幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

ニシンの衝撃を思い出した日。

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ガーデンチェアでハーブティーを飲んでいると、焼き魚の香ばしい香りが風に乗ってやってきた。

その香りにつられた私の脳内には、ホッケの塩焼きを食べたいという思いが広がった。

そこに美味しい日本酒があれば、最高である。

英国暮らしをしいているときにも似たようなことを思い、焼き魚を強く欲していたのだけれど、そのような私を見ていた知人が、英国で食べられているニシンの燻製をご馳走してくれたことがあった。

ニシンは、お節メニューでお馴染みの数の子の親魚で、甘露煮にしたものをお蕎麦に乗せていただく「にしん蕎麦」などが有名だろうか。

英国で目にしたニシンの燻製の第一印象は、ホッケの開きのような大きさをしており、これをグリルで焼くと、白米とお味噌汁を合わせたくなるような、私たちが知っている焼き魚の香ばしい香りがキッチンに広がる素敵な一品だった。

知人は白米を食べる習慣がなかったため、テーブルに準備してあったのはパンだったけれど、焼き魚食べられるだけで幸せだと思った私は、焼き上がりに期待を膨らませた。

お皿に乗せられた焼き立てのニシンの燻製は、どこからどう見ても日本食に見え、英国にこんなメニューがあったのかと小さな感動すら覚えた瞬間である。

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しかし、知人は「そのまま食べないで」とフォークを手にした私を制止し、食べ方を披露したのである。

まずは、カリカリに焼いたトーストにバターをたっぷりと塗った。

2枚目のトーストにはマーマレードジャムを、こちらもたっぷりと塗った。

お皿の上のニシンを真ん中から2枚に切り離し、バターの上とマーマレードジャムの上に1枚ずつ乗せ、お好きな方から召し上がれと私に差し出したのである。

どうやら、英国ではバターやマーマレードを使って食すようなのである。

きっと、そのまま食べても最高に美味しく、お醤油やポン酢、レモン果汁や大根おろしなども合うに違いない。

しかし、郷に入っては郷に従えという言葉が浮かんだ私は、ハードルが低いバターバージョンからいただくことにした。

アリかナシかと問われれば、サバのサンドウィッチのようでアリだと答えるけれど、正気な気持ちはシンプルにいただきたいというものである。

もう片方のマーマレード合わせはというと、こちらを食べたときの感想が私の記憶の中から丸ごと抜け落ちているところを見るに、消してしまいたいほどの味だったのかもれない。

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私が英国で受けたニシンの衝撃は、これだけではなかった。

英国の伝統料理の中にニシンを使って作るパイがある。

これは『魔女の宅急便』の中にも登場する一品なのだけれど、このパイのビジュアルがそれはそれは衝撃的なのである。

百聞は一見に如かずということで、こちらをご覧いただきたいのだけれど。

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 このように、パイ生地からニシンの頭が飛び出した衝撃的なビジュアルをしたパイは本場で、「星を見上げるパイ」という名で親しまれている。

確かにニシンたちが星空を見上げているようなパイなのだけれど、初めて目にした私は、遊び心の一環で作られたものなのだろうかとリアクションに困った記憶がある、思い出の一品である。

ニシン。

日本では冬にお目にかかる魚ではありますけれど、甘露煮や一夜干しなど保存可能な状態に加工したものなどを召し上がる機会や、『魔女の宅急便』をご覧になる機会がありました折には、今回のお話の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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引っこ抜かれた紫陽花と緑色。

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駅へ向かう道すがらにある駐車場の一辺には20メートルほどの花壇が設けられている。

そこに植えられているのは紫陽花で、この時季は、青々とした葉が茂っており、これから咲く花の蕾が付き始める頃である。

先日、久しぶりにこの花壇前を通ったのだけれど、作業員の方々が紫陽花を全て引っこ抜き真っ新な花壇が出来上がっていた。

力強い生命力を持つ紫陽花は育てやすいように思うけれど、枝を切り落とす手間や、冬から春にかけて地味な枝のみになることを思うと、

駐車場の一辺に植えるのは、1年を通して葉が落ちない常葉樹の中から選ぶ方が、風よけ、日よけ、目隠しにもなり実用的ということなのだろう。

駐車場近くに止めてあったトラックの荷台には常葉樹であろう木が積んであった。

紫陽花を引っこ抜いたそこに現れた風通しの良い空間に清々しさを感じたけれど、たわわに咲く紫陽花を見ることができないことを残念に思った。

と同時に、この場所に咲く紫陽花に癒されていたことに遅れ馳せながら気が付いたのである。

さて、今年は雨に濡れる紫陽花鑑賞をどこで楽しもうか……。

紫陽花好きとしては、そのような問題が浮上したのだけれど、またどこかで出会うであろう素敵な紫陽花を楽しみに、今年の梅雨もご近所を、お気に入りの傘と一緒に散策をしてみようと思う。

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トラックの荷台に積んであった常葉樹の緑色が、花壇にズラリと並ぶ様子を想像しながら目的地へ向かっていると、「みどり(緑)」という言葉が意味する偶然を思い出した。

もともと、「みどり(緑)」という言葉は、瑞々しさや若々しさなどを表していたようなのだけれど、先人たちは、そこから新芽や若葉を連想したのか、新芽や若葉などの植物が持つ色を「みどり(緑)」と呼ぶようになったという話がある。

また、芽が出る様子が語源だとも言われており、「みどり(緑)」には成長する様子が含まれているようなのだ。

そして、「みどり(緑)」はグリーンと表現することもできるけれど、こちらの語源も古い言葉で「成長する」という意味を持っているそうで、みどり色には、生命力や成長の様子が内包されているように思う。

全く異なる発音や表記であるにも関わらず、国内外で、同じような発想を元に生まれた、同じものを指す言葉があるのだから言葉の世界は興味深い。

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つい、艶やかな花へと意識が向いてしまいがちですが、

この時季の緑色は、瑞々しくて若々しく、これから成長するエネルギーに満ち溢れています。

外を歩く機会がありました折には、この時季ならではの緑色に癒されてみてはいかがでしょか。

そして、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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座高測定ってご存じ?

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かれこれ4、5年ほどキッチンのワークトップスペースで育てている観葉植物があるのだけれど、今年はこの成長が著しい。

気温が上がるにつれスペースを占領しそうな勢いで成長しだしたこともあり、思い切って鉢をレンジフードの上に置いてみることにした。

行き場が定まらぬまま伸びっぱなしだった茎は、ほんの少しだけ上から垂れるように配置してみたりして。

その結果、ワークスペースは思いのほか広くなり、目線がレンジフードの上へも向くようになったことで空間が広くなったような錯覚まで生まれて、気分も上々である。

心配事と言えば、万が一、地震が起きた際の揺れで落ちてきたとしたら困るというくらいだろうか。

だから念のために、鉢の下には耐震ジェルシートを忍ばせるなどして、キッチンのプチ模様替えを完了した。

小さな鉢を移動させるだけで随分と印象が変わるものだと、少し離れた場所から背中を壁に押し付けながら真新しい風景を眺めた。

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ふと、壁に背中を押し付けたときの感覚が何かに似ているような気がして、思考を巡らせていると、懐かしのと言うべきか「座高測定」を思い出した。

ついでに、健康診断の中に含まれるそれを受ける度に、これには何の意味があるのだろうかと思っていたことも一緒に。

胴の長さが分かったところで何かメリットがあるいようには思えなかったし、メリットどころか、胴の長さから分かることと言えば、足が長いか短いかくらいで、場合によってはネガティブな視点が強調されるだけの測定じゃないかとさえ思っていたくらいである。

そのような、意味不明な測定を受ける機会も無くなり随分と年月が経った頃である。

学校で受ける健康診断項目の中から座高測定が廃止されることになることを知ったのだ。(現在は廃止されているらしい)

正直、「へぇ、廃止か」という程度の感想だったのだけど、そもそもどうして座高測定が始まったのか。

そこに触れている記事を目にして驚いたのである。

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何でも、座高測定の始まりは戦時中だったらしく、当時のお見立ては、胴が長ければ内臓が発達しているというものだったそうで、内臓が発達していれば健康だという判断だったという。

更に、身長に対して胴が長いということは脚が短いと言い換えることもできるけれど、脚が短いということは体の重心が低いということでもあり、体の重心が低いということは安定感があり、そのような体型の者は良い兵士になると考えられていたそうだ。

今の私たちの知識や医学的な視点で見れば突っ込みどころがありすぎる測定だけれど、座高測定が始まった当時の世の中は、それを必要としていたということである。

ようやく、現代の子どもたちに不要なものが廃止されて、必要なものが新たに加えられることになったようなのだけれど、加えられたものは運動不足か否かというものだという。

先人たちからすれば、運動不足なんて考えられなかったと思うけれど、今はそのような時代だということである。

運動不足によって、しゃがむことができない子や、しゃがむことができないから和式トイレを使うことができない子、上手に走ることができない子、鉄棒にぶら下がっただけで脱臼する子、マットや跳び箱を使った運動で自分の体重を支えられずに骨折する子などが増えているというから、確かに座高測定をしている場合ではない。

座高測定の背景を知って驚いたけれど、意味がないと分かりつつも、最近まで測定し続けられていたことに対して、既にあるものを無くすことは、思うよりもずっと難しいということだろうか。

そのようなことを思ったりもしながらキッチンで過ごす穏やかな午後である。

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ネックレスチェーンには白い粉。

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しばらく使用していなかったバッグの中に、持ち運び用のジュエリーケースが入っていた。

取り出して中身を確認すると、中には修理に出す予定でいた、切れてしまったネックレスチェーンが2本入っていた。

いつでも修理に出せるようにとバッグの中に忍ばせていたのだろうけれど、外出の機会が減り、お店が休業に入り、しばらくの間、存在を忘れてしまっていたようである。

いつからバッグの中に放置していたのかまでは覚えていないけれど、久しぶりに確認したネックレスチェーンは、知恵の輪を軽く超えるレベルで絡まっていた。

指先で触れて解してみるも解れる兆しが見える気配はなく、チェーンは触れれば触れるほどキュッとキュッと締まっていくのだ。

それならばと、爪楊枝を持ち出し、再度解しにかかった。

これまでであれば、爪楊枝や針などを使用すれば、あっさりと片付く案件なのだけれど、この日は、爪楊枝も針も絡まったチェーンを解くことができず、人生初の白い粉を試すことにした。

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私が使った白い粉とは片栗粉のことなのだけれど、ネックレスチェーンの絡まりをスムースに解く際に使う粉は、ベビーパウダーや小麦粉などでも同様の効果があると言われている。

出来るだけ表面が滑らかな紙の上に絡まったネックレスチェーンを置き、上から片栗粉かベビーパウダー、小麦粉など、自宅にある粉を振りかけるのだ。

こうすることで、金属の細かな隙間に粉が行き渡り、チェーン同士の摩擦が減って滑りやすくなるという仕組みである。

振りかけた粉をチェーンに塗すようにしながら爪楊枝(針でも可)を使って絡まっている一部分を固定し、もう一本の爪楊枝(針でも可)で、その周辺を解すと、あっという間にするすると解れたのである。

あまりにも、するすると解れてしまったものだから、解し足りないという謎の気持ちが湧いたけれど一件落着である。

あとは、流水で丁寧に粉を洗い流し、タオルとドライヤーを使って乾かしたら完成である。

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いつだったかジュエリーショップの方に教えていただいた豆知識だったけれど、幸いにもこの知識を使うようなシチュエーションには至らず、ようやくお試しの機会を得たわけだけれど、なかなか使える豆知識という印象を受けた。

ショップの方は、使用した粉は丁寧に払い除くことができれば流水で洗い流す必要はないとおしゃっていたのだけれど、

チェーンの輝きや、肌の触れたときに薄っすらと感じられる粉っぽさを取り除きたい私は、自己責任だけれど流水で洗う方法に一票である。

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チェーンが解せないほどに絡まるシチュエーションは、そう多くはないかと思いますけれど、汗ばむ季節はネックレスチェーンに汗や皮脂が残りやすく、それがチェーンを絡まりやすくする場合もあります。

そのような時には、今回のお話を記憶の隅から手繰り寄せていただき、ご自宅にある粉を使ってピンチを切り抜けていただければと思います。

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便利と不便の狭間をゆらゆらり。

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PCのモニター画面に視線を向けたまま、電子印鑑をカチリと押した。

気付けば電子印鑑を使用するようになって随分と年月が経つのだけれど、未だに電子印鑑一辺倒ではなく、手彫り印鑑の出番があることに少しだけ安堵のような気持ちを覚えた。

いつだったか、こちらでも触れたことがあるのだけれど、私が長年愛用している印鑑を手彫りして下さった職人さんが当時言っていたのである。

「印鑑も印鑑屋もそのうち無くなるんだろうけどね、それまではこうしてね」と、印鑑を彫る仕草をしながら。

長年携わってきたモノゴトが、そう遠くはない未来に無くなると思いながら携わり続ける感覚とは、どのようなものだろうかと、あの時の私の胸中には、言葉にできないような複雑な思いが渦巻いたように思う。

だからだろう、あの日のやり取りは、私の頭の片隅に残っている。

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先日、在宅勤務やテレワークが進められている今、電子印鑑サービスの利用が急増しているとうニュースを目にする機会があった。

公的文書や契約書といった本当に大切な書類に対しては、これまで通り実印と呼ばれるものを押印して公的な効力を持たせなくてはいけないけれど、書類の内容や役割によっては、電子印鑑も併用していこうという世の中の流れがあるのだろう。

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電子印鑑とは、認印を押したときの陰影をクリックひとつでパソコン上の文書にポンッと押印できるものである。

ただ、押印するだけでは文書を簡単に偽造することができてしまうため、文書内容を勝手に書き換えられない機能や、書き換えることはできるけれど、その全ての作業履歴が文書内に記録される機能などが加えられている。

もちろん、これだけでは不完全で実印のような公的効力も無いけれど、使用可能なシチュエーションを限定すれば、想像するよりは安心、安全に使用することができるように思う。

一方では、公的な文書に使用することができる電子署名というものがある。

私はこちらも使用しているのだけれど、こちらは、国が定めた機関に予め署名を登録して公的効力を持たせたものである。

公的手続きなどを自宅に居ながらにして出来てしまう点は非常に便利なのだけれど、印鑑や署名の電子版とアナログ版の双方を使用してみて感じることは、どちらも一長一短であるということである。

どのようなシステムにも完璧なものなどなく、それを出来るだけ完璧な状態に保つために尽力してくださっている「人」がいるように思うし、大なり小なり、使いながらより安全なものに調整していく必要がある。

電子印鑑や電子署名もそのような位置づけのものであるように思う。

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随分とペーパーレス化が進んだけれど、印鑑という存在そのものが消えることはなく、電子印鑑というものを登場させて使っている様子を眺めながら、新しいことを少しずつ取り入れて古きものと融合させながら変化させるやり方は日本人らしいと思ってしまう。

この「少しずつ」というところが、物事によっては良し悪しが出るところでもあるのだけれど、印鑑に関して言うならば、どの世代の人に対しても優しい気遣いのようにも見える。

いつかは、電子印鑑も公的な文書に使えるようになるのだろうけれど、今は便利も不便も経験できることを、時にボヤいたりもしながら楽しめればと思った日。

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竹のBプランが発動するとき。

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最近、目にする機会が増えているCMがある。

CM内には「桃太郎は、あまりの暑さに川を泳いで行ってしまいました。かぐや姫は森林伐採で竹を見つけられず……人魚姫はゴミが邪魔で地上に上がれませんでした。物語が変わる前に、守りましょう、地球環境」というナレーションが付けられている。

CMが伝えようとしているメッセージはさておき、かぐや姫の竹と言えば「マダケ」という名の、花を咲かせる竹であることを思い出した。

私が竹の花に触れたことがあるのは、書物の中やどなたかが撮影した画像のみで、未だ実物の竹の花というものを見たことがない。

しかも、竹の花を見たことがあるという方の話すら耳にしたことがなかったものだから、書物内で竹の花の描写に触れたときには、作者の空想上の竹の姿だと思っていたくらいである。

しかし、何かのきっかけで竹は花を咲かせる植物であるということを知り、いつか実物を見てみたいと思っているのだ。

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かぐや姫でお馴染みのマダケは、120年に1度だけ、花を咲かせるという。

日本に数多くみられる竹たちが最後に花を咲かせたのは1960年代だったそうなので、次に竹の花が咲くのは2080年頃だと言われている。

あと何年、その頃の私は……という野暮な計算はやめておくけれど、この予測通りに開花するのだとしたら、目にできるかもしれないタイミングは、随分と先の話である。

竹は一見、1本、1本が自立して生えているように見えるけれど、地下茎と呼ばれる、土の中で伸びて繋がって繁殖していく植物である。

このような性質を持っているので、竹のことをよく知らない素人が何の処置も施さず、気まぐれで竹を自宅の庭に植えてしまうと、土の中で伸びて枝分かれした茎から出た竹が成長し、家の床を突き破って成長を続けてしまうため、素人が簡単に手を出してはいけない植物だと言われている。

しかし、どんなにたくさんの竹が生えている竹林だったとしても、全てのもとは一つなので、竹は、竹の成長を妨げるような環境に晒されてしまうと、竹林の存在感からは想像し難いけれど、竹林が丸ごと、簡単に消滅してしまうという。

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このような自らの弱点を知ってのことか、普段は繁殖に花や種などを必要としていない竹だけれど、120年に一度だけ、花を咲かせて種という形で子孫を残すというのだ。

通常の繁殖方法をAプラントするならば、花を咲かせて繁殖するこちらはBプランといったところである。

Bプランは、竹が命をかけて次の世代へバトンを渡すようなもので、無事に花を咲かせて種を残した後の竹は全て枯れて土に還るそうだ。

だから、それを見越した管理をしていないのであれば、120年に1度という周期で、日本中の至る場所で竹林が消えてしまうことになるのだけれど、この仕組みを解明できていなかった先人たちは、竹の花が咲いたり、竹林が枯れて消えてしまうと不吉なことが起きる知らせだと言って、非常に恐れていたという。

昔から当たり前のようにある竹林だけれども、新しい環境にも適応していかなくてはいけないため、自分たちも変化しながら生きているのである。

120年という年月はあまりにも長く、その神秘的で命がけの光景を目にできる可能性は稀だけれど、見てみたいと思う。

しかし近年、120年経っていないというのに花を咲かせる竹が現れているそうで、これは吉凶どちらを知らせるメッセージなのだろうかという話もある。

竹の真意は分からないけれど、竹にとっても人間にとっても、今は大切な変化の時季のようである。

お散歩中などに竹を目にする機会がありました折には、今回のお話をちらりと思い出していただきまして、120年に一度咲くという貴重な竹の花探しなどいかがでしょうか。

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あの川の渡り方にも変化が。

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郵便物を受け取るため、マンションロビーへ向かった。

運動不足解消のために階段で降りるか否か軽く迷ったけれど選んだのはエレベーターである。

1階に到着してドアが開くと郵便物を小脇に抱えた住人の方が立っていた。

挨拶意外の会話を交わしたことはないけれど、顔を知った者同士という妙な安心感がそうさせるのか、「あ、お久しぶり」といったニュアンスを感じるような、挨拶を交わした。

マスクを着用していると、表情の半分が覆われて不愛想に見えることがあるため、目の表情を意識しての挨拶である。

自宅マンションのロビーへ行くだけなのに、すれ違う住人たちは皆、マスク姿である。

マスクを着用するのは自分の為でもあるけれど、家族やここで暮らしている人の為でもあり、新しい暮らし方が定着してきたように思う。

つい、マスク姿であることに意識が向いてしまったけれど、郵便受けの中身を取り出しながら、すれ違った方が着ていたTシャツに六文銭がプリントしてあったことを思い出した。

歴史好きの方なのか、真田幸村ファンなのか、それとも……と思考を巡らせつつエレベーターに乗り込んだ。

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六文銭は、三途の川を渡るときに必要なお金だと言う話がある。

これは平安時代に伝わってきた仏教の話らしいけれど、人は亡くなってから7日目に、この世とあの世の境目となる川を渡ると言われている。

この川は三途の川と呼ばれているけれど、そう呼ばれる理由は、この川の渡り方が3パターンあるからなのだとか。

三途の川のそばには衣領樹(えりょうじゅ)という名の立派な木があり、そこには鬼の老夫婦が住んでいる。

亡くなった者は、あの世へ向かうために三途の川を渡らなくてはいけないのだけれど、その前に鬼の老夫婦に着ているもの全てを剥ぎ取られるそうだ。

剥ぎ取られた衣類は老夫婦の手によって衣領樹(えりょうじゅ)にかけられて衣類の重さを量られるのだけれど、これが、生前の生き方や罪の重さを知らせてくれるという。

そして、善人は川に架けられている橋を使ってあの世へ、少しばかりの罪を持つ者は川の浅瀬を歩いて渡りあの世へ、重い罪を犯している者は、立っているのも困難な川の深瀬を苦労しながら渡りあの世へ行かなくてはいけないそうだ。

この3パターンの渡り方があるという意味から、この世とあの世の境目にある川を三途の川と呼ぶようになったという。

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しかし、江戸時代に入ると、この話に創作要素が加わり広がりはじめ、新たに六文銭が登場するのだ。

創作要素が加えられた新バージョンでは、三途の川に架かっていいたはずの橋は消えており、全ての人が舟で川を渡り、あの世へ行くという内容に変わっているのだ。

更に、鬼の老夫婦に六文銭を渡せば、衣類を剥ぎ取られることなく、罪の重さで渡る川を決められることもなく全ての人が舟に乗って三途の川を渡ることができると考えられるようになったという。

これは創作要素が加えられたものだけれど、もともと江戸時代には六文銭の絵を亡くなった方に持たせる風習があったともきく。

人間道、天道、畜生道、修羅道、餓鬼道、地獄道にいる6人のお地蔵様に1枚ずつお供えしながら、生前の至らなかったあれやこれやを懺悔して、あの世へ旅立つという意味を持つ風習なのだとか。

江戸時代の創作には、この風習のエッセンスが盛り込まれたのだろうと勝手に解釈している。

六文銭を現在の通貨価値に当てはめると、どれ程の金額になるのかは分からないけれど、あの世へ行くにも何かと手順があるのだなと思ったりもして。

とりあえず私は、六文銭よりも目の前のことを、できることから一つずつ。

そのような気持ちで過ごそうと思いながら郵便物を仕分けた日。

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松の木の奥にある世界への扉を開けて。

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自宅近くにある公園の一角に立派な松の木が植えてある。

その松の木の幹は、地面から2メートルほどの高さから横へ折れ曲がった状態を保ちながら伸びており、その横へと延びた幹を支えるための添え木が数本設置してある。

日当たりが悪いような場所ではないことから、太陽の光を求めて横へ伸びたわけではなさそうに見えるその松の木を目にする度に、福岡県にある住吉神社の松の木を思い出す。

友人の案内のもと1度だけ訪れたことがある神社なのだけれど、ここの松の木には伝説がある。

その伝説というのは、敷地内に社殿を建てようとした折、1本の古い松の木が社殿側に傾くようにして伸びていたため建設の妨げになると判断されたのだとか。

そこで、関係者たちが集まり、この松の木をどうするかという話し合いの末、伐採することが決まったという。

松の木伐採の当日、彼らが松の木のもとへ行くと、不思議なことに空へ向かって真っすぐに伸びていたというのだ。

この出来事に人々は驚き、この松のことを「一夜の松」と呼んで祀るようになったのだとか。

現在も住吉神社には「一夜の松」があるのだけれど、言い伝えに登場する松の木は既に枯れてしまっており、現在の松の木は、言い伝えに登場する松の子孫にあたる木で、親木同様に大切にされている。

自宅近くにある公園の松の木には、このような不思議エピソードは無いようだけれど、豪快に横へ横へと伸びる様は見ていて気持ちが良く、つい視線を向けてしまう松である。

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松の木と言えば、日本には松の木が登場する伝説が数多く残っている。

どの伝説にフォーカスするか迷ってしまうほどあるのだけれど、幸せのレシピ集で度々登場する弘法大師(空海)は松の木エピソードも持っている人物である。

弘法大師(空海)とは「弘法にも筆の誤り/弘法も筆の誤り」のことわざでも、お馴染みの彼である。

彼は、唐から日本へ帰国するときに、「日本で真言密教を広めるために適した地へ行くことができますように」という願いを込め、手にしていた法具のひとつを出港する港から、日本がある東の空へ向かって投げたというのだ。

筆といい法具といい、弘法大師(空海)は自分の仕事道具をよく投げる人だという印象が私の中にはあるのだけれど、その豪快さが不思議と魅力的に映る人物であるように思う。

その豪快な性格をした彼が、唐の地から日本へ向けて投げたという法具。

私がその様子を想像するに、願いを込めて投げ放った法具は、あっという間に目の前の海へドボンッと沈んで終わってしまうところだけれど、嘘か真か弘法大師(空海)が投げた法具は、日本の和歌山県にある高野山の松の木にひっかかっていたというのだ。

今回は突っ込まずに話を続けると……、法具がひっかかっていた松の木の葉は、3本だったというのである。

少々分かり難いけれど、松の葉は2本であることが一般的なのだそう。

品種違いで5本の葉を持つ松もあるようなのだけれど、3本というのはとても珍しいという。

ここから、松の3本葉は縁起が良いと言われるようになり、見つけたときにはお守りとして持ち帰ると良いと言われるように。

私は、このエピソードを知ったときに初めて、松の葉が2本であることに意識が向いたのだけれど、以降も、松の3本葉は見つけられていない。

いや、もしかしたら既に幾度も目にしているのに、私の意識がそこへ向いていないだけなのかもしれないけれど。

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確か、西洋にも松の木にまつわる話がある。

ギリシャ神話だったと記憶しているのだけれど、海の神様と言われるポセイドンの母が思いを寄せていた人には恋人がおり、

なかなか自分の方に振り向いてくれないことに嫉妬し、その彼を松の木に変えてしまったのだとか。

そして、愛していた彼を自分で松の木に変えてしまったというのに、ポセイドンの母は彼のことを忘れることが出来ず、松の木のそばで泣き続ける日々だったというのだ。

その様子を見かねた彼女の子ども(神様)の一人が、いつまでも彼の姿が変わらぬようにと松を常緑樹、季節を問わず緑色の葉を保つ植物に変えたという話である。

ギリシャ神話は、このようなストーリー展開が多く、神と呼ばれる存在たちは人間以上に人間臭いように思う。

しかも、気に入らないとすぐに相手の姿を他の何かに変えてしまう展開は、時代劇顔負けのお決まりパターンで、読みなれてくると笑ってしまいそうにもなるのだけれど、

相手の姿を他の何かに変えることはできるのに、元に戻すことはできないあたり、色々と考えさせられたりもする。

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エピソードに困らない松の木は、知れば知るほど興味深い植物なのですが、今回はこの辺でお開きとさせていただきます。

松の木を目にする機会がありました折には、今回のお話の何かしらを思い出していただけましたら幸いです。

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似て非なる「けんぴ」と旅の予行練習と。

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その日のティータイムのおともは、芋けんぴ。

短冊状にカットしたさつま芋を油で揚げて甘い蜜が絡めてあることに変わりはないのだけれど、この日の芋けんぴは、芋けんぴと大学芋の良いとこ取りをしたようなタイプのものである。

カリッとしているのは外側だけで中は見た目以上にしっとりとしており、短冊状にしたスイートポテトを食べているような気分になった。

いつだったか出身が高知県だという方とお仕事をご一緒する機会があったのだけれど、その方は、高知県へ行ったことがないと言う私に、高知県のおすすめを沢山教えてくださった。

そしてそのときに、芋けんぴは高知県の名物だということを知るのである。

名物の話の中で特に記憶に残っているのは郷土菓子の「けんぴ」のこと。

当時の私や私の周りにいる人たちは、芋けんぴのことを「芋けんぴ」と呼ぶ以外に、「芋かりんとう」、「けんぴ」などと呼ぶことがあったのだけれど、「けんぴ=芋けんぴ」ではないと指摘されて初めて、高知県には芋けんぴではない「けんぴ」という名の郷土菓子があることを知ったのである。

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聞けば、「けんぴ」とは、小麦粉とお砂糖、卵で作った生地を棒状に成形して焼いたお菓子で、その素朴な味わいは卵ボウロのようでもあるという。

卵ボウロのようというフレーズから、ほろりと口の中で崩れるような食感を想像していると、

けんぴの堅さは、中途半端な気持ちで噛めば歯が折れるほどに堅く、漢字で堅干(けんぴ)と記されることもあるという説明が続き、妙に身構えたように記憶している。

「芋けんぴ」という名の語源は所説あるようなのだけれど、その中のひとつには、この高知県の「けんぴ」というお菓子と「芋けんぴ」の見た目が似ていることから、芋けんぴは芋で作ったけんぴ、「芋けんぴ」と呼ばれるようになったとう説があるというのだ。

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他に多くの高知県の見どころ、食べどころなどを聞いたけれど、あの時の私たちの注目は、芋けんぴの名にも関わっている「けんぴ」とやらに集中した。

取り寄せて試食してみようという話が出たはずなのだけれど、いつの間にかあやふやになり、試食する機会がないまま今に至っている。

このタイミングで思い出したのも何かしらの縁であろう。

実際に高知県へ行ってみるのが一番なのだけれど、高知県観光を楽しむことができるのはもう少し先になりそうなので、予行練習も兼ねて歴史ある「けんぴ」とやらを、その他の高知名物と一緒に取り寄せて楽しんでみることを計画中である。

思い立った勢いに任せて足を運ぶことができない現状はもどかしいけれど、いつでも行くことができると思っていたときよりも下調べに熱が入り、これはこれで悪くないと思った。

ほっとできる優しいお味の芋けんぴを召し上がる機会がありました折には、今回のお話の何かしらを思い出していただけましたら幸いです。

本日も心が“るんっ♪”と弾む瞬間がありますように☆彡

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真鍮アクセサリーとのお付き合い。

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少しずつ夏に向かっていくのかと思いきや、今年は既に夏日を思わせる日もちらりほらりと。

素肌に乗せるアクセサリーが、より映える季節である。

残念ながら私は、金属アレルギー持ちということもあって、身につけられる素材が限られているので何でも自由にとはいかないのだけれど、肌トラブルとは無縁の友人たちが夏らしいアクセサリーを遊び心で身につけている様子を眺められることが楽しい季節でもある。

古くはローマ時代から使用されているらしい真鍮は、耐久性があって加工もしやすい特性から、金属をはじめとする様々な素材をコーティングする(メッキ加工)際にも使われている。

真鍮は銅と亜鉛が混ざっているのだけれど、金属アレルギーを持っている方は亜鉛に肌が反応してしまうことが多い。

私もその口なのだけれど、亜鉛は酸化亜鉛というような名で化粧品などにも含まれていることが多く、安心して使うことができるものを探すのも一苦労である。

このような肌トラブルが起きる原因は、真鍮という素材が水に弱いからである。

これからの季節は、アクセサリーに汗が触れることが多く、金属が肌の上で酸化してしまいアレルギー症状や肌トラブルを招くのだ。

肌が弱い方には、このようなトラブルが起きるのだけれど、肌が強い方には、お気に入りのアクセサリーが黒ずむ、錆びるといったトラブルが起きる季節でもある。

今回は、後者のトラブル対処法のお話をと思っております。

真鍮製のアクセサリーを身につける機会がある方は、セルフチェックも兼ねてちらりとのぞいていってくださいませ。

(金属アレルギー視点でみる真鍮アクセサリーの話題は、またいつか、機会がありましたら……。)

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汗をかきやすく水に触れる機会が増えるこれからの時季は、真鍮製のアクセサリーの酸化が起こりやすく、気付いた時には既に黒ずみや錆が現れていたということがよくあります。

また、お手入れをしていても経年劣化によって現れる黒ずみや錆は避けられないので、できるだけ購入時の状態をキープするためには、ちょっとしたコツがあります。

まずは、帰宅して素肌に触れていたアクセサリーを外したら、手を洗うついでにアクセサリーも洗ってしまうと、随分とアクセサリーの持ちがよくなります。

水に濡らすことができない石などが付いている場合は乾拭きが安全ですけれど、丸洗いできる素材のみであれば、泡が付いた手でアクセサリーを軽く撫でるようにして汗などの水分と皮脂汚れを洗い、流水で石鹸をしっかりと洗い流したら、タオルとヘアドライヤーを使って乾かします。

真鍮は、使っていなくても空気に触れることで少しずつ酸化していく素材なので、しっかりと乾かした後は、密封袋に入れて保管すると黒ずみや錆の発生と経年劣化を遅らせることができます。

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しかし、使う度にケアするのは大変で、つい黒ずみや錆を発生させてしまったという場合には、自宅にあるお酢やレモン果汁などを使って、黒ずみや錆を一掃することもできます。

アクセサリーが入る小皿を用意し、そこにアクセサリーがひたひたに浸かるほどのお酢やレモン果汁を注ぎ入れて3分ほど待ちます。

このときに、アクセサリーの隅々にまでお酢やレモン果汁が行き渡るように、爪楊枝などを使ってアクセサリーを動かすと、黒ずみや錆の落ちムラを無くすことができます。

3分ほど浸したあとは、流水でしっかりとお酢を洗い流し、タオルなどで水分を拭き取り、ヘアドライヤーでアクセサリーの溝などに残っている水分も乾かします。

少しでも水分が残っていると、その部分で化学反応が起こって酸化が広がるので、ヘアドライヤーを使うと短時間でしっかりと乾かすことができるので安心です。

ただ、この方法は真鍮を丸ごとキレイにする方法なので、アンティーク加工を施してあるものや、敢えて黒ずみや錆びを残しながらセルフヴィンテージに仕上げているといったアクセサリーのお手入れには向きません。

そのようなアクセサリーの汚れを落としたい場合は、重曹に水を混ぜて作った重曹ペーストを付けたタオルで必要な場所の汚れを拭い取り、アクセサリーを流水洗いした後、タオルとヘアドライヤーを使ってしっかりと水分を乾かすと風合いを損ねずに汚れを落とすことができます。

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アクセサリーやジュエリーは、それぞれに、それぞれの良さや楽しみ方があります。

と同時に、それぞれの良さを保つためのお手入れのコツもそれぞれにありますので、お手持ちの愛用品に適したお手入れを確認してみるのも良いのではないかと思います。

何かしらのヒントにしていただけましたら幸いです。

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