ご挨拶|ありがとうございました。

幸せのレシピ集へ足を運んで下さっている皆様へ
こんにちは。
こちらで執筆させていただいております柊希(ひいらぎ)と申します。
2015年11月に始まった『幸せのレシピ集』ですが、
本日2020年9月30日をもちまして終了する運びとなりました。
足を運んでくださった皆様、
さり気なくスペルミスを教えてくださった皆様、
お星さまを贈ってくださった皆様、
温かいメッセージのやり取りをさせていただいた皆様、
私が知らないことや知らない世界を教えてくださった皆様。
至らないこともあったと思うのですが、
全ての皆様のおかげさまで、ここまで続けることができました。
長い間、たくさんのモノゴトをシェアしてくださって、させていただいて、
ワタクシ柊希にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

生きていれば様々なことがありますけれど、
楽しいときも、踏ん張りどころでも、
自分の手の中にある希望の光、希望の種の存在を忘れずに、
口角上げていきましょうね。

言葉は生きています。(と、私は思っています。)
ですから、私の言葉を必要としてくださっている方には、
必要な言葉が、必要なタイミングで届くかと思います。
それは、私が新しい場所から発している言葉かもしれないし、
既に皆様の心の片隅に残っている私の言葉かもしれないのですが、
言葉のご縁によって、またどこかで、何かしらの形で、お会いできるように思います。
約5年間、ありがとうございました。
私の言葉に触れてくださった全ての皆様に、心からの「ありがとう」を。
そして、
皆様の未来に幸多からんことをお祈り申し上げます☆彡
かしこ
2020.9.30
柊希
※コメント欄は終了しておりますが、柊希へメッセージを送ることができる下記ページ内のメールフォームは、もうしばらく使用可能です。お返事は10/1から順次、必ず、お届け致します。1週間~10日ほどお時間を頂戴することになるかと。のんびりと、お待ちいただけましたら幸いです。
※メールフォームは2020年10月31日15時を持ちまして終了しました。
たくさんのメッセージを、ありがとうございました。
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移り行く季節を、どうか思いっきり、五感を使って楽しんで。

スイカが並んでいた記憶が消えぬうちに、陳列棚の上には数種類の梨が並べられていた。
夏のフルーツから秋のフルーツへと変わると、いよいよ秋だなと思う。
夏を苦手としている私にとって秋の到来は待ち侘びていたものなのだけれど、去り行く夏を見送るのは名残惜しくもあり、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、来年の夏を楽しみに思う気持ちがぽわっと湧くのもこの時季ならではである。
どの梨を持ち帰ろうかと悩んだ末、赤梨と青梨からひとつずつ選ぶことにした。
日本で収穫される梨の品種は色々とあるけれど、赤梨(あかなし)と呼ばれる梨と青梨(あおなし)と呼ばれる2種類の梨にざっくりと分類することができる。
見分け方は簡単で、赤みがかった褐色色をした日本梨「幸水(こうすい)」や「豊水(ほうすい)」などは赤梨(あかなし)に、黄緑色をした日本梨「二十世紀(にじゅっせいき)」などは青梨(あおなし)に分類される。

梨は古くから食べられているフルーツで、歴史を遡っていくと弥生時代に造られた古墳跡から既に梨の種が発見されたという話がある。
もともとは、大陸から持ち込まれたそうだけれど、大きくて硬さがある当時の梨は、上手に保存をすれば半年ほどもったそうで、水分やビタミン、ミネラルなどを補うことができる大切な保存食のひとつだったようだ。
保存食として注目されていたことが分かるエピソードとしてよく取り挙げられているのが、日本書記に記されている、持統天皇が国民に梨の栽培をすすめたという話。
持統天皇は、「お米」や「ひえ」などの穀物栽培だけでは心許ないから、他にもいくつかの食材を育てるよう勧めており、そのいくつかの食材の中に梨や栗が挙げられているのだ。
私たちにとって梨はデザートにいただく美味しいフルーツだけど、梨は美味しいだけではない、レスキューフルーツということのようだ。

実際に、美味しさはご存じのとおりなので割愛するけれど、あのシャリシャリとした癖になる食感を出している成分は、食物繊維と腸内環境を整える成分が豊富に含まれているという。
他にも浮腫みを取り除き、余分な塩分を排出するよう働いてくれるカリウムや、肝臓の機能を整えてくれるタンニン。
他にも、疲労回復や二日酔い、便秘の緩和、喉の傷みや違和感を取り除くよう働いてくれる成分もたっぷりと含まれているため、夏から冬を繋ぐ、秋にこそ食べたいフルーツである。
旬を意識しなくても一年を通して食べることができる食材やフルーツが多い昨今だけれども、旬の食材を知ってみると、その時季の体に必要な栄養を豊富に含んでいることがほとんどだ。
そのことに気付かされる度に、旬を意識して過ごすことは、確かな健やかさの土台作りにも繋がるのだと思ったりもする。

旬を五感で楽しむことは、ココロとカラダの双方を豊かにしてくれます。
ココロとカラダは私たちが思っている以上に繋がっているので、
移り行く季節を、どうか思いっきり、
好きも嫌いも含めて丸ごと自分らしく楽しんでくださいませ。
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縄跳びで注目の的!?

延長コードを使おうと、コード類をまとめているボックスを久しぶりに開けた。
引っ越しをする度に様々な長さのコードが必要になるものだから、いつの間にかサイズ違いがひと通り揃ってしまっている。
ボックスを覗き込みながらコードを選り分けていたのだけれど、ひっくり返した方が早いと思い、全てのコードを床の上に広げるとショッキングピンク色をした縄跳びが紛れ込んでいた。
入れた覚えも購入した覚えもないそれに対して、クエスチョンマークが幾つも思い浮かんだけれど、きっとパッキング作業中に適した行き場が見当たらず、コード類という括りでボックスの中に押し込んだのだろう。
紛れ込んでいた縄跳びにそう目星を付け手に取った。

日本では体育の授業で縄跳びをする学校が多いため、多くの人が経験したことがある運動のひとつではないだろうか。
また、縄跳びは1日10分程度飛ぶだけで十分な全身運動になり、心肺機能を高めることもできることから、大人になって改めて手に取る人も多いと聞く。
私が外国暮らしをしていた頃、週に一度だけイギリスの小学校へ書道を教えに行っていたことがある。
しかし、それだけでは双方の距離が思うように縮まらないという理由から、授業開始前の休み時間を一緒に過ごす日もあった。
そのときに子どもたちとすることと言えば、当時は縄跳びに誘われることが多く、私も童心に返って縄跳びを楽しんでいた。
しかし、あちらで縄跳びと言えば、縄の片方を木やポールなどに結び、もう片方を人が持って回し、縄を潜ってあちらへ渡ったり縄を飛び越えたり飛んだりする大縄跳びが主流のようだった。
もちろん、ひとりで飛ぶ縄跳び遊びもあったのだけれど、子どもたちの多くは淡々と飛ぶだけだから面白くないと言い、子どもたちが「縄跳びをしよう」と誘ってくれるときには「縄跳び=大縄跳び」という意味なのだとその時に知った。

ある日の大縄跳びの休憩中、私は久しぶりに手に取った一人用の縄跳びの懐かしさから、前飛び、後ろ飛び、交差飛び、二重飛びなど覚えている縄跳び技をやってみたのである。
体が動きを覚えていてくれたことに安堵したところで縄跳びを止めると、子どもや先生たちから注目を浴びていたのである。
聞けば、イギリスにも縄跳び遊びはあるけれど、日本のように様々な技を覚えるような授業はないとのことで、その日予定していた書道の授業は無くなり、運動神経が特段良いわけでもない私が、縄跳びを教える時間に変更となった。
子どもたちの、はじめて目にする技を一生懸命練習する姿や、できた時に飛び上がって喜ぶ姿などを見ていると、可愛いやら懐かしいやら、小学生のときに覚えた縄跳びがこんな場所で役に立つなんてと驚いたりもした。
日本では、どうしてこれ程までに縄跳びがメジャーなのか、その辺りはよくわからないけれど、一人縄跳びでできる技を持っていることは、ちょっとしたアピールポイントでもあるようだ。

今年は行動範囲が狭くなっているので、少し気を抜くと運動不足まっしぐら。
既に味覚の秋、食欲の秋がやってきているので、ショッキングピンクの縄跳びを見つけたこの機会に、縄跳びエクササイズで手っ取り早く全身を整えようかと思ってい。
場所を取らず、美容と健康の双方からボディメンテナンスができますので、ご興味ありましたら皆様もいかがでしょうか。
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「やばい!」も「素敵!」も何だか楽しい。

コンビニの前で子どもたちが「やばい!やばい!」と言いながら盛り上がっていた。
思わず、どちらの意味で?と興味が湧いた。
視界の端から感じられた雰囲気から察するに、また食べたくなるような美味しさに出会ったようだった。
もともとは危険な状況や都合が悪いことなど、良くない状況を表現するために使われてきた言葉だけれど、こうして真逆のニュアンスで使われる場に遭遇すると、面白いと思う。
いつだったか、「素敵」という文字を書きながら「敵」という文字が付いていることに対して違和感を覚えたことがあった。

語源を辿っていると、「素敵」に使われている「敵」は、もともとは「的」と書き記されていたのだとか。
江戸時代の頃、泥棒をカジュアルに表現する際に「泥的」と言うなど、「○的」と表現する流行りにも似た言葉使いがあったそうで、「素的」という表記もこの類のもののようだった。
そして、「素」という言葉だけれど、こちらは現在、真逆のニュアンスで使われるのである。
「素」は「素晴らしい」という言葉を省略したものという見方があり、こちらの語源は現代で使われている誉め言葉のような意味合いとは真逆の、良くない意味で使われていたそうだ。
諸説あるけれど、その中の一説では「すばらしい」という言葉のもとは「すぼらしい(窄らしい)」という言葉で、「みすぼらしい、貧弱、情けない」といった意味を持つという。

こうして、言葉の世界を通して時代を遡ってみると、自分が思っていたものとは本来真逆のものだったというようなことは、よくあることである。
中には二転三転して現在に至っているものもあったりするものだから、その度に、世の中や自分自身が、目の前の出来事やモノゴト、誰かとの関係に対してどのような意味を持たせるかによって、そのものの見え方や感じ方は変わるのだろうと感じさせられている。
「素敵」という言葉に含まれている「素晴らしい」という言葉の意味が、ネガティブな意味から始まり、今では誉め言葉と言えるポジティブな意味を持つように、いつの間にか変化しているように。

いつだって、目の前に広がる世界は自分次第で如何様にも変えられると、私は思うのです。
もちろん、そうは思えないという方もいらっしゃって、それも一つの在りようなので、どちらが良い悪いの話ではなく、各々が選びたい世界を選ぶも良し、相反する両方を同じように大事にするも良しということなのだけれど。
言葉の世界同様に、昨日までの常識が今日の非常識ということも起こるのだから、どのようなときにも心しなやかにいられたらと思う。
「やばい!」も「素敵!」も何だか楽しい、そう思ったコンビニ前である。
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時は巡る。

甘味処のショウウィンドウスペースに、可愛いアマビエダルマが並んでいた。
円らな目をした優しい色合わせのアマビエたちを眺めながら甘味処を通り過ぎたのだけれど、妖怪とは思えぬ可愛さに気持ちがすっかり癒されていた。
我が家にも今年に入って2種類のアマビエがやってきた。
ダルマではなくカードの類なのだけれど、双方ともに好きな作家によって手掛けられたもので、それぞれに、それぞれの良さがあり私の宝物となった。
アマビエとは、今年に入り知名度が急上昇した日本に伝わる妖怪で、人と魚をミックスさせたような姿をしていると言われている。
遠い昔、海の中から光輝く姿で現れて「しばらくは豊作が続くけれど、その後、疫病が流行する。その時には私の姿を描き写して人々に見せなさい」と告げ、海の中に戻っていったと言い伝えられている。
いつの時代も未知なるものと向き合わなくてはいけないときには、このような存在の中にささやかな希望の光を感じるものなのか、すっかりお馴染みとなったアマビエである。

そして、アマビエ以外にも疫病や災厄などを祓い除ける妖怪がいるという。
先日私が知った妖怪は、巨大昆虫のような姿をしており、疫病や災厄を空き散らす鬼を片っ端から食べまわり、疫病や災厄を消してくれるという妖怪であった。
失礼ながら人に危害を加えることはないと聞かされぬまま初見すれば、人に悪さをする側の妖怪だろうと思ってしまいそうな姿をしているではないか、というのが私の第一印象であった。
その巨大昆虫のような妖怪は「神虫」と呼ばれており、疫病や災厄を巻き散らかす鬼を毎日数千体もの数喰らうという。
そして、この神虫のように疫病や災厄を招き散らす鬼を退治してくれる妖怪を描いた絵があるのだけれど、中国ではこの絵のことを辟邪絵(へきじゃえ)と呼んでおり、日本にも平安時代に描かれた辟邪絵(へきじゃえ)が残っている。
先ほどの神虫もそのひとつのようだ。

時代は繰り返すというけれど、その通りだと改めて感じた神虫の話であった。
そして、第一印象は大切だというけれど、確かにそれも一理あると思うけれど、それだけでは判断し難いこともそこかしこにあるものだと思ったりもして。
このようなご時世だからこそ知ることができるモノゴトや、感じられるものがある。
それならば、できる限り前向きな視点で、それらに触れてみたいものである。
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美味しい方がイイ、命がけのミッションなんだもの。

ぶーん、ぶーん、と嫌な羽音が聞こえた。
蚊、である。
今年も酷暑のおかげでと言っていいのか分からないけれど、近年の暑さの中では蚊も思うように動くことができないのだろう。
蚊とは縁が無いまま夏の終わりを迎えた。
虫除け用に精油を使ったアロマミストを作ることがあるのだけれど、ここのところ、以前ほど大量に作らずに済んでおり、この点に関しては快適な夏が数年続いている。
とはいうものの、暑さが引き始めたこの時季は、人だけでなく蚊にとっても活動しやすい気温のようで、蚊が現れる時季は夏ではなく夏と秋の狭間に変わりつつあるように思う。

いつだったか、どうしてあんなにも小さな羽音が聞こえるのか不思議に思ったことがあった。
聞くところによると、蚊が出している羽音の周波数は人の話し声と非常に近い、似た周波数をしているため、キャッチしやすいのだとか。
更に、あの羽音。
例えば、蝶が1秒間に羽ばたく回数を5回程度だとすると、蚊はその100倍の500回ほどバタバタと羽を動かしているというのだ。
1秒間に500回、それを連続で行っているなんて私には想像もできない運動量と回数だけれども、蚊は小さい体でなかなかタフである。

そんなタフな蚊の栄養源と言えば、私たち「人」や「動物」たちの血だと思っている方もいらっしゃるのではないだろうか。
私もそう思っていたのだけれど、彼らの好物は糖分で、生き延びることだけを考えるならば、花の蜜や果実、草などに含まれている甘い水分を吸うだけで十分生きていけるのだそう。
しかし、子孫を残すとなるとメスの蚊は産卵する必要があり、産卵するためには人の血や動物の血に含まれているたんぱく質を摂取しなければいけない。
という理由から、メスの蚊は危険を冒して人の血を吸いにきているという。
一方の産卵をしないオスの蚊はというと、危険を冒してまで人や動物の血を吸う必要がないため、血を吸うために使う針すら持っておらず、花の蜜などを吸って一生を終えるそうだ。
この視点だけを切り取るとメスの一生はとてもリスキーで、オスの一生は優雅にも見えるけれど、オスの蚊だって、私が未だ知り得ない重要ミッションを担っている違いない、と思いたいところである。

以前、薬剤師の方とこのような話をしていたことがあるのだけれど、その際、血液型の話が話題になった。
O型の血は花の蜜に似た分子構造をしているため、他の血液型の方と比較すると血を蚊に吸われやすい傾向にあるという話があるというのだ。
更に、甘いものを頻繁に食べる方も、甘い香りが体からほのかに出ているのか血を蚊に吸われやすいのではないかと推測する方もいるという話も。
もし、危険を冒してまで血を吸いにいかなくてはいけないメスの蚊の心の声を聞くことができたなら、「できるだけ美味しくてたんぱく質も豊富な血を吸いたいわ、だって命がけのミッションなんだもの」という声が聞こえてきてもおかしくはないのかもしれない。
そのようなことを思いつつ、部屋中に虫除けスプレーをひと吹きした午後である。
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お月見どろぼうが現れる日。

来週の今日(2020年10月1日)は、中秋の名月(十五夜)である。
手帳に予定を書き込みながらそのことに気が付き、そろそろお月見の準備でもとキッチンに立った。
準備といっても、当日使用する盃や花器、おぼんなどを取り出すだけのことなのだれど、うっかり日にちを間違えがちな私にとっては、必要な作業である。
ススキだけは早めに用意しておきたい。
毎年そう思うも、早めに準備しすぎると穂が狐の尻尾のようにふわーっと開きすぎてしまうため、用意するタイミングが難しいと思うのもこの時季恒例となっている。
ススキは、豊作や各家庭の繁栄を見守ってくださる月の神様を自宅へお招きする目印として、また、お招きした月の神様が宿る依代として飾るのだけれど、
無病息災や翌年の豊作を願う意味と、ススキの姿が稲穂に似ていることから収穫を喜び感謝する意味も込められている。

お月見といえば十五夜という印象が強いけれど、他にも十三夜、十日夜と呼ばれるお月見があり、十三夜は十五夜の次に美しい月が見られるということで、昔から十五夜同様に大切にされたお月見の日だ。
※ちなみに、今年(2020年)の十三夜は10月29日である。
十五夜が中秋の名月と呼ばれているのに対して、十三夜は栗をお供えすることから「栗名月」と呼ばれており、
先人たちは、十五夜と十三夜の両方を見てはじめて「お月見」だと言えるとし、片方の月しか見ないことは「片見月」と呼び、縁起が悪いものとして扱っていたという。
中秋の名月に関する話題には、過去にも様々な視点から触れているため、ここでは割愛するとして、今回は日本ある「お月見どろぼう」という風習の話題でも。

そう聞いて、「今更お月見どろぼう?」と思う方と「お月見どろぼうってなあに?」と思う方がいらっしゃるかと。
それもそのはず。この風習は国内の限られた地域のみで行われている風習なのだ。
私は、この風習とは無縁だったため、大人になり仕事をご一緒した方々から教えていただいた風習である。
なんでも、その昔、中秋の名月(十五夜)の日だけは、他所様の畑からお芋を盗んでも良いとされていたのだそう。
もちろん、盗んで良いといっても、根こそぎ盗み取っても良いという話ではなく、畑の隅のお芋を常識の範囲内で少しだけいただくというものである。
この日盗まれたお芋は、お月様が食べてくださった、お月様が持って帰ってくださったということで縁起が良いとされ、お芋を盗まれた畑は豊作になると言われていたそうだ。
この風習も農業を営む方が減ってきたからなのか、時代を経る中で中秋の名月(十五夜)の日に盗まれるものは、お芋からお団子に変わったという。
そして、このお団子を盗んでいいのは、お月様の使いだと考えられていた地元の子どもたちとなり、「お月見どろぼう」と呼ばれる風習が生まれたようだ。

更にそこから時代は進み、今では、お団子がお菓子になったり、子どもたちが黙って縁側から盗むのではなく、玄関チャイムを鳴らして「お月見どろぼうです」と名乗りお菓子をいただいたりするスタイルに変化しているという。
私はお月見どろぼうの経験も、お菓子やお団子をあげる側の経験もないため、この風習を見聞きすると、外国で行われているハロウィンのトリックオアトリートを思い出してしまうのである。
お月見どろぼうとトリックオアトリートは似て非なるものではあるけれど、楽しみながら様々なことを知る機会があるのは素敵なことだと思う。
中秋の名月が近づいてまいりました。
当日のお天気が気になるところではありますけれど、どのようなお天気でも月が消えてなくなっているわけではないので、
10月1日は、夜空を見上げて今あるハッピーに感謝したり、無病息災や翌年の様々な豊作を願うなどして楽しんでみてはいかがでしょうか。
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夏仕様から秋仕様へシフトチェンジしましょ。

時折お世話になっている鍼灸医からお手紙が届いた。
中身にはサロン移転のお知らせとサロンで行っているウィルス対策のこと、そして、私の体の癖を良く知る彼女からのアドバイスのようなものが綴られていた。
前回お会いしたのはいつだったか。
世の中の慌ただしさや変化に対応することに意識を向けて過ごしているうちにタイミングを逃し、気付けば1年近くの月日が経っていた。
何をしても何もしなくても、時間は刻々と過ぎ去っていく。
それならば、何かをするにしても何もしないにしても、できる限り後悔をしない選択と時間を重ねたいものである。
いただいたお手紙の中には、健やかな冬を迎えるために必要な、秋という季節の過ごし方のコツが記されておりましたので、今回は、この話題をシェアさせていただければと思っております。
ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていってくださいませ。

エアコンを使わずに過ごすことができる時間も増えてきましたけれど、時間帯によっては残暑厳しいこともあり、女性の皆さんは着るもの選びに困る日も増えているのではないでしょうか。
また、ついつい残暑に意識が向いてしまいがちで、夏仕様のライフスタイルや食事を続けてしまっているという方もいらっしゃるかと。
このような季節の変わり目はカラダもお肌も揺らぎやすく、いつまでも夏気分が抜けないまま過ごしていると、カラダやお肌が冬に対応できず、様々な不調を招きやすくなると言われています。
特に今年の冬は様々なウィルスを跳ね返せるだけの土台も作っておきたいという思いもあります。
このような視点からも秋の過ごし方はポイントになるようです。

中医学の古い書物には、この季節はこのようにして過ごすといいよという、アドバイスのようなものが記されております。
その書物によると、実りと収穫の季節である秋は、冷たい風を浴びすぎず、頑張りすぎず、疲れを溜め込まず、穏やかな気持ちで過ごすことがポイントなのだそう。
たったそれだけのこと?と思いがちなのですが、私たちのカラダやお肌は現在、冷気や乾燥に対して無防備な夏仕様です。
急に秋冬仕様にシフトチェンジできませんので、残暑に気持ちを引っ張られて冷たいものを夏と同じように摂っていたり、体を冷やしすぎたり、乾燥を気にせず過ごすなど、この辺りを疎かにしていると、必要以上に体力を使い、免疫力が落ちて胃腸の不調や風邪を招きやすくなるのです。
更に、季節とちぐはぐな状態で過ごしているうちに季節の変化の波に乗れず、イライラしたり、不安に襲われたりと精神面にも、じわじわとダメージが及ぶのだとか。
ですから、そろそろ体が冷える装いや食べ物、飲み物、冷たい風などに気を付けながら、心穏やかに過ごすことが大切になるようです。
秋は、空気が想像以上に乾燥しています。
乾燥と言えばお肌をイメージしますけれど、お肌だけでなく喉や肺などにも影響が及びますので、少しずつ、乾燥対策も始めるとよいタイミングのようです。

例えば、この時期に食べると良いと言われている食材ですが、お米やカボチャ、女性に嬉しい栗やお芋といった秋の味覚などがラインナップに挙げられます。
更に秋のフルーツも。
フルーツはビタミンなどの栄養補給だけでなく、秋の水分補給にも重宝する食材です。
適度な水分補給は引き続き必要ではあるけれど、冷たいお水ばかり飲んでいたのでは、体を芯から冷やしますし、
夏の様に外気温が高いわけではないため、冷えた体が冷えた状態でキープされやすい環境です。
ですから、秋はフルーツなどから水分とビタミンを一緒に摂るのも手、だと言われています。

食材をみると、これから目にする機会がぐっと増えるものばかりですので、こうして過ごし方のコツを確認したあとは、難しい話は横に置いて、楽しく秋を満喫することが秋冬を健やかに過ごすことに繋がるように思います。
そして、忘れてはいけないこと。
それは、一年の中でも夏から秋へと季節が移り変わるときというのは、人の気持ちをセンチメンタルにしますから、 自分の気持ちにも大切な方の気持ちにも、優しく寄り添ってあげることもお忘れなく。
自分を褒めることが苦手な方が多いですけれど、どんどん褒めましょ。
健やかに暮らすための、何かしらのヒントやきっかけにしていただけましたら幸いです。
本日も口角をキュッとあげてまいりましょうね。
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ツバメが去るとアレが戻ってくる。

鮮魚売り場を通ると、「魚介」や「魚貝」の文字が目に留まった。
ワタクシ過去に、どちらを使えば良いのだろうとキーボードを叩く指先が留まったことがある。
執筆作業をしていると時折起こることなのだけれど、意識をすればするほど、分かっていたはずの正解が分からなくなるのである。
文字を書くときもそうである。
普段であれば手がとまることがない簡単な文字だというのに、コンマ一秒迷っただけで、この文字にこの線は必要?不要?と迷うのである。
他にも、普段書かないような大きな文字を書いていると見え方が変わり、似たような迷いが生じたりもする。
慣れているものごとこそ慎重にとはよく言ったものである。

海の幸を表現する際には「魚貝」と「魚介」の2つが使われているのだけれど、「魚貝」と書くときには、見た通り「魚」や「貝」を指しており、「魚介」と書くときには、海の幸を丸ごと指している。
もともとは、魚介に使われている「介」の文字は武装した人の姿を表したものだったことから、甲冑を着ているような印象があるエビやカニを指していたそうなのだけれど、
ここから範囲が広がり、エビやカニだけでなくタコやイカといった殻を持たないものも含むようになり、海の幸を丸ごと指す言葉として使われるようになったようだ。
だから、見るからに魚だと分かるものと貝だと分かるものであれば「魚貝」の文字を。
海の幸を丸ごと表現したいときや色々と考える過程が煩わしいときなどは、全てを含む「魚介」の文字を選ぶと間違いがないようである。
確か、そのような使い分けだったと鮮魚の前で思い返していると、魚屋さん特有の声をした店員に「その辺りの魚も美味しいけれど、今日はカツオがおすすめだよ」と声をかけられた。
魚を選んでいたのではなく、その表記に思考を巡らせていたなどと言えるはずもなく、言われるがままカツオの前へ移動した。
あぁ、これは買って帰る流れに乗ってしまったな。
そのようなことも思いながらサク取りされたカツオをのぞきこんだ。

9月は、脂がのった戻りガツオが美味しい時季である。
夏の残り香に意識を向けていると気づきそびれてしまいそうだけれど、七十二候(しちじゅうにこう)という暦の中には、ちょっとした目印がある。
それは、9月17日辺りからの5日間ほどを七十二候(しちじゅうにこう)では、「玄鳥去(つばめさる)」と呼んでいるのだけれど、
この辺りから戻りガツオを目にする機会が増えることから、「ツバメが去るとカツオがやってくる」などと言う方もいらっしゃるのだ。
七十二候(しちじゅうにこう)を常に意識して過ごすわけではないけれど、ツバメを見かけなくなりツバメが南の地へ旅立ったようだと感じた折には「戻りガツオ」を是非。
その日も、美味しそうな戻りガツオの刺身とたたきがあった。
別のメニューの為にとカゴに入れていた薬味に視線を向けながら、この日は「たたき」に手を伸ばした。
これは以前、魚のプロに教えていただいた受け売りの知識だけれど、こうして既に出来上がっている「たたき」を自宅で出す際には、軽く塩を振り直して表面をさっと炙るか、火が中に通らない程度にフライパンで焼くかすると美味しさが増す。
私は、手軽な方法を選びがちなのでトングで掴んでサッと直火で炙ってしまうのだけれど、確かに香ばしさが復活して旨味が増すように思う。
お嫌いでなければ、戻りガツオの美味しさをお好きなスタイルで堪能しつつ、今回のお話の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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秋の花と草花を摘む男性のはなし。

掃除を終えた室内の香り付けにとアロマキャンドルを手に取った。
夏の間はお香やアロマオイル、アロマミストの中から軽やかな香りのものを好み選んでいたけれど、キャンドルや甘い香りに手が伸びるようになり、季節の移り変わりを感じるこの頃である。
この日も、エアコンを付けてはいたものの、そろそろ花持ちもぐっと伸びる季節だと思い立ち、この時季のちょっとした楽しみ、チョコレートコスモスを買うため、家を出た。
数年前に知ったチョコレートコスモス。
幸せのレシピ集内でも触れたことがあるのだけれど、それは深紅色にビターチョコレートを混ぜ込んだような、シックで落ち着きあるダークカラーをしており、これまでのコスモスのイメージを少し変えてくれる品種である。
そして、もう一つの特徴は香り。
その名のとおりココアやチョコレートに少しバニラを混ぜたような印象をしており、涼しくなってきた日常に似合う香りをしている。
コスモスを買う習慣が無かった私に、コスモスの魅力を教えてくれた品種である。

この日の気分は、そのチョコレートコスモスだった。
足取り軽く玄関を出て、エレベーターホールの前に立った。
扉に薄っすらと写り込む自分の姿に違和感を覚えたものの原因が分からず、しばらくの間、ボーっとしていた。
あとワンフロアーほどで目の前の扉が開くというタイミングで、マスクをしていないことに気が付き、危ない、危ない、新エチケットと、慌てて自宅内へと踵を返した。
そのような“ウッカリ”をふたつほどやらかしたけれど、無事にフラワーショップに到着し、店内をぐるりと見回った。
ピンクやマゼンタ、パープルにホワイトなど可愛いコスモスが多数入荷していたけれど、お目当てのチョコレートコスモスは、入荷しておらず空振りとなった。
分かりやすく残念な顔をしていたのだろう。
店員に、チョコレートコスモスの入荷はないけれどチョコレートコスモスのような色をしたダリアが入荷していると言われた。
ダリアは9月の誕生月花であり、今が旬と言える花のひとつである。
バックヤードから運び出していただいたダリアは、とてもゴージャスで妖艶な姿をしていた。

ダリアはナポレオンの奥様が溺愛した花だと言われている。
その背景には、昼ドラのようなエピソードもあるけれど、ダリアもまた人の心を魅了する花のひとつである。
この時季のウェディングブーケに使われることが多い花で、使われる理由は、色やカタチのバリエーションが豊富なので、好みやドレスとの相性など様々な希望を叶えられるからだろうと推測する。
他にも、豊かな愛情という花言葉を持っていることもウェディングブーケに使われる理由かと。

そうそう、ウェディングブーケやブートニアはヨーロッパ発祥のものだという。
古の男性たちはプロポーズの日、森や原っぱに咲く草花を摘み集めながら彼女のもとへ向かったそうだ。
道すがら摘み集めた草花は、彼女の家に着くころにはそれなりの量になり、愛が込められた花束となる。
そして男性は、この花束を渡してプロポーズするのである。
彼女は、プロポーズを受けるのであれば、受け取った花束の中から1輪を引き抜き、彼の胸元に挿すという習わしだ。
華やかさと、おめでたい雰囲気が出るウェディングブーケとブートニアだけれど、ブーケはプロポーズしたことを示すもので、ブートニアは結婚の申し出をお受けしましたという意味が込められている。
現代人にとってこれらのアイテムは、どちらかと言えば、アクセサリーを身につけるようなイメージでフラワーショップに依頼する流れが主流だけれど、
古の頃の、男性が一凛ずつ摘み集めていく姿を想像すると、何だかとても優しい気持ちで心が満たされるように思う。
そのような話を思い出しつつ、この日はチョコレート色をした、ゴージャスで妖艶なダリアを1輪買って帰った。

ダリアやコスモスがキレイなシーズン到来でございます。
機会がありました折には、季節のお花をご自宅にお迎えしてみてはいかがでしょうか。
本日も、ここへ足を運んでくださった皆様に良き風が吹きますように☆彡
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