幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

ちょっと怖い「いちまさん」にフリーズさせられた日。

f:id:hiiragi1111:20170714205346j:plain

何だろう、この居心地の悪さは。

電車に揺られながら、通路を挟んで向かい側の席からこちらを見ている彼女の姿に

久しぶりに背筋にひんやりとしたものを感じた。

その「彼女」というのは、

向かい側の席に座っている男性が着ているTシャツにプリントされていた女性なのだけれど、

皆さんも一度は見聞きしたことがあるであろう、

着物を着た、おかっぱ頭の少女の人形だったのだ。

知らぬ間に髪の毛が伸び続けているなどといった

ゾッとするエピソードを多数お持ちのお菊人形を模したようなお人形の写真が、

電車の揺れに合わせて絶妙に上下しており、

正面を向けば嫌でも彼女と目が合ってしまうのだ。

どうして、そのTシャツだったの?

Tシャツの主に心の中で問いかけたが、もちろん、返事が返ってくるはずもなく、

冷房の程よい心地よさを堪能するかの如く、

彼はスヤスヤと眠っていらっしゃった。

 

私は、自分の思考と勝手に広がり行く脳内劇場を

ホラー寄りからニュートラルな状態に戻そうと、

「いちまさん」などと呼ばれて親しまれてきた市松人形のことを思い返すことにした。

元々、このようなお人形は子どもの無病息災を願うもので、

子どもに降りかかる災厄を身代わりとなって引き受けてくれるお守りとして

大切にされ、お嫁入りの道具としても扱われてきたといいます。

私たちがよく知る着物を着た、おかっぱ頭の少女のお人形は、

江戸時代中期頃から子どもたちに着せ替え人形として人気があったもの。

市松模様の着物を着て売られることが多かったから市松と名付けられたとか、

歌舞伎役者だった佐野川市松にお顔が似ていたから市松と名付けられたとか、

当時は、市松という名前の子どもたちが多かったから市松と名付けられた、

といった様々な説が残されているという。

 

これが時代と共に在り方を変え、

今度は、お雛様と一緒に3月3日の節句の時に飾るようになります。

もちろん、意味があってのこと。

お雛様の「お出迎え人形」として、ひな壇の左右に、

男の子と女の子の市松人形を一対飾って、

3月3日の節句を華やかで賑やかに、お祝いするようになったのだと言います。

もちろん、子どもの無病息災や災厄除けの願いを込めて。

ただ、日本ではお菊人形のエピソードがあり、

私の様に過去に目にしたメディアのホラー企画のイメージが

記憶に刻まれている方も少なくないのだそう。

そこで、現在の市松人形のお顔立ちや表情は、より子どもらしく、

髪型は、ポニーテールやシニヨンなどが取り入れられ、

お人形が怖いものにならないよう、配慮されているのだと

以前、ひな人形売り場の方に伺ったことがある。

f:id:hiiragi1111:20170714205407j:plain

「本来は、子どもの無病息災を願う市松人形だ。

ほらね、怖がる必要はないじゃない。」

そう自分に言い聞かせたのだけれども、つい、怖いもの見たさに、

意図的に怖い演出を施された向かいの座席で上下に揺れる「いちまさん」へ視線を向けてしまった。

そして、努力の甲斐も空しく私は彼女に再びフリーズさせられるのだった。

画像出典:https://jp.pinterest.com/

獅子舞と忘れているのかもしれない遠い日の記憶。

f:id:hiiragi1111:20170714154246j:plain

今年も夏祭りや花火大会の情報が目に、耳に入ってくる時季になった。

今年は何回、浴衣に袖を通すことができるだろうか、

と思いながら浴衣や帯などに、ひと通り目を通した。

陽も沈みかけた頃、外の空気を吸いたくなり自宅を出た。

オレンジ色を帯びたピンク色の夕焼けがあまりにもきれいで、思わず写真を撮る。

写真を撮っただけでは感動が収まらず、友人に送ってみた。

友人からは、「きれいだけど、そのきれいさは、ちょっと不気味な感じもする」と返ってきた。

眺める人によっては不気味な印象をも与える自然の色。

この相反するものを内包している様に、私はつい引き込まれてしまうのだ。

そして、だから敵わないのだろうな、自然の色には。といつも思う。

 

駅のそばでは、夏のイベントが開催されているようだった。

夜店から漂う甘辛いソースのにおいとアスファルトから立ち上る昼間の熱の狭間で

少しばかりクラクラとしながら散策した。

すると、突然、子どもたちの泣きわめく声が辺りに広がった。

何ごとだろうと思っていると、

大きな獅子舞が小さな子どもたちの頭を片っ端からかぷっと噛んで回っていた。

子どもたちの本気の泣き顔と大人たちの笑顔が入り混じった

シュールな光景がそこに広がっていた。

縁起物とは言え、私もあの手のものは苦手だった。

大きな歯を無駄にガチガチと鳴らしながら近づいてきて、

こちらの都合を尋ねることなく突然かぷっと噛みついてくるなんて、

何てデリカシーのない獅子舞だ、と密かに思っていたもの。

f:id:hiiragi1111:20170714154341j:plain

そのような事を思いながら大人になったものだから、

そもそも獅子舞とは何?

何故に子どもは頭を差し出さないといけないのかしら?

という素朴な疑問を追ったことがある。

獅子舞発祥の地は、インド説と中国説があったけれど、

獅子は、百獣の王と呼ばれているライオンのことを指しており、

ライオンを霊獣として敬畏したことが獅子舞の始まりなのだそう。

 

この獅子舞が日本に伝わったのは室町時代で、

邪気や疫病などを祓ってくれるといった意味で親しまれてきた。

獅子は、人の頭に噛み付くことで、

その人に付いている邪気を食べ祓ってくれると言われており、

特に子どもたちには大きなご利益をもたらしてくれるそうで、

子どもを狙って、いや、優先的にと言った方がいいだろうか。

子どもたちの頭目がけてやってくるのだといわれている。

他にも、獅子が「噛み付く」という言葉の響きは、「神付く」とも取れるため

言葉の響きからも縁起が良いとされ愛され続けているのだそう。

 

このような事を知っても、

やはり急に獅子舞が近づいてきたら体にギュッと力が入ってしまう。

いい大人なのに、だ。

もしかしたら、私は既に忘れてしまっているけれど、

幼き頃に、獅子舞に泣かされたことがあるのではないだろうか。

そのような事が頭を過ぎった。

時に体は本人が忘れてしまっていることを覚えているものだ。

今度、母に聞いてみよう。

獅子舞に遭遇した際には、

自分の邪気を食べていただいてみてはいかがでしょうか。

f:id:hiiragi1111:20170714154413j:plain

画像出典:https://jp.pinterest.com/

日本のおもてなしとサラリーマン。

f:id:hiiragi1111:20170717171712j:plain

飲食店に入ると、お水と一緒に差し出されるおしぼり。

この季節は、手を拭うだけでも気分がサッパリするのでありがたい。

珍しく自宅近くのカフェで、この原稿をしたためているのだけれど、

少し離れた席に着いた男性方が、お顔を一斉におしぼりでワシャワシャと拭っている。

お顔を拭くものではないという暗黙のルールをサラリと覆ってしまうような

「それでも拭いちゃうよね、気持ちいいからさ」

という男性たちの堂々たる態度に、日常の中にある平和を感じたりもする。

1枚のおしぼりでリフレッシュ効果が得られて、

その後のお仕事も張り切ることができるのであれば、

思う存分、自由にワシャワシャとやって下さいませ、と思う。

日本には、そう思えるだけの衛生基準と、

その基準を満たすことができるだけの技術があるのだから。

f:id:hiiragi1111:20170717171739j:plain

この「おしぼり」というアイテム、実は、日本発祥のものなのだ。

平安時代からあったのでは、と言われており、

お客様がいらした際にお出ししていた「濡れた布」が、おしぼりのもとになっているのだとか。

そのスタイルは時代によって変化しているのだけれど、

時代劇などで、水をはった桶と手ぬぐいが用意されており、

旅人が手や足を拭っている様子を目にしたことがあるのではないだろうか。

これも、その時代の「おしぼり」のかたちだ。

このように少しずつ形を変えながら成長してきた「おしぼり」は、

戦争の影響を受けて、一度は世の中から無くなりかけたようなのだけれども、

日本が活気づくにつれ、タオルタイプの「おしぼり」が再び登場するようになり、

現代の「おしぼり」ビジネスにまで成長したといいます。

f:id:hiiragi1111:20170717171805j:plain

日本では当たり前の「おしぼり」だけれども、

これは日本発祥のおもてなし文化のひとつで、

海外でも取り入れられつつある注目の習慣なのだ。

だからなのだろう、国際線の機内食サービスで出される、

適温の「おしぼり」に、外国の方は感動するのだとか。

そして、私たちの日常には、

タオルタイプの「おしぼり」やウェットシートタイプの「おしぼり」があったり、

「おしぼり」が経費削減の対象となった飲食店もある。

形を変えながら受け継がれている先人たちの「おしぼり」は、

「おもてなし」であり、

その時代の一端を垣間見ることができるアイテムでもあるのかもしれない。

それにしても、あの「おしぼり」で顔をワシャワシャとするあれ、

女性は、なかなか出来ないことだけれど、

男性にとっては至福のひとときなのかしら。

そのような素朴な疑問を浮かべつつ、

再び現代の戦場へと向かうサラリーマンたちの背中を見送った。

画像出典:https://jp.pinterest.com/

最後に福袋を純粋に楽しんだのは、いつだったかしら。

f:id:hiiragi1111:20170714132813j:plain

季節柄でしょうね、外国人観光客の姿をよく目にします。

先日の出来事なのですが、

デパートの一角に居合わせた外国人観光客の女性たちからは、

潔いほどの「私たち、サマーバケーション中よ」というオーラが全身から放たれており、

私の目には、その光景が少々眩しく映りました。

小さなガイドブックと店内を交互に見ている女性たちのことが気になりつつも、

知らない土地で、お目当ての何かを自力で探しだすのも旅の醍醐味。

それを易々と奪い取ってしまっては申し訳ないと思い、その場を後にしようとしました。

すると、その中の一人が、

このLucky Bagが欲しいのだけれども、どこにあります?と

小さなガイドブックを指さし、尋ねてきたのです。

Lucky Bagとは日本で言うところの福袋なのだけれど、

このショップ限定で何か出しているのかしら?とガイドブックを見せてもらうと、

お正月感溢れる福袋の写真とともに、

『中身を見ることはできないけれど、

どの袋にも、お値段以上のアイテムが多数入っており非常にお得。

しかも、中身が分からないスリルを味わうことができる上に、

中身を皆で分け合って楽しむことも出来るハッピーになれるアイテム』だと紹介されていました。

ただ、時期に関する情報が一切記載されておらず、

女性たちは期待に胸を膨らませ福袋売り場を探しているようだと推測できました。

日本発祥の福袋が海外でも人気だという話を

様々なメディアを通して見聞きするけれど、現状を肌で感じた瞬間です。

f:id:hiiragi1111:20170714132834j:plain

「福袋」は、元々福の神である大黒様が

打ち出の小槌や米俵と一緒に抱えている大きな袋のこと。

この袋の中には、品物ではなく、幸運や幸福のなどの類が入っており、

大黒様がやってくるとその袋から福を取り出し、分け与えてくださると言われています。

このありがたい名を付けられた、日本のお正月名物のひとつでもある福袋。

その起源には諸説あるけれど、

どれも老舗の呉服屋(現在の大手デパート)が福袋を販売していた説が有力です。

江戸時代に、その年にでた端切れを袋に詰めて売り出したところ大評判となったのだとか。

また別の呉服屋からは、端切れの詰め合わせの袋の中に、

金の帯が入っている「当たり袋」なるものも混ぜ込まれていたようで、

当時の人たちは、運試しも兼ねて福袋を楽しんでいたといいます。

現在では、中身の見える福袋も増え、事前に中身を選べるものが主流になりつつありますが、

福袋の習慣がない外国の方々にとっては、

損得だけでなく「福袋」本来の、中身が分からないワクワク感そのものも

立派な楽しみのひとつのようです。

 

観光客の彼女たちに、

この時期は、大々的に福袋が売られているわけではないということを伝えると、

一気に残念モードのスイッチが入ったのが分かりました。

立ち去り難い雰囲気をエイッと振りきって、私はその場を後にしたのだけれど、

たまには、損得抜きにして、

本来の福袋というものを純粋に楽しんでみるのもいいのかもしれない、

と思った先日の出来事でした。

画像出典:https://jp.pinterest.com/

目の前にあるものは、シンプルで奥深い。

f:id:hiiragi1111:20170712135209j:plain

異国情緒あふれる店内の厨房に立つのは、タイ人とバリ人のシェフ。

現地から取り寄せた食材を使って作る彼らのスパイシーなお料理はどれも本格的で

いつ行っても、ちょっとしたリゾート気分を味わうことができる。

その日は、休暇を利用して遠方から遊びにきていた友人を連れ、

束の間のリゾート気分を味わうことにした。

昼間から、お喋りし通しだというのに、まだまだ尽きることがない様子に、

今夜中に全部話し終えられるかしら?と二人して首を傾げた。

近況報告と言うよりは、次はこんなことをしてみたい、

あんなこともしてみたいという話が大半を占めていたのだけれど、

それぞれ二の足を踏んでいたようなことも出来るような気がしてくるのだから不思議だ。

全く違う性格だからこそ気付かせてもらえることや、見えてくるものがある。

“同じ”を共有し合うことも楽しいけれど、

“違い”を尊重、共有し合えることも楽しくて、ありがたくてたまらない、そう思う。

 

半分夢色混じりだった互いの話が、現実味を帯びてきた頃、

お店おすすめのデザートが運ばれてきた。

その中のひとつに、バナナをたっぷりと使ったものがあったのだけれども、

本来のバナナには小指の先ほどの大きさの種が

チョコチップクッキーかと言えるくらい沢山詰まっているのだと

お店の方がカタコトの日本語で話してくださった。

美味しいデザートを口に運びながら、

じゃぁ、私たちが普段食べているバナナは品種改良した種無しバナナなんですね、

と返すと「チガウ、チガウ。ソレハチガイマス」と店員さん。

 

現在、私たちが食べているバナナは、

たくさんの種が詰まった本来のバナナが突然変異したものなのだそう。

種がないバナナはとても食べやすいことから、

当時の人たちが種無しバナナを大切に育ててきたおかげで、

今の種無しバナナがある、ということだった。

そして、東南アジアには、

今でも種が詰まったバナナを食べることができる地域もあるという。

物心ついた時からバナナの種の存在など気にしたことがなかった私にとって、

「バナナは種がないフルーツ」というのが常識だったはずなのだけれども、

目の前にある真はシンプルで奥深いもののようだ。

画像出典:https://jp.pinterest.com/

たい焼きで時間旅行。

f:id:hiiragi1111:20170712165552j:plain

近所にサクッとした食感のクロワッサン生地が特徴のたい焼き専門店があるのです。

以前は、昔ながらのたい焼きと、

冷やして食べるたい焼きを売っていたはずなのだけれども……。と思いつつ、

クロワッサン生地の上に垂らされたキャラメルソースの甘い香りに後ろ髪を引かれながら

私は、お店の前を通り過ぎました。

 

たい焼きは、明治時代に江戸にあった、ある和菓子屋で生まれたお菓子なのだそう。

もともと、その和菓子屋では、今川焼きを売っていたようなのですが、

今川焼きの売れ行きが思わしくなかったため、

店主は今川焼の型に亀の甲羅模様を使ってみたのだといいます。

しかし、残念なことに、こちらも当たらなかったため、それならば、これでどうだ!と

鯛の形で焼き上げてみたところ、

これが大ヒット商品となり、日本中に広がり現在に至ります。

 

当時から鯛は縁起物として人気があったそうですが、

本物の鯛は、庶民が簡単に手にすることが難しい高級魚。

いわば、憧れの魚です。

同じ鯛は鯛でも、魚とお菓子では随分と味が異なるのですが、

「たい焼き」という形で憧れの鯛を味わえるなんて、と

「おめでたいもの」や「縁起物」好きな日本人の心は、

店主に、いや、たい焼きにしっかりと掴まれたということなのでしょう。

今では、外側の生地も、中身もバリエーションが豊富で

その日の気分で和風、洋風などを選ぶこともでき私たちを楽しませてくれています。

そのようなことを思っていたら、何だか無性にたい焼きが食べたくなり、

私は、たい焼き店へと引き返すことにしました。

 

今の私たちは縁起を担いでたい焼きを買う、ということは少ないと思うのですが、

お祝いごとなどに鯛料理が並ぶと、やはり「おめでたい」気分になるのではないででしょうか。

日本人の鯛好きは今に始まったことではないのです。

縄文時代の貝塚から鯛の骨が発見されており、

既にこの時代から日本人は鯛を食していたといいます。

鯛と日本人は随分と長いお付き合いを重ねてきているのです。

そう思うと、DNAにも何らかの情報が組み込まれていても

おかしくないような気さえしてきます。

 

歴史上の人物で鯛絡みのエピソードがある人と言えば、徳川家康でしょうね。

彼の死因の真偽は定かではなく、いくつかの説があるのですが、

最もよく語られているのは、鯛の天ぷらを食べて食あたりを起こしたから、というもの。

鯛の骨が喉に詰まってという俗説もあったでしょうか。

このようなエピソードが消えることはないのですが、

現在の死因の定説では、徳川家康の病状を記した徳川実記というものに記された

当時の彼の症状から胃がんではないかと言われいます。

f:id:hiiragi1111:20170712165540j:plain

「あの徳川家康も、鯛だけでなく、たい焼きも食べていたのだろうか。

さすがにクロワッサン生地のたい焼きや、

たい焼きの中にパフェが入ったものは知らなかったでしょうけれど。」

そのようなことを思いながら甘い香りをまとった、たい焼きをいただいた。

何かしらの「鯛」に触れる機会がありましたら、

今回のお話しをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

ここへ足を運んで下さった皆さんの1日が良き日となりますように☆彡

画像出典:https://jp.pinterest.com/

市販されているお薬の副作用に悪夢!?

f:id:hiiragi1111:20170712122650j:plain

以前、友人から市販薬の説明書の画像が送られてきたことがあった。

「見て!お薬の副作用の欄に「悪夢」って書いてあるの」というメッセージと共に。

ご丁寧に、「悪夢」と記載されている部分は黄色いマーカーライン付きだった。

お薬の副作用と言えば、倦怠感や吐き気、めまいや眠気、痒み、

といったものが思い浮かぶのだけれども、

そのような症状の中に、「悪夢」が記載されているの?と、私は少し驚いた。

もしや何かの冗談なのでは?という可能性が頭を過り、そう尋ね返してみたのだけれど、

正真正銘、市販薬の使用上の注意書きに「悪夢」と記されていた。

友人はアレルギー性鼻炎の症状に悩まされることがあり、

時々、その市販薬を服用しているのだそう。

 

私は、その副作用で悪夢を見たの?見るの?と尋ねてみた。

幸い、友人は悪夢の副作用に悩まされてはおらず、私は胸を撫で下ろした。

友人も私と同様に、

副作用に「悪夢」というものがあるのだということに驚きを隠せずにいるのだなと思っていると、

「悪夢を見たらどうしよう、どうして悪夢を見るの?専門家の人に聞いてみてよ、コンシェルジュ。」

と茶目っ気たっぷりにアピールする友人。

友人に言われたからという訳ではなく、

私自身も少々気になったため、数人の専門家に尋ねてみることにした。

すると、詳しいことは分からず、推測の域を出ないけれど、

それほど心配するような症状ではないという前置きのもと

このようなお話を聞くことができた。

 

お酒を飲んだり、夜更かしが続いたり、体調が悪かったり、というような状況下では

その人のレム睡眠とノンレム睡眠からなる睡眠パターンが崩れてしまい、

悪夢を見ることがあるけれど、それと似ているのではないかと。

アレルギー性の鼻炎で体調が辛い状態でお薬を服用すると、

鼻炎の辛さとお薬の作用が重なり、

体が、その人の通常パターンとは異なる状態に置かれ、睡眠の質が変わります。

これが原因となり、悪夢を見る可能性があるのかもしれない、というお話だった。

もちろん、推測の域は出ないのだけれども。

 

過剰に気にするような事ではなかったけれど、

市販薬の副作用に「悪夢」と書かれていることは、

それほど珍しいことでもないのだとか。

そう言われて、ふと思ったのだ。

何に効くかということを購入時に確認したあとは、

1回に飲む量や1日に飲む回数を確認するだけで、

副作用の記載までしっかり読むことは少ないかもしれないと。

それが、子どもの頃から見慣れている常備薬のようなものであれば尚更だ。

きっと、日本という国が、

安全なものを安全な状態や状況で手に入れることができる

ありがたい環境だということなのだろう。

それにしても、副作用に「悪夢」という表現。

この、腑に落ちきらない妙な気持ちは何なのだろうか。

そのようなことを思いながら友人から送られてきていた画像を眺めた。

画像出典:https://jp.pinterest.com/

損失余命という言葉をご存知ですか。

f:id:hiiragi1111:20170711154503j:plain

少しずつ目にする機会が増えてきたように感じる「損失余命」という言葉。

インパクトのある言葉なので、

言葉のイメージによって本質が見えなくなってしまったり、

落ち着いてものごとを見ることができなくなってしまうこともあるかもしれません。

この機会に、私と一緒に「損失余命」という言葉の意味や、

この言葉が使われる状況下での情報の見方などを、さっくりと掴んでおきませんか。

ご興味ありましたら、お付き合いくださいませ。

 

|損失余命とは?

これは、WHO(世界保健機構)をはじめとする、

様々な国の医療機関や医療団体で使われている言葉で、

日本でも目に、耳にする機会が増えてきている言葉のひとつです。

具体的には、ある食べ物を食べたとき、

食べた人の寿命がその食べ物を摂取したことによって、

どれくらい短くなるのかということを数値化したものです。

この数値は、これまで世界中で研究されてきた健康被害のデーターをもとに計算されています。

 

|損失余命という数値の見方、注意点

損失余命を表す際によく登場するものの中にタバコがあります。

タバコを1本吸うと寿命が12分短くなると言われています。

タバコが体に良くないということは誰もが知っている情報ではありますが、

食材にも、このような損失余命という数値が出されています。

「○○を、このくらいの量、摂取すると寿命が○秒、○分短くなる」というものです。

損失余命が出された食材の一覧なども公表されているようですが、

私はここで例として挙げることは控えたいと思っています。

と言いますのは、この損失余命というものは、

体に与える健康被害の部分だけを数字にしたものです。

食材には私たちの体に必要な栄養素も含まれているため、

損失余命を見ただけで「食べない方が良い」と判断するのは安直すぎる気がします。

また、この数値も「食べない方が良い、食べてはダメ」という意味で公表されているものではないことも頭の片隅に記憶しておくとよいのではないかと思います。

f:id:hiiragi1111:20170711154529j:plain

もし仮に、損失余命が長いものを口にしないようにしたとしましょう。

栄養素が不足し、何らかの病気を誘発することもあると思うのです。

ですから、損失余命という情報を目にした際には、

そのような要素も含んでいる食材だということを知り、

危険要素を減らすことができる調理方法があるのであれば、

その調理方法に切り替えて体内に取り込まれる危険を減らすのも方法のひとつです。

ある食材が好物過ぎて過剰摂取気味だという自覚があるのであれば、

適量を楽しむようにすることで対策できるかと思います。

体に良くないけれど、それを食べることで心身が満たされて、

明日の活力に繋がるということもありますので、

その時には、翌日には身体に優しいものを口にして帳尻を合わせる、

ということも方法としてあるのではないでしょうか。

 

よくお話しさせていただくことではありますが、

過剰摂取をしなければ大きな問題はない食材が多いようですので、

欲しい栄養素が含まれていたとしても過剰摂取になりがちな「ばっかり食べ」は避けて

バランスを取りながら、組み合わせを変えるなどして

楽しく召し上がるようにすると良いのではないかと私は感じています。

食材も人と同じで、

「長所と短所」、「得意なことと苦手なこと」があると思うのです。

その両方を知った上で、私たちがどう接していくか。

そのような視点で情報をみることができたなら、

情報に踊らされることも怯えることも、

何も食べられないじゃないと失望するようなことも無いような気がします。

丁寧な暮らしを重ねるための、何かしらのヒントにしていただけましたら幸いです。

画像出典:https://jp.pinterest.com/

最後のワインと目ヂカラに怯んだあの日。

f:id:hiiragi1111:20170711142901j:plain

お料理などを取り分けていて最後に少しだけ余った分をどうするか、

誰のお更に乗せるかなど、ちょっと気になることはないだろうか。

春先だっただろうか。

10年振りくらいに顔を合わせた方々とワインをいただいた。

その時に向かいの席の方のグラスに

ボトルに残った最後のワインが注がれているのを目にして思い出した。

 

日本であれば、「どうぞ、どうぞ」なんて言い合いながら遠慮し合う、

というような光景が多いような気がするのだけれど、

このようなシチュエーションでの対応も国によって異なったりする。

当時、私はフランス滞在中にお世話になっている方々とテーブルを囲んでいた。

お水を注文するよりもお酒を注文した方が安い国というだけあって、

皆のグラスが瞬く間に空いていくように感じていた。

そして、ボトルの残りが少なくなると、

最後のワインは誰のグラスに注ぐ?と誰かが言い出すのだ。

それに対して、私にちょうだい。

私だって欲しいわ。

僕は要らない。

私も要らないわ。

このように全員が話を中断させて律儀に返答していたのだ。

f:id:hiiragi1111:20170711142935j:plain

その場は、フランス語と英語を使った会話が行われていたのだけれど、

苦手なフランス語部分の大半を聞き流していた私は

そのやり取りの本当の意味を知らずにいた。

そして、日本人らしいと言って良いのかは分からないけれど、

「最後のワイン、柊希は?」と言われた時には、

「私は結構です、どなたかどうぞ」「どなたか、お先にどうぞ」といったような返事を繰り返していた。

内心、「(そんなこと、毎回確認せずにグラスの残量を見て注げばいいのに)」などと思いながら。

 

すると、どのような場にも一人はいるのだ。

ものすごく空気が読める人、いや、観察眼と推察に長けた人が。

「柊希は、このやり取りの意味を知ってる?」と尋ねてきた。

聞き流していた部分に関係があったのかしら?と少々ハラハラもしたのだけれど、

腹をくくって、「知らない」「分からない」と答えた。

すると、ある方がとても分かりやすい英語でフランスに古くからある言い伝えを教えてくれた。

 

まず、皆のグラスにワインを注いでいて、残りが少なくなってきたら、

その場にいる皆が「ワインの最後の一滴を誰のグラスに注ぐか」ということを気にするのだと。

これは、「La dernière Goutte(ラ・デルニエ グットゥ)」と呼ばれる言い伝えで、

日本語で言うと「最後の一滴」という意味の言葉になる。

この言い伝えは、最後の一滴をグラスに注がれた人は、

独身者であれば「年内に結婚する」、

既婚者であれば「年内に子どもを授かる」といわれているのだそう。

だから、大勢で食事をするときには、このような言い伝えを楽しむこともお約束なのだとか。

ただ、最後の一滴は誰もが欲しかるもの、とも限らないようでリアクションも様々なのだそう。

恋人同士が同席している場で、

片方は最後の一滴を欲し、片方は最後の一滴を遠慮する。

というようなことも稀に起こるのだとか。

私はこの話を聞き、「La dernière Goutte(ラ・デルニエ グットゥ)」は、

楽しいパーティーの中に忍ばされた、ちょっとしたスリリングな時間帯だと思うのと同時に、

「最後の一滴」という銘柄のワインがこの言い伝えと共に日本の市場に登場したら、

婚活パーティーなどで人気のお酒になるのでは?と思った。

そのようなことを思っていると、

その場にいる皆の熱い眼差しと共に「改めて、柊希は最後の一滴、いる?」と尋ねられた。

彼らの目力に魔術的なイメージを膨らませてしまった私は、

「私は結構です、どなたかお先にどうぞ」と答えるのだった。

ワインを召し上がる機会がありました際には、

「La dernière Goutte(ラ・デルニエ グットゥ)」を思い出していただけましたら幸いです。

f:id:hiiragi1111:20170711143012j:plain

画像出典:https://jp.pinterest.com/

夏の日差しが似合うサルスベリから思い出すのは、どのストーリー?

f:id:hiiragi1111:20170711125556j:plain

この季節、様々な場所で見かけるサルスベリ。

白やピンク、薄紫色に、真っ赤なものまであり、夏の日差しにとてもよく似合う色をしている。

きっと、子どもながらに、この時季の景色に映えると感じたのだろう、

物心ついたときにはサルスベリという植物の名を知っていたように思う。

鮮やかな色に魅せられていると、時折吹く風に枝を撓らせながら揺れるサルスベリ。

小花がぎゅっと集まった状態ごと、ゆさゆさと揺れる様は、

どこか楽しげにも見えて見惚れてしまうことがある。

サルスベリには様々な花言葉があるのだけれど、その中に「雄弁」というものがある。

枝先に小花が集まっている様子が華やかで堂々としているため、

「雄弁」の花言葉が生まれたと言われることもあるのだけれど、

サルスベリの幹は振動を伝えやすい性質のため、

幹を擦ったりして振動を与えると枝先の花がゆさゆさと揺れるのだそう。

この様子が雄弁に語っているようにも見えるという説もあるのだとか。

 

先日、たまたま通った道で私好みのマゼンタ色をしたサルスベリを見かけた。

揺れる姿を目にし、羨ましいわけではないのに、楽しそうでいいなと相も変わらず思ってしまった。

サルスベリの幹は白っぽく、手触りがとても滑らかでつるつるしているものだから、

猿も滑ってしまう木という理由から「サルスベリ」と名付けられたのだとか。

安直すぎやしないかと思ったりもするのだけれど、

サルスベリの別名、「百日紅(ひゃくじつこう)」という名の背景には、

悲しいラブストーリーが残されていた。

 

昔、旅の途中だったある国の王子が通りすがりの町の竜神を退治し、

竜神への生贄として捧げられていた娘の命を救ったのだそう。

王子と娘は恋人になったのだけれども、王子は旅の途中だったこともあり、

二人は、100日後の再会を約束します。

しかし、もうすぐ100日を迎えるというタイミングで娘は他界してしまいます。

その後、しばらくしてから娘のお墓から紅色の花が咲く木が生えてきたといいます。

この出来事から、村人たちはこの木を「百日紅(ひゃくじつこう)」と名づけたのだとか。

f:id:hiiragi1111:20170711125632j:plain

大切な人をいつまでも身近に感じていたいという人の想いが、

花木に宿るのか、人が無意識に宿してしまうのか、

このようなストーリーは昔も今も変わらず生まれるものなのだなと思う。

このような悲しいラブストーリーによって生まれた

サルスベリの別名、「百日紅(ひゃくじつこう)」なのだけれど、

サルスベリは、初夏から秋までの100日間ほどの長い間楽しむことができる花木であることから

「百日紅(ひゃくじつこう)」と呼ばれていたりもする。

ドラマティックなストーリーを好むか、

ドライなリアルを好むのか、

名付け人によって花木の名も色々、のようだ。

夏から秋の日差しに似合うサルスベリ、

見かけた際にはお好きなストーリーをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

画像出典:https://jp.pinterest.com/