知ってみると良いのではないかと思うのです。

ちなみに私は、緊急時は腹持ちが良い方が良いのではないだろうか、という考えと、

少ない備蓄品で効率よく凌ぐことができれば、という思いから、

主食は、アルファ米のおこわやピラフ、白米などを少しだけ準備しています。

そして、スープなどはフリーズドライ製法のもので良いのではないかなと思っています。

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アルファ米もフリーズドライ米もとても良くできていますし、乾燥米、乾燥食品という点では類似品なのですが、

知ってみると、それぞれに、それぞれのメリットやデメリットがあります。

ただ、このメリットやデメリットを基準にして選んでみたけれど、自分には合わなかったいということもあります。

明日、すぐに役に立つようなことではありませんが、

災害時対策用のものでなくても、アルファ米やフリーズドライ食品を経験する機会はあると思いますので、

そのような時には、緊急時のことを、ほんの少しだけ頭の片隅で思い出しつつ、

ご自分の味覚で経験してみても良いではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

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アドベントカレンダーの背景をのぞいてみませんか。

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出先で、アドベントカレンダーを目にするようになった。

アドベントカレンダーとは、クリスマスまであと何日かをカウントダウンするカレンダーのこと。

頻繁に目にするのは、クリスマスの絵柄に点線で囲まれた日付付きの扉が付いており、

その日の扉を開けると、扉の中からチョコレートやキャンディーなどが出てくるものだろうか。

最近では、お菓子だけでなく、小さな玩具が入っていたり、

大人向けのアドベントカレンダーの中には、ちょっとしたコスメアイテムなどが入っているものなど、

様々なアイデアが盛り込まれたものが増えているように思う。

ワタクシ、最近まで、このアドベントカレンダーは、クリスマスまでの時間を楽しくカウントダウンするためのアイテムだとばかり思っていたのだけれど、

クリスマスイベントが盛んなドイツマニアの友人の話によると、きちんとした意味があるというのだ。

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随分と遅ればせながらではあるのですが、

私と同じくカウントダウンアイテムだとばかり思っていたという方、

柊希の脳内整理も兼ねておりますが、

この機会に、もう少しだけアドベントカレンダーのことをのぞいてみませんか。

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このアドベントカレンダーは、「アドベント」と呼ばれるクリスマス前の4週間のことで、

この4週間をカウントダウンしながら丁寧にお祝いするためのものなのだそう。

そして、クリスマスイベントが盛んなドイツでは、この時季、シュトレンと共に定番アイテムのひとつとされているものに、

アドベントキャンドルと呼ばれるロウソクがあると言う。

このアドベントキャンドルは、テーブルなどの上に置いたクリスマスリースの上に、ロウソクを4本立て

アドベント期間中の日曜日に1本ずつ火を灯していくのだそう。

1回目の日曜日には1本だけ、2回めの日曜日には前週に灯したロウソクに加え、新しいロウソクにも火を灯すので2本のロウソクが点火している状態に。

3週目、4周目と新しいロウソクが1本ずつ増え、短くなるロウソクと新しいロウソクを眺めながら、

過ぎた時間と近づくクリスマスに思いを馳せ、気分を盛り上げていくという風習とのこと。

ただ、この風習も時代と共に火の始末などの観点から省略され始め、

残った形がクリスマスリースでは?という説があるのだそう。

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本来は、このような歴史や本来の風習が背景にあり、そのためのアドベントカレンダーなのだけれど、

皆で楽しむことができる機会があるということは幸せなことなので、

伝統的な意味合いものぞきつつ、お楽しみまでのカウントダウンという意味でのアドベントカレンダーを楽しんでみるのも、一興ではないかと思う。

私は自分でアドベントカレンダーを準備した記憶は無いのだけれど、

出先で目にするとほんの少し、気分が高揚する気がしている。

アドベントカレンダーを目にしたり、楽しむ機会がありましたら、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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無理をすることなく取り扱うことができる量を知る。

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時々、場所を決めて断捨離を行っている。

「家中を」などと思ってしまうと、ゴールが見えずにくたびれてしまうため、

「今回は、このスペース内を」という具合に、小さなゴールを目指す断捨離である。

その日は、衣替えも終わり落ち着いてきたこともあり、クローゼット内を見直してみることにした。

私にとって一番厄介な断捨離場所は、クローゼットとシューズボックスである。

例えば、昨年乗り切ったはずの秋冬のクローゼットが目の前にあるはずなのに、

何だか着るものがないかも、と思ってしまうあれは何なのだろうか、と毎年思う。

それでも少しずつではあるけれど、年々、自分が本当に好きなもの、今だけトライしたいもの、

トレンドアイテムだとは言え、自分には似合わないもの、好みではないもの、

結局着ないもの、何だかんだ言って着ているものなどが把握できるようになってきており、

自分のことが分かってくると、このような暮らしの中の様々なことに対する判断基準や、満足基準が自分自身になり、

導き出される答えも、徐々にシンプルになってきているように思う。

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どなたかが言っていた。

世の中に出たばかりの頃は、自分に本当に必要なものが何なのかが分からなくて、あれもこれもと取り揃えてしまうことがある、と。

そして、様々な経験を経て世の中のことが分かるようになると、今度は、

このような場面に遭遇したら、これが必要になる、あれも必要になる、という気持ちから物を減らせなくなることがある、と。

このような目には見えない理由も、物が増えていくきっかけになっているのかと感じた話だった。

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断捨離と聞くと、持ち物を減らすこと、持ち物は少ない方が良いといった解釈をしてしまいそうになるのだけれど、

私自身は、単純に所持品の量ということではなく、

自分で把握できる量、無理をすることなく取り扱うことができる量を知ること、ではないかと思っている。

そのようなことも思いつつ、改めて自分の持ち物を眺めてみると、

まだまだ、自分のキャパシティーを超える量の物に囲まれていることに気付き、苦笑してしまう。

デスクに置いている文具トレーひとつのぞいてみても、ここ半年以上、触れることなく過ごしているものが多数混ざり込んでいるくらいだ。

家中という範囲で見てみたら、無くても困らずに過ごすことができる多くの物に囲まれて暮らしているのだろう。

来年は、本当に好きな物だけに囲まれる暮らしの純度を、もう少しだけアップさせられたなら。

そのようなことを思いながら、文具トレーをひっくり返して吟味する夜である。

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秋らしい風貌でありながら、意外と我が道を行くタイプ。

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いつもの道を歩いていると、何かがつま先に当たった。

それは、かちっと乾いた音を立て、前方へ真直ぐ転がって行った。

幸い、人の通りは少なく、丸い何かがただただ転がっていく様子を目で追いながら、私も前方方向へ、真直ぐと歩いた。

10メートルには満たない程度の先で、丸い何かは動きを止めた。

特別気になった訳ではないのだけれど、“道すがらのついで”で、“追い抜きのついで”だった私は、その正体を確認しようと視線を丸いそれに向けた。

正体は、どこにでも転がってる松ぼっくり(松かさ)だった。

この時季はクリスマスリースやクリスマスオーナメントにも使われており、目にする機会が増えるけれど、

使い方ひとつで、いくつもの魅力的な表情を見せてくれる、あの独特な形状は、

自然界のアート作品の中では、割と手の込んだ仕上がりのように思う。

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いつだっただろうか。偶然目にしたテレビ番組で、何方が、

近年の松ぼっくり(松かさ)、は山の中よりも街中の方が見つけやすいとおっしゃっていた。

秋冬の山中では枯れ葉や枯れ枝などに埋もれたり、同化してしまったりして、その姿が目に留まりにくいのだそうだ。

一方、街中であればアスファルトの上にコロンと転がっているので、割と簡単に目に留まるのだという。

そう言えば、自然に囲まれた贅沢な環境に身を置いているわけではないけれど、

この時季は、松ぼっくり(松かさ)をよく目にしていることに気が付き、なるほどと思った。

そしてワタクシ、このテレビ番組を見るまで松ぼっくり(松かさ)は秋のものだと思っていたのだけれど、そうとは限らないということを知ったのだ。

松ぼっくり(松かさ)は、春に花を咲かせるのだけれど、

花が咲き終わった後は、時間をかけて松ぼっくりになるのだそう。

しかし、松ぼっくりの姿が出来上がったからと言って、すぐに木から落ちるのではなく、

お天気によって、ヒダを開いたり閉じたりさせながら、中にある種を飛ばし、

タイミングが来たときに木からぽろりと落ちるというのだ。

だから、松ぼっくり(松かさ)が落ちる時季というものは決まっているわけでは無く、年中、落ちているもの、とのこと。

多少、松の木の種類によって違いはあるのだろうけれど、

意識していると、一年中街中で道の隅に転がる松ぼっくりを見つけることができるのだ。

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秋らしい風貌でありながら、意外と我が道を行くタイプ、それが松ぼっくり(松かさ)である。

そのようなマイペースさ、良いじゃない!!

松ぼっくり(松かさ)を見つける度に、そのようなことを思うのであった。

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記憶の銀行と記憶の共有。

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先日、あるショッピングサイトからメールが届いた。

知らぬ間に貯まっていたらしいポイントの有効期限切れが迫っているため、

この機会に、何かしらの品物に交換してはどうかというメールだった。

取り立てて言うほど貯まってはいないだろうと思いつつも、メールに促されるようにして個人ページにアクセスしてみると、

思いの外貯まっていたこともあり、眠る時間を少し削って、交換していただけるという品々を見てみることにした。

深夜のテレビに流れる、外国人の方の身ぶり手振りに大げさな吹き替えが付いたテレビショッピングを無駄に眺めてしまうときの、あの感じに似ていると思った。

これは、ネットサーフィンの罠である。

分かってはいるけれど、こうなってしまっては止められない。

静かな部屋に、マウスをクリックするカチッ、カチッという音が静かに響いた。

交換していただける品々の中には、募金なども用意されていた。

その中で興味深かったのは、既に受付を終了していたけれど、語り部活動を支援するための募金だ。

文字に起こされぬまま語り継がれてきた神話や民話、その土地の歴史などを、

人生の大先輩たちから聴かせてもらう環境やシステムを整え、運営している方たちを支援するというものだ。

その活動内容を読んでいて思い出したことがある。

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随分と前に、新聞か何かで「記憶の銀行」というものがあることを知った。

これは、イタリアの若者たちが立ちあげたプロジェクトで、

人生の大先輩たちが知っている昔話を動画で撮影し、インターネット上に公開するというものだった。

少しずつイタリア以外の国にも広がり、日本でも活動が始まったのだ。

大切なことが語り継がれぬまま消えていく状況を、

現代ツールを使って直接伝えていくのとは異なるのだけれど、語り継いでいくというものだ。

その存在のことを、すっかり忘れていたのだけれど、

今回、そのプロジェクトを改めて探してみると、活動は今も続けられていることが分かった。

そして、その活動は、私が初めて知った当時よりも、より確かな形になっているような印象を受けた。

大先輩方の経験や知恵は、こうして世界中の人と共有できる時代、共有する時代になっているようだ。

結局、記憶の銀行に気持ちを奪われて、交換の品を選び損ねた真夜中である。

※「記憶の銀行」をのぞいてみたい方は、世界ver.日本ver.お好きな方を下記からどうぞ。

関連リンク:

↓こちらが日本ver.

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なんと潔い美女たちだろうか。

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しばらく花屋から足が遠のいていたため、久しぶりに立ち寄ることにした。

店先に並べられているチューリップの球根に目を止めていると、店主が近づいてきて、

チューリップを植えるにはタイムリミットが近づいており、今年の球根は、店先に出ているだけで全てだと言った。

子どもの頃に植えたことがあるくらいで、あとは既にきれいに咲いている、誰かが育ててくれたチューリップにしか触れてこなかったことに気が付いた。

そして、店主の話を聞きながらチューリップは寒くなってきてから植えるのか、と頷いていると、

チューリップは、球根を植えた後、冬の寒さを経験させることによって、花を咲かせる芽が育つのだと教えてくれた。

チューリップにしても桜にしても、冬の厳しさを経験せずに、あの艶やかな姿はないということらしい。

自然の厳しさは、何となく理解しているつもりだけれど、甘っちょろいものではないのだと改めて。

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歴史ある花には、何かしらのエピソードがあるものなのだけれど、

チューリップにも幾つかのエピソードがあり、それが花言葉の語源になっていたりする。

その中のひとつに、3人のナイトからプロポーズされた心優しき美女のエピソードがある。

それは、このようなもの。

その3人のナイトたちは、美女の心を掴もうとプレゼント合戦を繰り広げ競い合ったという。

1人目のナイトは、名声を表す王冠を、2人目のナイトは、資産をアピールすべく金塊を、

3人目のナイトは、強さや逞しさを表す立派な剣を贈ったそうだ。

美女が、どのナイトを選ぶのか注目が集まる中、その美女は花の女王に、このようなお願いをする。

「私は、誰か1人を選ぶなんてできません。だから、私を花に変えてください」と。

姿を花に変えてもらうくらいなら、他にもっと良いアイデアがあるのでは?と突っ込みたくもなるのだけれど、そこは物語。

美女は、花の女王によって姿をチューリップに変えられてしまう。

しかし、女王は、美女をただ単にチューリップに変えたのではなく、

ナイトが彼女に贈った王冠は花に、剣は先が鋭く尖った葉っぱに、金塊は球根に変え、

今のチューリップが出来上がったというエピソードだ。

このような美女が求愛に困りチューリップに姿を変えてもらったというエピソードが他にもあり、

この辺りから、チューリップは博愛や魅惑といった花言葉を持つことになっているようだ。

この手のエピソードは割と多く残っているのだけれど、

私は見聞きする度に、なんと潔い美女たちだろうか、本当に悔いはなかったのだろうか、

などと思ってしまっているのは、ここだけの話にしておこうと思う。

今回も最後まで、お付き合いいただきましてありがとうございます。

本日も、ここへ足を運んでくださった皆さんに優しい風が吹きますように☆彡

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オトナの知識|クリスマスオーナメントに込められている意味とは?(キャンディーケイン編)

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リビングで存在感を解き放っているのは、かれこれ10年近いお付き合いになるガジュマルの木だ。

日当たりの良い場所に置いているのだけれど、植物にとってお日様の力は私たちが思う以上に絶大なようで、

窓へ向かって枝を流線形に伸ばし続けている。

向きを変えながらバランスよく育てると良いのだろうけれど、自然が生み出す芸術的なラインに魅せられて、

もう少しだけ、この状態を楽しませてもらおうと思っている。

先日は、このガジュマルに艶やかなメタリックブラウンと、ゴールドグラデーションのオーナメントボールを飾り付けた。

さすがに家中のクリスマスデコレーションを完成させてしまうと、

クリスマスを前にお腹いっぱいになってしまいそうな気がして、今のところ、オーナメントボール止まりである。

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クリスマスオーナメントと言えば、ボール以外にも星や靴下、リーズやベル、

キャンドルやキャンディーケイン(キャンディーケーンとも)など様々ですが、これらの一つ一つに意味が込められています。

こちらでは、毎年少しずつそれらに触れておりますが、今年は杖の形をしたキュートなキャンディー、

その名もキャンディーケインのお話を少し、と思っております。

ご興味ありましたら、チラリとのぞいていってくださいませ。

 

キャンディーケインは、あるキャンディー製造業者が、イエスキリストをイメージして作ったものだと言われています。

どうして杖なのか?

それは、聖書の中で人々は仔羊に、キリストは羊飼いに例えられており、

迷える仔羊たちを導く羊飼いの手には杖が握られているため、この杖でキリストをイメージしようと思ったのだとか。

そして、飴(キャンディー)でできた杖(ケイン)なので、キャンディーケインと名付けられています。

杖の素材として使われているキャンディーの硬さは、強い信仰心を表し、

キャンディーの白地は、キリストの清らかさや純潔を、

赤いストライプは、キリストが流した血や愛を、

時々目にする緑のラインは、永遠の命や、キリストは神が人類に与えた贈り物であるといった意味が込められているのだそう。

また、この杖を逆さにすると、偶然にもアルファベットの「J」に見えるということで、

これはイエス(Jesus)キリストの頭文字だとも言われています。

つまり、キャンディーケインは、“迷える仔羊たちを導いてくれる”という意味が込められているオーナメントです。

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英国在住中に口にしたキャンディーケインの定番は、赤と白のストライプで、すっきりとしたミント味だったのですが、

日本で口にするキャンディーケインは、子ども受けする甘いものが多い印象があります。

これからの季節、キャンディーケインを飾り付けたり、目にしたり、召し上がる機会などがありましたら、

秋の名残も深まる冬も感じつつ、今回のお話を頭の片隅で思い出していただけましたら幸いです。

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自分自身に対する誠実さ。

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駅構内で待ち合わせをしていたときのことだ。

コインロッカー前で地図を広げ、行き先を確認している小さな子ども連れのご家族がいた。

しばらくすると、幼稚園児くらいの子どもが手足をバタバタさせたり、地団太を踏んだりしながら、「嫌だ、嫌だ」と駄々をこね始めた。

それは、何処にでもある光景で、特段何を思うでもなかったのだけれども、

子どもは、こうして感情をその都度解放することで、

心がストレスを貯めずに健康でいることができる、ということを本能で知っているのだろうと思った。

そのように感情を開放することを恥ずかしいと思うのは、本能を何処かに置いてきてしまった大人の方だ。

もちろん、全ての大人までもが、何かある度に手足をばたつかせたり、地団太を踏んで駄々をこね始めたら世の中は大変なことになってしまうため、

大人は大人らしい分別ある行動で。という一種の役割分担のようなものがあるだけのことで、良い悪いの話ではないのだけれど、

駄々をこねる子どもを視界の端で捉えながら「本能って良くできている」と思った。

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そう言えば、どなただったか忘れてしまったのだけれど、ある方の著書に

気分が落ち込んでしまったときには、仰向けに寝転び、手足をバタつかせたり、髪の毛を両手で鷲掴みしたりしながら、

「もうダメだー」とか「どうすればいいのよー」とか、「もう嫌だー」というような感情を声に出すと、

思いの外、ストレス発散になるというようなことが書かれていた。

私たちは“やらなくてはいけないこと”に囲まれて過ごしているようなところがあり、

そこに、“やらない”という選択肢が入ることは少ないように思う。

心身共に常に100%の状態で走り続けることはできないのだから、

息がつまりそうになったなら、気持ちを押し殺さずに、手足をバタバタさせるくらいの余裕があっても良いように思う。

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そのようなことを思ってから1週間ほどは経っていただろうか。

目の前のことから一つずつ片付けてはいたのだけれども、次から次へと現れる“やらなくてはいけないこと”に押しつぶされそうな瞬間が私に訪れた。

そして、これをタイミングが良いと言うのかは分からないけれど、駅構内で見かけた子どもを思い出したものだから、

試しに「もう、何もできない。今日はもう何もしない。」そう声に出しながらソファーにダイヴした。

本当はタイムリミットが近づいているモノゴトがあったのだけれど、「そんなこと、どうでもいい。」と思う自分を演じつつ、

天井をボーっと眺め、“やらなくてはいけないこと”を“やらない”と決め、全部放り投げて、身支度を整えて、映画を観に行こう。

その後は、最近オープンしたちょっとおしゃれなカフェをのぞきに行こう、などと計画を立てた。

しばらく、本気で計画をたてていると、じわりじわりと力がお腹の底から湧いてくるのだ。

不格好ついでに両手足もバタつかせてみた。

子どものように、しなやかにバタつかせることができず、不格好さが増した自分に少し驚いたけれど、

もう無理だ、もう嫌だ、疲れたと感じている自分のことを認めたあとは、心身から、ふっと力が抜けていた。

ここまで終わらせてから休憩しよう、というようなマイルールもアリだけれど、

認めることさえも先延ばしにされ続けていると、知らぬ間に自分に対する不満が思わぬ形で表れるのかもしれない。

あの日の駄々をこねる子どもを思い出し、自分自身に対しても誠実でありたい、と考えさせられた日だ。

少しずつ、楽しさも忙しさも増す時季でございます。

自分自身に対しての先延ばしは、ほどほどにまいりましょう。

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部屋の隅に転がる釘とエトセトラ。

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いつだっただろうか。

テレビ番組だったのか、紙面で目にしたのか忘れてしまったけれど、

日本の木造建築の技術に魅せられた外国人の方が、歴史的な木造建築物の細部を挙げながら、

日本の建築技術の素晴らしさを熱く語っている様子を目にしたことがある。

私は、そのマニアックな着眼点を面白いと感じ、彼が自由に感じ語る、日本の素晴らしい技術を外国の方の視点を借りて数多く知ることができた。

その中で彼は特に、木材に凹凸を作り、それをはめ込んで組み立てる建築法や、

機械を使わずに職人の技術だけで作られる、その完璧な凹凸を魔法みたいだと大絶賛していた。

この技術は、家具や雑貨などにも使われているため、日本人にとっては知らぬ間にお世話になっている技術だけれど、

確かに、釘を使わないこの手法は、職人技術だけではなく、

木材の性質や知識、その土地の気候を熟知しておかなくてはいけないため、

私も改めて、素晴らしい技術だと思った。

正しい年代は記憶していないのだけれども、確か、鎌倉時代にこの凹凸をはめ込む建築法に、

釘を合わせ使うことで、より強度を上げるようになったのだと、観光で訪れた、何処ぞのお城で知った記憶がある。

念には念を、という日本人らしい慎重な仕事っぷりである。

そして、この日本人らしい慎重で丁寧な仕事っぷりが、「釘を刺す」という言葉の語源だという。

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日本語を勉強している外国人の知人に「釘を刺す」とはどのような意味かと尋ねられたことがある。

知人は必ず、直訳と言い回された本当の意味を尋ねてくるため、

正直なところ、毎回その両方を辞書を引きつつ説明することを厄介だと感じることもあったのだけれど、

「釘を刺す」という言葉の直訳を伝えたときに、日本人にしては物騒な物言いだと言っていたのが印象的だった。

当時の私には、この建築技術の変化に関する知識が無かったため、言葉の意味を伝えることしかできなかったけれど、

「念には念を」という日本人らしい仕事っぷりが背景にあるのだと説明できたなら、

知人の、日本のことを知りたいいう知識欲を、もっと満たしてあげられたのではないだろうかと、今更ながら思ったりもする。

そして、「教えてあげる」ということは、「教えてもらうこと」だとも。

そのようなことを思い出しながら、部屋の片隅に落ちていた釘を拾い上げたのだけれども、

果たしてあの釘は、何の釘なのだろうか。どこに使われていた釘だろうか。

釘が一本抜けたくらいでは大差ないだろうと、日本技術を信頼した日。

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