近くの非日常を探しに散歩に出かけた。
と言えば余裕のある日常のひとコマのように聞こえるけれど、
私の場合、その多くは全く逆のことが多い。
パソコンのキーボードを叩く指がうんともすんとも言わなくなったときの荒療治のひとつだ。
その日はお気に入りのストールを主役にしたコーディネートで飛び出すように家を出た。
特段、空気がきれいな環境に身を置いているわけではないのに、
異常なほどに外の空気が美味しいと感じるのは余裕をなくしかけている時。
そのような時は決まって目に飛び込んでくるもの全てに心が揺さぶられて視界がぼやけそうになる。
「(あぁあ、こんなにも余裕なくしちゃって)」と自分を客観視するのもいつものこと。
美味しい(ような気がしているだけの)空気を吸い込みながら、
無くしかけの余裕を少しずつ自分に補充していく。
家から少し離れた場所に、至るところにお地蔵さんが居る地域がある。
どこのお地蔵さんも、きっと長い間、近隣の人たちに大切にされてきたのだろう。
その場だけ古に繋がることができそうな空気をまとっている。
数人目のお地蔵さんの前で、お掃除中のご婦人に声をかけられた。
私の靴に目が留まったようで褒めてくださったのだ。
これも、袖振り合うも多生の縁かしらと思い、少しお話をさせていただいた。
せっかくお地蔵さんが繋いでくれたご縁なのだからとお地蔵さんについて伺ってみた。
ご婦人曰く、お地蔵さんは可愛らしいお顔立ちをしているけれどスーパーマンのようなのだと。
お地蔵さんはスーパーマン!?
私の脳内劇場には、このようなテロップが点滅し始めた。
お地蔵さんは人々を守るために、その時々の状況に応じて様々な姿に変身するのだそう。
「ひとりで何役もこなすのよ、スーパーマンみたいでしょ。足も速いんじゃないかしらね。」
そう笑うご婦人はとてもチャーミングだった。
お地蔵さんは人々の辛い気持ちを身代わりになって引き受けてくれたり、
子どもたちや、出産を控えた妊婦さんを守ってくれたり、
五穀豊穣やその土地、地域を見守ってくれたり、
一見地味に見えるけれど、正にスーパーマンのような働きっぷりなのだとか。
ご婦人は出かけた先で親切な方に出会うと、
お地蔵様じゃないかしら、お地蔵様が派遣した方じゃないかしら、などと思うことがあるのだとか。
私が笑いながら聞いていると、
そんな風に毎日を見て過ごしていると楽しいわよとご婦人は続けた。
日常を楽しむ術は本当にたくさんあるようだ。
私たちの日常を影でそっと見守ってくれている温かい存在だと知った上で改めて、お地蔵様のお顔を覗いてみると、
普段よりも微笑んでいるように見えるのだから不思議なものです。
そして私はハッとしたのです。
もしかして、このご婦人はお地蔵様なのではないかしら?
いやいや、お地蔵様が派遣した方かしら?と。
あなたのすぐ傍にももしかしたら……。
本日の着地点は、このようなところでいかがでしょうか。