幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

「やばい!」も「素敵!」も何だか楽しい。

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コンビニの前で子どもたちが「やばい!やばい!」と言いながら盛り上がっていた。

思わず、どちらの意味で?と興味が湧いた。

視界の端から感じられた雰囲気から察するに、また食べたくなるような美味しさに出会ったようだった。

もともとは危険な状況や都合が悪いことなど、良くない状況を表現するために使われてきた言葉だけれど、こうして真逆のニュアンスで使われる場に遭遇すると、面白いと思う。

いつだったか、「素敵」という文字を書きながら「敵」という文字が付いていることに対して違和感を覚えたことがあった。

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語源を辿っていると、「素敵」に使われている「敵」は、もともとは「的」と書き記されていたのだとか。

江戸時代の頃、泥棒をカジュアルに表現する際に「泥的」と言うなど、「○的」と表現する流行りにも似た言葉使いがあったそうで、「素的」という表記もこの類のもののようだった。

そして、「素」という言葉だけれど、こちらは現在、真逆のニュアンスで使われるのである。

「素」は「素晴らしい」という言葉を省略したものという見方があり、こちらの語源は現代で使われている誉め言葉のような意味合いとは真逆の、良くない意味で使われていたそうだ。

諸説あるけれど、その中の一説では「すばらしい」という言葉のもとは「すぼらしい(窄らしい)」という言葉で、「みすぼらしい、貧弱、情けない」といった意味を持つという。

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こうして、言葉の世界を通して時代を遡ってみると、自分が思っていたものとは本来真逆のものだったというようなことは、よくあることである。

中には二転三転して現在に至っているものもあったりするものだから、その度に、世の中や自分自身が、目の前の出来事やモノゴト、誰かとの関係に対してどのような意味を持たせるかによって、そのものの見え方や感じ方は変わるのだろうと感じさせられている。

「素敵」という言葉に含まれている「素晴らしい」という言葉の意味が、ネガティブな意味から始まり、今では誉め言葉と言えるポジティブな意味を持つように、いつの間にか変化しているように。

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いつだって、目の前に広がる世界は自分次第で如何様にも変えられると、私は思うのです。

もちろん、そうは思えないという方もいらっしゃって、それも一つの在りようなので、どちらが良い悪いの話ではなく、各々が選びたい世界を選ぶも良し、相反する両方を同じように大事にするも良しということなのだけれど。

言葉の世界同様に、昨日までの常識が今日の非常識ということも起こるのだから、どのようなときにも心しなやかにいられたらと思う。

「やばい!」も「素敵!」も何だか楽しい、そう思ったコンビニ前である。

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