幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

「ヘタウマ」という括りで世に広まることになるとは。

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私は絵心が無くて……というフレーズを耳にすることがある。

絵心。主に使われている意味としては、絵についての知識や技術、センスといったところだろうか。

それらの有無を、絵心がある、絵心がないと表現されている。

ただ、絵心という言葉は、絵を描きたいと思う気持ち、そのものを表すこともある。

このような時には、「絵心が動く」という表現になるのだけれど、こちらの表現を耳にすることは、そう多くないような印象がある。

先日、子どもが描いたような一枚の絵が目に留まった。

絵のモチーフが何なのか、曖昧な所はあったけれど、ピーンとしなるようにして描かれた耳と丸く塗りつぶされた円らな瞳から、ウサギなのだろうと推測できた。

更にそのウサギを言葉でお伝えするならば、写実的な絵というよりは、ウサギをキャラクター化させたような絵で、

ウサギは、マキシ丈のワンピースを纏っているかのような、二本足で立っていることを想像させるような立ち姿だった。

絵は、筆で書かれたようなタッチで、使われている色は黒一色。

色による派手さはないものの、黒の濃淡を使って描かれた味わい深い絵であった。

私は、このウサギの画を、とあるニュースで目にしたのだけれど、なんと、その絵を描いたのは竹千代の幼名でもお馴染みの、徳川家光だというのだ。

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どうして今頃、彼が書いた絵が話題になっているのか?

その出所を探していると、決して上手ではないけれど、その不完全さの中にある味わいや親しみ、愛らしさの虜になる人が増えているのだそう。

昨年、「ダサかっこいい」という言葉が躍ったけれど、「下手」という言葉で切り捨てられるのではなく、ひとつの個性として「ヘタうまい」を楽しむ目線や楽しみ方である。

今年3月から東京都にある府中市美術館では、「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」という企画展がはじまるそうなのだけれど、

そこで、この家光が描いたウサギ、兎図を観ることができるという。

この告知が始まると同時に、家光が描いた絵がネットで拡散され、巡り巡って私の目にも留まったようだ。

 

私は、家光が描いた絵を今回初めて目にしたのだけれど、不思議な味わいの虜になってしまったのか、

彼の作品を探すことができるだけ探し、観てしまった。

確かに、上手か下手かという視点で捉えるならば、お世辞にも上手だとは言い切れないものもあったけれど、それも悪くないのだ。

そのような次元を超えた、楽しんで描いたのだろう、真剣に描いたのだろう、これは途中で諦めたな、なと感じられるような絵に出会うことができた。

冒頭で「絵心」の意味に触れたけれど、家光の画からも確かに絵心が感じられたのである。

絵を描きたいと思う気持ち、そのものを表す「絵心」が。

絵を通して彼の新たな一面を目にしたような気がした。

家光自身は、自分が描いた絵が、まさか「ヘタウマ」という括りで世に広まることになるとは想像すらしていなかっただろうけれど、本当に、事実は小説よりも奇なり、である。

今回、ご縁あって彼の作品を目にしたのだけれど、これからは、彼のことを心の中で、親しみを込めて家光画伯と呼んでいこうと、はにかんだお昼どきである。

※せっかくなので、家光画伯(徳川家光)の作品を少しだけ載せておきます。

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忘れていたモヤモヤが、思わぬ形で再来した日。

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私が暮らしているマンション内には、日本の方と結婚し日本暮らしをしている方もいらっしゃる。

お互いの名前も暮らしているフロアも知らず、交流と言えるような関りは無いのだけれど、

ここの住人だろうという共通認識のもと、エレベーターホールで顔を合わせれば会釈をする程度の間柄である。

その日は、エレベータ内でお子さんも一緒になった。

いつものように会釈をすると、お子さんが日本語で「こんにちは」と言った。

最近は、子どもに安易に声をかけてはいけないと、挨拶さえも躊躇する世の中なのだけれど、

子どもの方から、大きな声で挨拶をされるのは、こんなにも清々しい気持ちがするものだったかなと、不思議で少しばかり懐かしい感覚を覚えつつ、私も慌てて「こんにちは」と声を出した。

1階に到着して扉が開くと、びゅんっと音がしそうな勢いで子どもが飛び出したのだけれど、父親がそれを「マイク、走らないで」と言って呼び止めた。

親子の背中を見送りながら、あの子はマイクと呼ばれていたけれど、本当の名は何なのだろうかと。

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外国人の方の愛称は、独特だといつも思う。

ある日、「マギーです、よろしくね」という自己紹介を頂戴し、数年交流をしていた女性がいたのだけれど本名がマーガレットだと知ったのは1年以上経ってからのことだった。

またある時は、エリザベスという名の知人がいたのだけれど、

彼女のことをリズと呼ぶ人、ベティーと呼ぶ人、リリベットと呼ぶ人がおり、全く会話が噛み合わなくなるという妙な事態に陥ったこともある。

このエリザベスという名の知人は、子どもの頃に日本で暮らしていた経験があり、とても流暢な日本語を話すことができる頼れる存在だったこともあり、

会話が噛み合わなくなり大変だったと漏らすと、エリザベスという名に対して使われる愛称は、ざっと数えただけでも20近くあると教えてくれた。

何か法則のようなものがあるのかと尋ねると、フィーリング?という曖昧な返事が返ってきた。

当時の私は、眉間にシワでも寄せてしまったのだろう。

エリザベスは、「テキトーよ、テキトー」というようなことを言っていたと記憶しているのだけれど、「そうだとしても……」と胸の中がモヤモヤとした。

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そして、その日の私が耳にした名はマイクである。

本名がマイクという可能性も無くはないのだけれど、マイクは、マイケルやミシェルという名の愛称として使われることがある。

他にもマイケルやミシェルはミッキーと呼ばれることもあるから、次回会った時にはマイクではなくミッキーと呼ばれている可能性も。

あの時解消することができなかったモヤモヤが、思わぬ形で再来である。

マンションを出てパン屋へ向かう道すがら、外国の方の愛称と本名の違いは私にとって、永遠に理解不能なのだろう。

随分と長い年月を経てそのような答えに到達した2019年である。

洋画などをご覧になる機会がありましたら、この人の本名は?そのような視点で耳を澄ましてみてはいかがでしょうか。

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言い方ひとつ、受け取り方ひとつで、如何様にも変化する。

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散歩中のゴールデン・レトリーバーと軽く目が合い、すれ違った。

すれ違ったのは、この時が初めてではない。

大型犬ということもあり、飼い主は、日に何度か散歩に出かけているだろう。

その時とは異なる時間帯にも幾度かすれ違ったことがある犬である。

ゴールデン・レトリーバーを飼ったことはないのだけれど、賢く、温和で、忍耐力をも兼ね備えた、気配り上手な犬種だと聞くから、

体から、可愛いと思う気持ちと興味が入り混じった空気を発しているヒトとすれ違うたびに、「まただな、いつものことだな」くらいは思っていそうだ、と密かに思っている。

ゴールデン・レトリーバーと言えば、イギリス生まれの犬種で、大きな体をしているわりに泳ぎが得意だと言われている。

そして、私が勝手に思うチャームポイントは、あの柔らかい雰囲気で揺れる垂れた耳だ。

世の中にはゴールデン・レトリーバーのように垂れた耳を持つ犬種以外にも、立ち耳、半分だけ立耳、半分は垂れ耳という半立ち耳の犬種がいる。

人によってビジュアルの好みはあるけれど、どの犬種も、その犬種らしい良さがあるように思う。

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先日、一部の人々の間で、犬の耳の形による意見が分かれているという、アメリカのニュースに目が留まった。

そのニュースというのは、アメリカの運輸保安局が、局内に所属している探知犬に関して、このような発表をしたからだという。

運輸保安局に所属している探知犬というのは、空港を中心に鉄道やイベント会場など人が集まる場所に出向き、

爆発物や、その他の不審物を見つける保安検査を行ってくれている犬たちのことで、安全性の確保を担っている。

その探知犬の採用を、垂れ耳の犬種から選び、増やしていくと発表したのだそう。

一見、犬種差別のように捉えられないこともないのだけれど、アメリカの運輸保安局が、そう発表した背景には、このような理由があったという。

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まず、探知犬の活動場所が空港や鉄道、イベント会場といった人が多く集まる場所であることから、

そのような場所に居合わせる子どもたちを怖がらせないように、可愛らしい印象を与える垂れ耳の犬を採用したいという理由。

もう一つは、とある生物学者による長年の研究によると、

性格がもの静かで人懐こい動物は、軟骨などの細胞を生育させる幹細胞の一種、神経堤細胞が少ないのだそう。

この細胞レベルで起こっていることが動物の耳に現れるときというのは、軟骨が少なくなっている状況が、耳が立ち上がらないという状態で現れるのだそう。

アメリカの運輸保安局は、このような研究結果をもとに、人が言うことをきくことができる従順さや確率が高い犬種を選ぶ方が、メリットがあるといった理由からのようだ。

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とは言え、耳が垂れていれば良いという単純なものではなく、犬にも向き不向きがあるため、

しっかりとした判断基準をもとに選ぶことに変わりはなく、立ち耳の犬種も活躍しているそうだ。

しかし、現段階で既に、その割合は垂れ耳80%、立ち耳20%なのだとか。

根拠があり、様々な理由があり、犬種差別をしようだなんて気はないということは理解できるのだけれど、もっと上手に発表できなかったのだろうか、と思ったりもする。

可愛いか否か、怖いか否かの視点だけで見たならば、立ち耳の犬、半立ち耳の犬に対しても可愛いと感じる人は、垂れ耳の犬に対してそう感じる方と大差ないだろうし、

怖いか否かの点に関しても、目にした人それぞれが犬に対して感じることやイメージに委ねられるように思う。

表現は、難しい。

言い方ひとつ、受け取り方ひとつで、如何様にも変化するのだから。

そしてやはり、対象を何かしらの眼鏡越しに見るのはヒトの方である。

そのようなことを思いながら、次は個性的なトリミングが施された真黒なスタンダードプードルとすれ違った、風が冷たい午後である。

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年の差56歳の恋を見守った存在。

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私の手元にやってきた数粒のガーネット。

放たれていた艶と瑞々しさは想像以上だった。

地球の恵みと人の技術が融合したそれらが、どのような経緯を辿り、最終的にどのような方の元に辿り着くのか。

小さいけれど、ある意味、大冒険の最中にある石たちである。

そして、ガーネットは様々な色のものがあるのだけれど、ガーネットと言って多くの人が思い出すのは1月の誕生石としても広く知られている深紅のガーネットではないだろうか。

どの季節に目にしても素敵であることには変わらない石だけれど、色が少なるこの時季は、特に景色や人の肌に映える赤をしているように思う。

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ガーネットそのものに関するお話は、幾度が触れておりますので、

今回は少しガーネット目線でのお話、ガーネットが見守った、ある愛のお話などいかがでしょうか。

寒い日が続いておりますので体を冷やさぬよう、温かいお飲み物を手に、お付き合いいただければと思います。

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ガーネットが見守った愛の主人公は、文豪ゲーテ。

ドイツの詩人であり、小説家であり、その他様々な才能に長けていたと言われる方です。

名言集と呼ばれるものをパラパラと捲れば、すぐに、ゲーテが残した様々な名言に触れることができるため、

名言が浮かばなくても、何となく見聞きしたことがあるものが、彼の言葉だったというようなことは、割とあるのかもしれません。

名を世に残したゲーテですが、彼は一見、気難しそうな人物なのでは?という印象を与えることもしばしば。

しかし、実は恋多き男性だったと言われております。

その恋が、彼の人生の中で、何度目の恋だったのかは存じ上げないのですが、

彼は75歳のときに、年の差56歳の当時19歳だった女性に恋をしたといいます。

恋に歳の差などは関係ないということを耳にすることがあるように、当時の2人の相手を想う気持ちは同じだったそうなのですが、

いつの時代も、世の中の大多数が感じること、思うことは大差ないということなのでしょうか。

一緒になりたいという2人の想いを女性の両親が大反対したのだそう。

2人に関わる方々との間で交わされたであろう、様々なやり取りは、当時を知らない私たちにも、大なり小なり推測できますが、

ゲーテは彼女に振られ、その時の切ない想いを言葉に綴り残す結果となりました。

これが、この物語の事実なのですが、事実の裏側にはこのような真実があったと言います。

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それは、彼女はゲーテと一緒になることはできなかったのですが、ゲーテを想う気持ちは本物だったのでしょう。

ゲーテと想いを通い合わせていたときから身に着けていたガーネットを、ゲーテが亡くなるときまで肌身離さず身に着けていたのだそう。

ガーネットと言えば、古から「信頼と一途な愛の石」として大切に扱われており、変わらぬ愛、忠実といった石言葉もありますが、

彼女は、そのような想いを石に込めゲーテを想っていたようです。

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ガーネットには様々なエピソードがあるのですが、

ガーネットが今でも「信頼と一途な愛の石」として愛されているのは、このようなエピソードがあったということも関係しているように思います。

この、お互いを想い合う2人の恋を、そばで見守っていた石がガーネットです。

石には、想いを刻んだり、願いをかけたりという関わり方以外にも、

彼女のように、自分で身に付けながら、想いを相手にさりげなく伝えるという関わり方もあるようです。

ただ、この場合、お相手の観察眼に賭けなくてはいけないようなのですが。

ガーネットやゲーテの名を目にする機会がありましたら、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

そして、愛する方へ愛の言葉を、いつもありがとうの言葉を、是非。

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冬の景色から繋がるエトセトラ。

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アラームが鳴る1時間ほど前だっただろうか。

スッキリと目覚めたまでは良かったのだけれど、ブラインドの隙間から外をのぞいてみるも、外はまだ真っ暗。

やけに冷たくなっている顔を、両の掌で包み込みながらリビングへ向かった。

半ばオートマティックに、電気をつけ、エアコンのリモコンスイッチを押し、いくつかのスイッチを押して回ったところで、コーヒーメーカーをセットし、マグカップに白湯を注いだ。

ここまでザッと4、5分程度なのだけれど、自分が思う以上に、スイッチひとつ、ボタンひとつで、ある程度のことが起動する生活をザッと見渡し、

特別な意味や想いはないのだけれど、この時代でよかった、ここが日本でよかったと胸を撫でおろした朝である。

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そう言えば以前、医療従事者の知人から、起き抜けのコーヒーには気を付けた方がいいのだという話を聞いたことがある。

すっきりとした目覚めを促してくれて、適量のコーヒーは体にも良いのではないのかと返すと、

コーヒーそのものには、そのような働きがあるため、決して悪いと言っているのではないけれど、

飲むタイミングや飲み方にはコツがあるとのこと。

体調や体質、日頃からの食生活や生活習慣によって個人差はあるようだけれども、

起き抜けや空腹時にカフェインの多いコーヒーを口にすると、血糖値を上昇させやすい一面がコーヒーにはあるという。

そう言っておきながら、ご本人は、起き抜けにコーヒーを口にすることが多いらしく、この悪い習慣を何とかしたいけれど、なかなか難しいのだと仰っていた。

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そのような話を思い出しながら白湯を飲んでいると、窓の外、東側の空が赤みを帯びたオレンジ色に染まり始め、冬の空がジワリとジワリと目覚め始めたようだった。

こういう空気感を言う言葉があったはずなのだけれども……寒、かん、カン。

思い出せぬまま、その日は始まった。

ひと息つくことができた夕方、遅めの昼食を口にしながら再び、「寒、かん、カン」と頭の中に響いたけれど思い出すことができず、スマートフォンの表面に指先を滑らせた。

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探していたのは、冬の季語である「寒暁(かんぎょう)」だった。

「寒暁(かんぎょう)」とは、この時季の、日の出間際の寒さ厳しい短いときを表す言葉で、寒暁の空などと使われる。

冬の朝と言えば、幅広い時間帯を簡単にとらえることができるため、口にし易い表現なのだけれど、

「寒暁(かんぎょう)」は、美しい、冬の朝空をピンポイントで切り取ることができる、とても贅沢な表現であるように思う。

日の出間際の空に触れる機会があったなら、この贅沢な表現を景色と共に感じてみるのも、冬の贅沢ではないだろうか。

あれやこれやとお話が飛んでおりますが、ご自分の感性やタイミングで、何かしらを自由に感じていただけましたら幸いです。

今日も良き日となりますように☆彡

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ぼーっとお茶をする時間は、ハッピータイム。

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朝の冷たい空気の中、空から、雪にも雨にもなり切れないそれが降ってきた。

天気予報を信頼していないわけではないのだけれど、昨夜の天気予報で明日の明け方は冷え込みが厳しいと言っていたことを思いだし、本当だと思った。

少し熱めのミルクティーと小さなチョコレート2粒を手に、ガーデンテーブル席へ移動した。

こんなにも寒い日に、わざわざ外へ出なくてもという思いもあるけれど、室内に籠りっきりになることが多い私にとっては、この小さなひと時が、季節をダイレクトに感じられる時間でもある。

季節を感じながら様々な思いを巡らせることもあるけれど、大半は何も考えずに、ただただぼーっとしている。

一見、無駄に見えるようなモノゴトや時間は、過去でも未来でもなく、今をしっかりと感じられる必要な時間のように見える。

未来をあれやこれやと心配することもあるけれど、それは自分に、明日が当たり前のようにくると思っているからである。

そのような保障はどこにもないのだけれど、どういう訳か、人は様々なことを在って当たり前だと思ってしまうようだ。

そのような視点で見てみると、心配できることも、ある意味、幸せなことなのかもしれないと思ったりもする。

もちろん、その渦中に身を置いていると、そう簡単には片付けられないこともあるから悩ましくもあるのだけれど。

とは言え、2019年は始まったばかり。

年明けから張り切っている方、何だか思うように動くことができていないと肩を落としている方、周りのやる気に圧倒されて自分のペースが乱れてしまっている方、

この辺りで一度、心と体を休ませてみてはいかがでしょう。

充電が完了したら、出来ることから一つずつ、目の前のことから一つずつ重ねていきませんか。

何も考えずに、季節を感じながらぼーっとお茶をする時間は、心と体を休ませながら、今を大切にできるハッピータイムですよ。

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その日の私は、空から降ってくる雪にも雨にもなり切れないそれを眺めながら、ミルクティーを堪能した。

熱々だったはずのそれは、あっという間に冷えてしまったけれど、それもまた季節感ということで。

皆さんの今日が、良き日となりますように☆彡

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美味しいものを食べる機会が続いたらモリブデンを意識してみては。

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昨年末、駆け込むようにして健康診断を受けた。

小さな部屋をスタンプラリーでもしているかのように、カルテ片手に巡るあれである。

どのような検査が行われるのか、頭に入るくらいの経験値は積んできたものの、緊張感がゼロになることはない。

しかも、前日の夕飯を早めに済ませていることもあり、朝からお腹の虫が鳴きっぱなしである。

いつでも食べられると分かっている中でモノゴトに集中しているときには、どれだけ時間が空こうとも腹の虫が騒ぎ出すことはないというのに、

当たり前の何かを、ほんの少し制限されるだけで、体も気分も地味に騒ぎ出す。

これも、本能が持っている危機を察知する力のひとつだろうか。

診察室の入り口のドアをぼんやりと眺めながら、そのようなことを考えながら空腹を紛らわせた。

名前ではなく番号で呼ばれ、またひとつ検査という名のミッションをクリアし、担当者のスタンプをカルテに押してもらって次の部屋の前へと移動する。

しかし、普段は感じないような空腹からか、私の脳内では、検査帰りに食べるランチメニューの選考会議が始まった。

適度に非日常を体験して、残るは医師による診察と面談のみ。

この日は、ここ最近よく目にするようになったモリブデンという栄養素のことを聞いてみた。

健康診断や健康相談という範疇からは、はみ出している感じではあるのだけれど、

医師の素の見解を聴くことが出来たり、自分が偏ったものの見方をしていることに気付かせてもらえたりもする、面白い時間である。

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今回は、その時に得たモリブデンという栄養素のお話をシェアさせていただこうかと思っております。

年末年始に、美味しいものを食べる機会が続いたという方や、日頃から外食が多い方、お酒が欠かせない方、プリン体を意識している方などは、ちらりとのぞいていって下さいませ。

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モリブデンという名は聞きなれないかと思いますが、肝臓や腎臓にあるミネラルのひとつです。

量は非常に少ないそうなのですが、私たちの体がスムースな代謝を行うために働いてくれている栄養素なのだそう。

肝臓や腎臓にあるということですので何となく想像できるかと思うのですが、

美味しいと感じるものにたっぷりと含まれている糖質や脂質、プリン体などの分解や代謝を助けてくれているのです。

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モリブデンの1日の摂取目安量は、発表元によって多少異なってはいるのですが、

成人男性であれば約25㎍~30㎍、成人女性であれば約20㎍~25㎍ほどのようです。

木綿豆腐1丁には約123㎍、納豆100gには約290μg、

牛レバー80gには約75μg、豚レバー80gには約96μg、

白米100gには約30μg、お餅100gには約45μg、

と言われているようですので、摂取しやすい栄養素ではないかと思います。

また、大豆製品や白米を多く摂取できる日本食では不足し難く、摂り過ぎたとしても体の外へ自然と排出されるようなので過剰摂取の心配はないようですが、

洋食に傾いているときや、白米を控えているとき、大豆アレルギーをお持ちの方などの場合は、不足しやすい状況を生みやすいので、

意識して和食を選ぶ日を作ったり、アレルギーがでない代替食材を調べておくなどするのも手ではないでしょうか。

モリブデンと言うと耳馴染みがないのですが、どのような働きをしてくれているのか、

どのような食材やメニューに含まれているのかという点を知ると、

和食の良さを再認識できたり、洋食が続いた後は難しいことを考えずに和食でバランスを取ろうといった発想が出やすくなるように思います。

食事の好みや状況などは人それぞれですので、誰にとっても正解だと言い切れる正解はありませんが、健やかに過ごすためのヒントにしていただけましたら幸いです。

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ポピーが内に秘めているもの。

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しっかりと冬を感じられているけれど、降り注ぐ陽射しは日によって違うのだろう。

先日、不自然な場所にポツンと咲いている菜の花を目にした。

黄色い小花は、一本の茎の上にちょこんと添えられたような、僅かなものだったけれど、

草花の色味が乏しい時季に見る黄色は、春に見るそれの数倍増し、鮮やかに見えた。

無意識に冬の黄色を欲したのか、春色を探し当てられる感覚にスイッチが入ったのか、その後はやたらと黄色いものに視線が向かうような日だった。

その中には、街路樹の根元に咲くタンポポの姿もあった。

我が家のリビングには、お正月用として準備した花が今も咲いてくれているため、花屋に用は無いと思っていたはずなのだけれど、

気持ちが静かに高揚したのか、気が付けば足は花屋へ向かっていた。

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到着した店内には、ハウス栽培の春の花が数多く並べられており、久しぶりにかいだ甘い花の香りに意識がクラリとした。

そして、その日目に留まったのは、オレンジと赤い色をしたポピーだ。

繊細な花びらを風に靡かせる可愛らしい花だけれど、その種類は100を超えると言われており、日本でも馴染みがある「ひなげし」と呼ばれる花もポピーの一種だ。

私は、お花の世界を覗いてみたくてフラワーショップでアルバイトをした経験がある。

その時に、ポピーの品種を全て覚えることは、古事記に登場する神様の名前を覚えることにも似ているように思え、私には不可能だと早々に諦めたのだけれど、

その代わり、ポピー(けしの花)は、随分と古い時代から人のそばにあった花だといういくつかのエピソードは今でも少しだけ、記憶に残っている。

以前、七味のお話をさせていただいたときに、七味に含まれている芥子(けし)の実は、麻薬であるアヘンの原料になると触れたことがある。

この芥子(けし)の実は、別名ポピーシードとも呼ばれており、ポピーから摂れるものだ。

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今回は、詳細は割愛させていただくけれど、七味で芥子(けし)の実を食べたり、スイーツや、あんぱんの上にぱらりとトッピングしてある芥子(けし)の実を食べたからと言って、麻薬の影響はない。

そもそも日本では、麻薬の原料になるようなものは流通しないため、この点に関しては心配無用であることをお伝えして、話をもとに戻すと、

ポピー(けしの花)の実にこのような麻薬要素が含まれていることはギリシャ時代には既に知られていたという。

そして、当時、睡眠薬や麻酔薬として、必要な場面で使われてきたという経緯がある花がポピーである。

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一見、可愛らしくて可憐なポピーだけれど、内側に秘めてきるものは、なかなかインパクト大である。このように相反するものを内包しているものに対して、人は不思議と惹き付けられるものだけれど、

このポピーには、そのようなことを表しているかのようなエピソードが幾つか存在する。

その辺りのお話は、機会がありましたら、露地物のポピーが開花する頃にでも。

ポピーを目にする機会がありましたら、今回のお話の中の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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なしの礫といい加減。

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ご年配の方とお話をしていると、実生活では触れる機会が少ない言葉と出会うことがある。

そのような時、活字として触れていた言葉が、本の中から飛び出してきたかのような現実味を帯びている気がしてドキリとする。

きっと、言葉を発した方が日頃から使っていたり、使ってきたという「慣れ」のようなものが言葉から滲みでているのだろう。

先日は、偶然隣の席に座っていらした、2人組のご年配女性の会話が耳に届いた。

今朝、遠方に住んでいる息子さんにメールを送ったけれど、お昼になっても返事が来ず、なしの礫だと仰っていた。

それを聞いていた、もうお一方が、うちの息子もそうだと何度も大きく頷いていらっしゃったのが印象的だった。

その時の時刻は14時近くだっただろうか。

お母様方、なしの礫だと言い放つには少々早いのではないでしょうか……と思うのと同時に、

勝手に、自分の母親に言われているような気がしてしまい、ばつの悪い思いがした。

しばらく続いていた話題から意識を逸らそうとしていると、ふと、「なしの礫」という言葉を久しぶりに聞いたなと思った。

私の脳内で、この言葉は「なしの礫」と記されているのだけれど、「なし」は「無し」なのだろうかと思い手短に検索をかけてみると「梨の礫」とあった。

そう言われてみれば、そうであるような気もしたのだけれど、フルーツである「梨」を使っているからには何か面白いエピソードでも潜んでいるのかと思いきや、

「なし」の部分は「梨」だろうが「柿」だろうが「林檎」だろうが「桃」だろうが、何でもよかったという記述を目にし、肩透かしを食ったような気がした。

いくつかの説が存在しているようではあるのだけれど、有力説として多く挙げられているのは、

返事がないことを指す「無」と、フルーツの「梨」を掛けて「梨の礫」に落ち着いたという、語呂合わせ説である。

それならばシンプルに無しの礫の方が意味としても浸透しやすいように感じるのだけれど、

無いものは投げられないじゃないか、という当時の方々の言い分から「梨の礫」なのだそう。

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日本人は、世界中の方々から勤勉で真面目であると思われているのだけれど、真面目一辺倒ではないのである。

遊び心もあれば、手抜きもするし、時にはずる賢いこともしてきていた過去もあるけれど、それを寛大な心で受け止め合ってきたのだ。

本当に良い意味での「いい加減」を、ナチュラルに遣って退ける性質を秘めているように思う。

もしかしたら、現代の私たちの方が、自分に対しても関わり合う相手に対しても、肩にガッチガチに力を入れた状態で過ごしているのかもしれない。

日頃から、適度に肩の力を抜くことができるような、しなやかさを持っていたいものである。

それにしても、先人たちの、いい加減なのか拘っているのか判断し兼ねる、何とも言えぬ塩梅の感性、ワタクシ、わりと好みでございます。

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寄り道と膝が笑ってしまう前にできること。

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お天気が良くて時間に余裕があったその日、私は遠回りをして帰宅することにした。

風の冷たさと、首にくるくると巻いたストールの温かさの温度差も心地がよく、足取りも思う以上に軽やかだったように思う。

家とは真逆の方向にある川沿いを目指して歩いていると、ご年配の女性たちが輪になって爆笑している場面に遭遇した。

30メートルほど手前からでもはっきりと聞こえる笑い声は、女子高生たちのそれにも似ているようにも見え、可愛らしいと思った。

女性たちがいる場所は、ハイキングへ出かけた方々がハイキングコースから戻ってくるときに使われるバス停の近くだった。

そして、女性たちの装いがハイキング風であったことから、今日は自然を満喫してきたのだなと思いながら、その輪の横を通り過ぎようとしたときだった。

「膝の笑いが止まらないわ」「私もよ」と聞こえた。

すると、また女性たちが爆笑し出したのである。

そのような状況に出遭ってしまい、視線を向けずにもいられず、私は女性たちの輪へと視線を向けた。

すると、私の人生史上はじめてだと言ってもいいくらいガクガクに揺れている膝を目撃してしまったのである。

驚きと女性たちの笑い声が混ざり合い、笑いだしそうな自分を必死に抑えながら素通りしようとしていたのだけれど、

不意に肩を叩かれ、「あなたもいつか分かるわよ、久しぶりに体を動かすと、こうなるのよ」と言われた。

もう、ここから先は言わずもがなであるが、私も少しだけ、その輪の中で笑うこととなった。

予定外の選択をすると時々、このようなハプニングに遭遇することがあるため、予定外の選択が止められないのだけれど、私にとっては素敵な一期一会の時間だったりもする。

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久しぶりに長時間歩いたときや運動をしたとき、上り下りを繰り返したときなどに、膝がガクガク揺れること、震えることがあるけれど、

これは太ももの筋肉の連携がチグハグになり起こるのだとか。

いつだったか、仕事先の旅行に参加したときのことだった。

軽いハイキングコースを歩きながら自然を堪能する時間が設けられていたのだけれど、参加した中の数人がハイキングを終えると同時に膝に力が入らないと言い、

今回の女性たちのような状態になったことがあった。

その時にいらした筋肉に詳しい方が言うには、簡単に動かしているように見える膝だけれども、

数種類の筋肉が上手く連動することで動いているのだそうだ。

当時の私は、それほど筋肉に熱い思い入れがなかったこともあり、とても申し訳ないのだけれど、その貴重なお話の大半、他の事を考えていたように思う。

ただ、年齢を重ねるにつれておこる筋肉の衰えだけでなく、

日頃のライフスタイルによって使用する筋肉に偏りが出てしまうと、

年齢に関係なく膝が動かしにくくなり、普段とは違う動きをほんの少し行っただけで膝がガクガク揺れる状況を招くので、

「気が付いたときに、屈伸を数回する習慣をつけておくと良い」という内容だけは、しっかりと記憶に刻まれている。

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私の場合は、1日の大半をPCと向かい合って過ごすことが多い職業柄、筋肉のバランスが良いとは考えられない為、

席を立つたびに屈伸をしていた時期があったのだけれども、今回の出来事をきっかけに、それをすっかり止めてしまっていることに気が付くこととなった。

膝が笑う様子を大勢で笑い合えるというのも、楽しくて味わい深い時間であるようにも映ったけれど、何ごともバランスだ。

今日からまた、気が付いたら屈伸でもしてみようかしらと思った寄り道であった。

皆さんも“気が付いたら屈伸”、ご一緒にいかがでしょうか。

それにしても、膝ってあんなにも豪快に笑うものなのだな。

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